第18話 御台所~たくらみ 弐

 京風の言葉使いと装いで御台所の部屋子だとわかった。

 失礼のないよう丁重に答える。


「はい。なんでございましょう」

「御台さまが菜月殿とお話しがいたしいとのことゆえ、明日、お部屋にいらしてもろてもよろしおすやろか」

「御台さまが、わたくしに?」

「はい」

「わ、わかりました。お伺いいたします」

「そうですか。ほなお待ちしております」


 部屋子が去って菜月は言った。


「御台さまがなんのご用なのかしら……」


 御台所は朝永の正妻にあたり、帝の血縁者であるため、大奥でもっとも身分が高かい女性にょしょうだ。

 幕府と朝廷の繋がりを示すため、朝永と御台所の婚姻は必要不可欠なものであり、そのため幕府は御台所の出す条件を飲むことで婚儀を実現させた。

 御台所の出した条件はひとつだ。

 朝永との生活に不満を抱いたとき己の要求を通すこと。

 御台所がいつ朝永に不満を抱いたか定かではないが、御台所は御所風の暮らしを続けており、総触れに出ることもない。だから顔を合わせることのできる人間はごく限られている。

 当然だが、菜月もご尊顔を拝したことはない。

 そんなお方がわたしとなにを話したいのかしら……?

 光栄というより、得体の知れないなにかに招かれているようで、濁った水たまりのような不安が胸を覆った。

 けれど、香はやんわりと言う。


「光栄なことではございませぬか。ちょうどよく甘藷も届いております。御膳所で菓子をこさえてもらい、それをお持ちになればよろしいのではないでしょうか」

「そう……かしら」

「近衛家は朝廷とえにしが深い間柄でございます。その近衛家が食している菓子なのです。きっとお喜びになられます」


 果たしてそうだろうか?

 不安は残るが、急なことで手土産になるものを用意できない。

 菜月は精一杯笑みを浮かべて言った。


「そうね。御膳所へお願いしましょう」




 翌日、昼餉を終えてから菜月は身なりを整えた。

 清楚な色使いの立涌末草文唐たちわきすえくさもんからの打掛は、波打つようなやわらかな曲線が連続文様となり、平安のころから存在する優美で品格のある文様だ。遠目からは白に映る淡さで柄が目立つこともない。

 少しでも京に連なるもので華美になりすぎないものを選んだ。


「ようお似合いでございます」


 香の言葉に勇気をもらった菜月は、菓子詰めた袋を抱え持ち、御台所が住む御殿向ごてんむきへと向かった。

 手を突いて名乗るとなかへとおされる。

 部屋はまさに高貴な姫君が住まう御殿だった。

 部屋子が菜月の来訪を告げると、御台所は身を隠すように几帳きちょうで囲まれた一角から姿を現した。

 雅な小桂こうちぎ姿、おすべらかしの長く艶やかな髪。

 腕に抱かれたちんが愛らしい。まるで源氏絵巻のなかに入り込んでしまったような心持ちで頭を垂れた。


「――そなたが菜月はんかえ。ようきてくれはりましたなぁ」

「お招きいただき恐悦至極に存じます」

「そう固ならんとゆったりしてちょうだい」

「は。ありがとうございまする。こちらはつまらぬものですが、どうぞ召し上がってくださりませ」


 重箱をツイと差し出す。


「これは?」

「近衛家で食されております菓子にございます。江戸では出回っておらぬもので、御台さまのお口に合えばと思い持参いたしました」

「そら有り難いこと」


 まろやかな声音に少し緊張がほどける。

 朝永と同い年の二十五歳で雰囲気はとても落ち着いたものがある。


「いえ。わたくしにできることでしたら、なんなりとお申しつけください」


 御台所は活けたばかりの花のような笑みを浮かべる。


「初めて顔を合わせますなぁ。今日きてもろうたのは聞きたいことあったからやの」

「わたくしに答えられることであればよいのですが」

「そう難しいことやないわ」


 そう言った柔い瞳は蔑みへと一変し、「――挨拶そうそうに宮家と繋がりがあるという見栄を張るなんて、噂とおり厚かましいお人や」そう冷ややかに吐き捨てた。

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