第6話 黄泉がえりの姫~大奥 弐


「菜月さま、他三名の御中臈おちゅうろうの皆さまにおかれましては、明日、本丸におわしあそばす御中臈たちと顔合わせをいたし、三日後の総触れにて上様にお披露目する場をお作りいたします。それまでごゆるりとおすごしください」

「ご厚情にあずかり、誠にありがとうございます」


 菜月が平服すると入江は部屋を出て行った。

 思わず安堵の息がもれる。香は感嘆したように言った。

 

「さすが大奥を束ねられるお方にございますな。己にも他者にも厳しいことが伺えます」

「わたし、この世で一番怖いのは香だと思っていたけれど、認識を改めなければならないわね」

「”わたくし”でございますよ、菜月さま」

「あ……、ごめんなさい。つい」

「そのように気を緩めてはなりませぬ。ここは敵地であると思い、お部屋にいるからといって気を緩めることはお控えくださいませ」

 

 菜月は頷きつつも小さく嘆息たんそくした。

 物置小屋で暮らしていたときも大変だったが、大奥ここでの暮らしは違う意味で苦労することが入江をとおして可視化されたのだ。


 ――だけど、食べることに困らないし、香に重労働をさせなくてすむわ。大奥での暮らしは、きっと香にとってよいことよ。


 三年間、菜月のために骨身を惜しまず働いてくれたのだ。

 楽をさせてあげたい。

 そのためには、目立つことや問題を起こさないことを心がけなければと改めて自分に言い聞かせた。


 翌日。菜月を含めた新しい御中臈は、本丸の御中臈たちとの顔合わせに臨んだ。

 古参のあやを筆頭に、かえでさちとずらりと並んでいるさまは、江戸城大奥に住まう将軍の御中臈としてふさわしい容姿端麗な美女ばかりだ。

 こんな美しい人たちに、なぜ朝永公はお手を付けないのかしら?

 菜月がそう考えていると、鷹揚な口ぶりで入江が言った。


「皆の者。こちらが新しく御中臈となった者たちじゃ。おまえたち。これなる者たちに挨拶せよ」


 菜月たちは順に名前を名乗り、よろしくお願いいたしますと頭を垂れた。

 そっとうかがい見ると、綾たちは目を細めて品物を値踏みするような冷ややかな視線を投げかけている。

 人を見下している視線は気持ちのよいものではない。

 入江と同様に彼女たちに目を付けられれば陰湿ないじめに遭うのは目に見えている。菜月は決して視線を合わせないよう、綾たちの膝に乗せられた白く美しい手を見ていた。

 そこへ綾が涼やかな声で一言を発した。


「薩摩からきたという『黄泉よみがえりの姫』とは誰かえ」


 視線は一斉に菜月へと向く。

 ゴクリとつばを飲み込み、かすれた声で答えた。


「わたくしに……ございます」

「子をもうけねばならぬ大奥に、死して蘇った娘とは、なんとも不吉なことですなぁ」


 楓も幸も「誠に」と同調する。


外様とざまとなった薩摩は、公方さまに対するうやまいをお忘れになられたのか。このような不吉な娘を養女とし、大奥へ送り込むとは。それとも不吉をもたらすために、あえて送り込んだか。どちらにせよ気分のよいことではありませんなぁ」


 気持ちで負けるつもりではなかったが、それを言われてしまえば返す言葉はない。


「なににせよ、関わりたくないお方であることは確か。入江さま。わたくしはまだ死にとうございませぬゆえ失礼いたしまする」


 楓も幸も綾について部屋を出て行った。

 取り残された御中臈も、「わ、わたくしも……」と次々に部屋を出て行く。

 ひとり残っていた入江も、


「早う大奥に慣れてくださりませ」とひとこと言って部屋をあとにした。


 ――わかっていたじゃないの。歓迎されるわけはないって。


 だけど、少しだけ。

 ほんの少しだけ希望を持っていた。

 自分のいわくを知らない人たちならば、友になれる人がいるかもしれない――と。

 一緒に大奥入りした娘たちは同じく元の身分が低い者同士だ。この二の丸で助け合える唯一の存在と言っていい。

 それも綾の一言で霧散した。

 この不吉な呼び名は一生ついて回る。それは大奥での孤立を意味する。

 香以外、誰にもかえりみられないことに耐えられたのは、こんなふうに悪意を持って接する人間がそばに存在しなかったからだ。

 けれど大奥ここは違う。

 真に敵地なのだと思い知らされた。


「……帰りたい」


 ぽつりと言葉が零れる。

 だが、帰る場所はどこにもない。

 小さな屋敷の敷地内が世界のすべてだった菜月にとって、大奥は広すぎて、そして冷たすぎた。

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