第3話 黄泉がえりの娘~薩摩藩主の命 参

 三年ぶりの屋敷は懐かしさよりも他人の家のようなよそよそしさがあり、ここが自分の家だという実感を得られないまま、父親の待つ部屋の前に手を突いて言った。


「父上。お呼びにより菜月、参上いたしました」


 すぐに「入れ」と声があり部屋に入った。

 父親と顔合わせをしたというのに、心には懐かしさや慕わしさがわきあがることもなく、むしろなにを命じられるのだろうと背中が冷たく感じるほどだった。

 しかし、意に反して父親は上機嫌だった。


「菜月、吉報きっぽうだ」

「吉報……?」

「そうだ。太守たいしゅさまのご下命かめいにより、おまえを養女として差し出すこととなった。このうえない名誉だ。つつしんでお受けするように」

「た、太守さまがわたくしを養女に……?」

「そうだ」


 それが本当ならば、水無瀬家にとってまたとない慶事けいじだ。

 しかし、なぜ曰く付きの自分などを養女にと言い出したのか。太守さまにはれっきとした血の繋がりがある娘がふたりいたはずだ。


「その顔に産まれたことを僥倖ぎょうこうだと思え」

「かお?」


「そうよ。太守さまは、おまえの器量のよさを買い、養女として迎え入れたうえで御中臈おちゅうろうとして大奥へ送るとお決めになられたのだ。恐れ多くも我が家は太守さまとご縁を結ぶことができるのだ。よくよく励むように」


「――お、大奥とは……。わたくしに公方くぼうさまにお仕えせよと!?」


「そうだ。三代将軍、伊々田朝永いいだあさなが御中臈おちゅうろうとして江戸へ向かうこととなる。子でも成せば我が家は将軍家の縁者となるのだ。ああ、考えるだけで愉快でたまらん。おまえが生き返ったあと我が家は白い目で見られ、苦しい思いをしてきたが、ようやく親孝行らしきものをしてもらった気がするぞ」


 そう言って父親は上機嫌に笑った。

 しかし、あまりにも突飛な話に言葉もない。


 ――わたしが将軍の側室に? 太守さまは、わたしの身の上を知ったうえで、そうなさろうというの!?


 呆然とする菜月に父親は続ける。


「太守さまは一刻も早くとの仰せで七日後、鶴丸城つるまるじょうより迎えをお寄越しをくださるそうだ。そのあいだに肌の垢をおとし、着物をあつらえる。今宵からここで暮らすように」

「お、お待ちください! そのように急な……。それに香は……、香はどうなるのです!?」

「もう必要ない者であろう? 多少の金子を包めばどこぞで下働きでもして暮らすであろうよ」


 その言いように怒りで目がくらんだ。

 父がこういう男であることはわかっていた。

 今、この男の腹にあるは己の出世欲だけだ。

 そのために自分と香がどうなろうと知ったことではないのだ。

 生き返ったときは哀しみを背負うだけで精一杯だったが、もう子供ではない。

 自分の意思がある。


「――父上。お話はわかりました。ですが、断らせていただきます」

「なっ、なんだと!?」

「ご安心くださいませ。この家を離れても女中として生きてゆけるていどのことは身につけております。そして、それらを教えてくれたのは香にございます。――育ての母を捨て、公方さまにお仕えなど菜月は決していたしませぬ」


「菜月っ……! おまえは父親の言葉に逆らうと言うのか!」


 父は顔を真っ赤にしてワナワナと震えている。

 女が男に、しかも家長の命に背くなどあってはならないことくらいわかっている。それでもこれだけは引けない一線だ。

 答えない菜月に父親は刀を手にした。

 生きる意味を香に託した菜月にとって、香を失ってまで生きたいと願う心などない。

 斬り殺されるのを覚悟してぎゅっと目をつぶった瞬間、タン! と襖の開く乾いた音がした。


「おやめください、おまえさま! 傷などつけては太守さまに顔向けできませぬぞ!」


 割って入ってきたのは母親だった。


「香を世話係につけることで菜月がよしとするなら、それでよいではありませぬか。家から厄介者が追い出せるのです。渡りに船でございましょう」

「む……」

「水無瀬家の栄えのために、ここは堪えるのが得策。あとは、わたくしにお任せください」


 母の言葉に父は怒りを収め、「よく躾けよ」と吐き捨て部屋を出て行った。

 ほっと息を吐くと母と目が合った。

 こんな形で庇ってもらうなど皮肉なものだ。

 そう思っていると紅を引いた唇が開いた。


「菜月。この家を出るのです。ここにいてもあなたは幸せにはなれない」

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