第2話 黄泉がえりの娘 弐
死は恐怖の対象であり、周囲に伝染すると考えられていたため、不吉の象徴である菜月の存在を知らぬ者はいなかった。
当然、縁談は破談となり、両親は家の離れにある物置小屋へ菜月を押し込み、そこでの生活を強いた。
外出は許されず満足な食事も与えられなかった。
なぜ生き返ったりしたのか、なぜ死なせてくれなかったのか。
誰からも忌み嫌われて生きることになんの意味があるのか。
菜月は何度も自死をはかろうとした。短刀で首を突こうとしたし、井戸に身を投げようともした。
しかし、そのたびに
顔を真っ赤にして、声を荒げ、
「菜月さまが生き返ったのはこの世で成すべき役割があるからにございます! それを果たすために神が生きよと申しているのでございます! 諦めてはなりませぬ。死んではなりませぬ。わたくしが付いております。どうか、どうか生きてくださいませ……!」
痛いほど菜月の両肩をつかみ、真っ直ぐに見つめる目から涙が幾筋も流れていた。
親より厳しく菜月を躾け、そのありように、自分は嫌われているのだと感じるほど厳格であった香が、初めて感情をむき出しにして菜月に生きることを懇願した。
そして、まろやかな声音で、
「わたくしは菜月さまが生き返ってくれて嬉しゅうございますよ……」と優しく抱きしめてくれた。
それは菜月が一番欲していた言葉であり温もりだった。
生き返ったことを喜んでくれる人がいる。
たったひとりでも味方がいる。
それだけで生きることを許された気がして、菜月は声を上げて泣いた。
自分に成すべき役割などきっとない。それでもあの日、香のためだけに生きようと誓ったのだ。
それから、菜月と香は支え合うようにして暮らし始めた。
香は粗末な食事の足しになるようにと、物置小屋の片隅に猫の額ほどの畑を作り、野菜を育て、わずかな給金を米に変え、縫い物を請け負った。
それは母が子を守ろうとする姿そのものだった。
菜月も母を支えるように掃除を覚え、洗濯を覚え、繕い物を覚え、必死で香の手助けになれるよう努力をした。
閉ざされた小さな世界で、ふたりは母と娘にように暮らしを立て、三年の月日が流れた。
十七歳になった菜月は一人前に働けるように育ち、香がたしなめても外仕事を止めようとしなくなった。
肌は小麦色に焼け、手も荒れて、とても武家の娘とは思えない姿となったが、それでも美しさは損なわれず、後ろでまとめた髪は黒々と艶やかで、すらりとした手足は曲線を描くようななめらかな動きで人目を奪った。
腰の位置が高く、古い着物を着ていても貧しさは薄らぎ、痩せていなければ触れたくなるような頬があることを予想させる。
まつげが長く二重の瞳に影を落とし、荒れていない唇はそこだけ果実の汁がしたたるようにみずみずしい。
そんな菜月を一目見ようと生け垣の隙間からのぞき見る男たちが後を絶たなかった。
その度に香が追い払うというのが日常となっており、菜月は苦笑するばかりだ。
自分を嫁にしようとする物好きなど存在しないのだから、今更見世物になろうとどうでもいいと思うのだが、変わらず自分を守ってくれる気持ちは素直に嬉しい。
――あと何年、香といられるのかしら。もっとよい暮らしをさせてあげられたらいいのに。
そう考えていると、「菜月」と声がかかった。
この声は――……。
驚いて振り返ると、そこには本物の母親が立っていた。
姿を見るのも声を聞くのも三年ぶりで、菜月は膝を突くことも忘れて、母であった人を呆然と見つめた。
すぐに対応したのは香だ。
「これは
「おまえは下がっておいでなさい。菜月、殿がお呼びです」
「ち、父上、が……?」
「そうです。その泥を落としてすぐにきなさい」
そう言うと返事も待たず、屋敷へもどっていった。
訳がわからず呆然としていると、香が「菜月さま。お支度を」と促した。
「香……、これは一体どういうことなの……?」
蘇ったあの日から、一度たりとも姿も見せなかった両親の急な呼び出しに、喜びよりも不気味さを感じずにはいられなかった。
「しっかりなさいませ。怖じ気づいてはなりませぬ。水無瀬家の長女として立派に育った姿を殿に見せてさしあげるのです」
「でも……」
「なにがあろうと香は菜月さまのお味方にございます。ここで待っておりますれば安心して行ってまいりませ」
そう言って微笑む顔にこくりと頷いた。
――そうだ、今のわたしには香がいる。帰るところがある。
菜月は身を清めたあと、心を引き締めて両親が待つ屋敷へと入っていった。
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