第8話 伊々田朝永と近習、高麗川陽水 壱

 鶴丸城にも江戸藩邸でも、ここ大奥でも美しくきらびやかなものは沢山ある。

 金箔を施した襖に鶴や松、都の絵物語を描いた襖絵ふすまえ

 意匠を凝らした天井の模様。

 鼈甲べっこうかんざしに季節を彫り入れたくしを挿し、金糸や銀糸で刺繍された打掛をまとう女性たち。

 農民のような暮らしに身を置いていた菜月にはすべてが桃源郷のように映る。

 それでも朝永の瞳だけは別格だった。

 美しさを表現する形が生きて動いているのだ。

 それは奇跡を見ているような高揚感をもたらした。


 伊々田幕府を作った朝永の祖父も嘉祥かしょうまなこを有していたのは有名だが、朝永ほど青くなかったらしく、陽の加減で青く映るていどだった。

 それでも、戦国の世を終わらせる武将として青い瞳を持つことは、神を宿していると思わせるには十分だったに違いない。

 しかし、太平の世となった現在では異形として捉えられ、青鬼と恐れられる結果となっている。

 あんなに凜々しく、美しいお方なのに……。

 人と違うなにかを持つ者の不遇を、菜月は我がことのように感じられた。



 ***



「上様。入江殿が新しい側室とねやをともにするようにと、矢のような催促がきております」


 剣術の稽古を終えた朝永に、近習きんじゅうである高麗川陽水こまがわようすいは淡々と話しかけた。

 同じだけ動いたというのに息も切らさない体力に感嘆しつつ、気乗りしない義務に嘆息して答えた。


「入江も諦めの悪い女だ。いくら女子おなごを用意しようと子など望めないというのに」

「上様のお血筋は大権現だいごんげんさまから続くものですから、乳母めのととして諦めきれないのでしょう」


「血筋ならば、じさまが封じられた尾張おわり紀州きしゅう水戸みとの伊々田家が存在する。その家の男子を選び、将軍の座にすえるつもりだと何度も申しているではないか。将軍家にぐ家格として親藩しんぱんの最高位にあるのだ。首がすげ変われば幕閣が支えるだろう。俺の子でなくとも問題はない。おまえのことだ。もう候補は立てているのだろう?」


 そう問われた高麗川は小さく肩をあげて「さて、どうですかな」とかわした。

 青磁器のようになめらかな肌は、三十一歳という年齢とは思えないみずみずしさがあり、一見穏やかな人物に見えるのだが、実は薄氷のような気質で、うかつに踏み込めば、あっという間に割れて底なしの沼に沈められてしまう危うさがある。


 実際に沈められた者は少なくなく、逆らう者は存在しないと言って差し支えない。

 そして、朝永が唯一、心を開くことのできる存在でもある。

 幼いころからお世話係として朝永のそばで仕え、心身共に鍛え上げてくれた。

 六歳の年の開きがあり、朝永にとって兄にも等しい。

 その高麗川が言う。


「なににせよ、一度はしとねをともにせねば要求は収まりますまい。今までとおり一度だけでかまいませぬゆえ、お召しなさいませ」

「……わかった。日取りを決めてきてくれ。早くすませてしまいたい」

「承知つかまりました」


 朝永は胸のなかで独りごちる。


 ――いい加減、諦めてくれ、入江。鬼に子は成せぬのだ。



 ***



 昼餉のあと、ふいに訪れた入江が言った。


「今宵、上様のお渡りがございます」


 寝耳に水だった菜月は驚きのあまり声も出なかった。

 朝永の様子から閨などないと思い込んでいたからだ。


「上様がわたくしを……にございますか?」

「左様です。よろしいですか。決して泣いたり、逆らったりしてはなりませぬ。上様のなすことに身を委ねるのです。この入江の言葉、くれぐれもお忘れなきように。よろしゅうございますな」

「は、はい」


 かろうじて返答したが入江が去ったあと、どうしようと狼狽うろたえた。

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