第14話 朝永と高麗川~見抜く青 壱

 同じく、そう思っていただろう香は、大きく息を吐いたあと、厳しく菜月をたしなめた。

 

「菜月さま! 高麗川さまに対して声を出してお笑いになられ、貞宗さまの敬称をお忘れになられ……、香の心臓はいくつあっても足りませぬ!」

「ご、ごめんなさい……」

「ああ、恐れ多くも上様のお犬の子を拝領することになるやもしれぬとは……」


 香は青息吐息だ。菜月も同じ思いでいる。

 まさか、朝永の犬だとは想像だにしなかったのだ。

 高麗川さまはお約束くださったけれど、上様がわたしに大切な貞宗の子を譲りたいと思わないはず……。断られても仕方ないと思っていなくては。

 それでも、もし、本当に叶うことがあれば大切に育てようと思った。


 しかし、翌日、事態は思いもよらない方へ転ぶことになる。



 ***



 タン! と小気味よい音とともに弓は的の中央に刺さった。


「お見事でございます。上様」


 高麗川が汗を拭う手ぬぐいを差し出す。

 受け取った朝永は汗を拭って半身脱いでいた着物を着直した。三月も中旬をすぎると日中の日差しに身体が汗ばむほど温かい。


「三十本中、二十六の的中。腕はなまっておりませぬな」

「いや、四本も落としては話にならぬ。おまえに遅れを取るのはしゃくだ」

「相変わらず己に厳しゅうございますな」


 高麗川はそう言って、ああ、と思い出したように続けた。


「菜月殿も上様より賜った木製薙刀を使い、熱心に鍛錬に励んでいるようです。もう二月ふたつきになりますか」

「――なぜ、そこで菜月の名が出る」

「別に深い意味はございません。ただ、やろうと決めたことを続けることは、簡単なようでいて難しいことです。まして、ひとりで稽古を続けることは立派だと思いましてな。入江殿に逆らっても貫きとおす意思の強さは、さすが薩摩の女子おなごといったところでしょうか」


 朝永は奇妙なものを見るような顔つきだ。


「ずいぶんと入れ込んでおるな」

「単に”入江殿の思うままにならぬ女子”という物珍しさからにございますよ」

「やけに詳しいようだが、それを俺に言ってどうする気だ」

「どうもいたしませぬ。それに、詳しいもなにも大奥では騒動になっておりますから、聞かずとも耳に入ってまいります」

「騒動?」


 高麗川は「おわかりになりませぬか」と少々呆れたような顔で続けた。


「誰一人として、奥の女子に目もくれなかった上様からお品が下賜かしされた娘が現れたのですぞ。それは大騒ぎにもなりましょうて」

「――チ……。そのような意味ではないというのに……」


「上様にそのような気がなくとも、そう受け取るのが大奥。入江殿からすれば菜月殿は上様が気にかけた初めての女子ということになりましょう。本来ならば、なにをさておいても優遇し、お世継ぎをとことを運びたいでしょうが、肝心の菜月殿は薙刀を振るい、書物を読みふけり、一向に入江殿の望むご側室としての行動をなさらない。とはいえ、上様のお目にとまった唯一の娘となれば下手なこともできない。実におかしゅうございます」


「悪趣味な……。それのなにが面白いのだ」

「それと言うより菜月殿ご本人の有りようですな。まさか、読んだ書物の感想を文で送ってくるとは思いませなんだ」


 そう言って高麗川はくすりと笑った。


「……感想とは、おまえが贈ったあの軍記物の書物のことか?」

「はい」

「まさか、読むごとに文を送ってきているのか?」

「ええ。それが、菜月殿なりの返礼のようですな。薙刀の鍛錬をつむことは上様に。感想を送るのは某のために。某、久方ぶりに心から嬉しいと思う返礼をいただいたと感じておりまする」


 子犬を贈るには時間がかかるからと、高麗川みずから書物を贈ったのだが、それらは、源氏絵巻物のような女性が喜ぶものではなく、『吾妻鏡あずまかがみ』、『保元ほうげん物語』、『平治へいじ物語』、『平家物語』に『承久記じゅうきゆうき』、『信長公記しんちようこうき』、『太閤記』などで、戦国乱世を生き、天下取りに名乗りを上げた武将の物語だ。

 薙刀をならうのならばと選んだそうだが、それに対して文を送っているだと? あの女……なにが目的だ?

 

「……陽水ようすい。菜月の生まれを知っているか?」

「薩摩藩、東斬直孝とうざんなおたか殿のご息女でございますが」

「いや、そうではなく――」


 高麗川はすまし顔だ。朝永は嘆息して言った。


「おまえのそういうところが小面憎い。『知りたいことは、まず己で調べよ』なのだろう?」

「さすがは上様。よくおわかりになっておられます」


 もう終わったことだと気にかけることもなかったが、探る必要がある。

 災いの目は早い内に摘んでおかなければ。

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