第5話 黄泉がえりの姫~大奥 壱
「ここが江戸城……」
周囲は幅の広い
門をくぐり大奥の区域に入ると、今度は大奥内専用の駕籠に乗り換えてしずしずと運ばれていった。
延々と揺れる時間になんという広さなのだろうと感嘆した。
将軍という権威がここに集結しているようで、菜月はぶるりと身震いした。
――これらすべてを伊々田朝永という将軍が所有しているの……。朝永公とはどのようなお方なのかしら。
薩摩藩邸にいたとき教育係に問うてみたのだが、答えは歯切れが悪いものだった。
「なんと申しますか……。とにかく気難しいお方のようで、正室である御台さまだけでなく、家柄のよい、選りすぐったご側室にもお手をつけず、その……総触れ以外は大奥へかようこともないそうで……。笑ったお顔を見た者はいないとかなんとか」
菜月が息をのんだのを見て、すぐさま、
「で、ですが、『
そう濁し、愛想笑いでごまかしたのだ。
他にもささやかれている噂はある。
『青鬼』と。
――有力な大名家の姫君も、帝の娘である皇女さまも相手になさらないなんて、朝永公には『
気後れした心に又聞きした噂が信憑性をもって感じられる。
が、すぐさま、それは自分には関係ないことだと思い直した。
朝永がどうあろうと自分など歯牙にもかけないはずだ。
己が成すべきことは情報収集のみ。
そう思い直していると駕籠が止まり扉が開かれた。とうとう世に名高い大奥に到着したのだ。
「菜月さま。どうぞ」
香に促されて菜月は大奥に降り立った。
運ばれた二の丸は菜月を含めた新しい
本丸には大名家の御中臈たちが居住しているおり、身分の低い者と明確な差をつけるための措置だろうと伺えた。菜月は薩摩藩主の娘という名目だが出自は知られているのだろう。
駕籠が去っていくのを見届けてから、香が、「お疲れでしょう。お部屋に入ってお休みいたしましょう」と部屋の障子を開いた。
上の間、二の間、次の間からなる部屋には
他の御中臈たちと比べて見劣りしないようにと厳選された道具は一級品ばかりだ。碁盤、白薩摩焼の香炉、花瓶、掛け軸、絹の布団、上等な小袖や打掛。
数えたら切りがない。
「なんと立派なお道具ですこと。太守さまのお心遣いに感謝いたせねばなりませんね」
「ええ、そうね。大切に使いましょう」
そう答えたが、道具のひとつひとつが責任の重さを象徴しているようで、気後れする気持ちの方が大きかった。
だけど、ここには鶴丸城や薩摩藩邸にいた教育係も侍女もいないのだわ。
そう思うと一息つける気がして、ふぅと深く息を吐いた。――と、シュルシュルと打掛が滑る音がして部屋の前で止まり、芯のとおった声がした。
「失礼いたします。大奥総取締役、
――きた……。
緊張が高まる。
香が障子を開けると初老の女性が廊下に控えていた。
「遠路はるばる、ようおいでくださいました。用意させていただいたお部屋にご不便などございませぬか?」
「いいえ、このような一人部屋をいただきまして、お心遣い痛み入ります」
「お噂とおり麗しい姫君でありますこと。新しく迎えた
「はい。お力になれますよう精進いたしまする」
「なんと頼もしきお言葉。どうぞ困りごとがございましたらなんなりとお申し付けくだされ」
入江は微笑みを深くしたが、菜月にはそれが恐ろしく見えた。
三日月に細められた柔和な目元には皺が刻まれ、形こそ整っているが疑り深い狐を連想させる。
白髪が目立つ髪を後ろで縛り、濃い茶色に金の刺繍をほどこした打掛をまとった姿は、大奥の最高権力者である威厳を醸し出している。
薩摩藩邸で教えられたとおり、入江の機嫌を損ねれば大奥では生きていけないのだ。
菜月は身が引き締まる思いがした。
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