未定
1話
まずは聞いて欲しい。
小峰詩音は女装が好きなわけでも、女体化願望があるわけでもない。
たとえ街のど真ん中で女装していても。
それには深い理由があるのだ。
ハルジオンに変身しているわけじゃない。
しっかりと詩音の姿だ。
黒いシャツ、グレーのロングスカート。
ネットで検索したところによると、『モード系ファッション?』に分類されるらしい。
詳しくは知らない。
頭にはウィッグを被っていた。
ミディアムの紺色の髪。
毛先が内向きにカールしていて、女性らしさを際立てている。
いくらハルジオンで慣れてきてるとはいえ、これは違う。
生身の時は普通に男の子だ。
詩音は顔を赤くする。
「は、恥ずかしい……男だってバレてないよね?」
詩音は街中にある、変な形をしたオブジェの前に立っていた。
待ち合わせをしている女の子。
そうとしか見えない。
特に違和感はない。
なぜ詩音がこんなことをしているかと言うと、
「詩音先輩、お待たせしました」
やってきたのは華恋だ。
華恋は、詩音の格好を見回す。
「うん、良く似合ってますね」
ちなみに服を指定したのは華恋だ。
ネット通販で購入したものを、詩音の家に送った。
「ほんとに大丈夫? 男だってバレない?」
「大丈夫ですよ。ほら、行きましょう!」
華恋が腕に抱き着いてくる。
ハルジオンのときには、いくらでもされている慣れた行為。
だが詩音のときにされると、ドキッとする。
二人は恋人のようにくっつきながら歩く。
そもそも、なぜこんなことをしているかと言うと、
「あの、本当にこれでなんとかなるの?」
「大丈夫ですよ。私に彼女が居るって分かれば引き下がりますよ」
チラリと華恋は後ろを見て言った。
「ストーカーさんも」
あの日、詩音が指輪を渡した後。
華恋から『付き合ってほしい』と言われた。
その理由は簡単。
ストーカーだ。
華恋は数日前から誰かに付きまとわれているらしい。
相手は隠密行動ができるスキルを持っているようで、尻尾はつかめない。
しかし勇者の直観によって、誰かに付けられていることは分かる。
ストーカーは何か行動を起こしてくるわけじゃない。
ただ、華恋を見ているだけ。
だけどそれを放置するのも怖い。
そこで考えたのが恋人作戦だ。
恋人がいると分かれば、ストーカーは諦めて離れていく……かもしれない。
だが男性の恋人がいると分かったら、逆上されるかも。
そうでなくても、写真を撮られれば『カレン』が炎上する。
配信者活動は続けていけないだろう。
だから、女性の恋人を作り出すことにした。
「思ったんだけど、女の子の友だちにお願いしたら良かったんじゃないの?」
例えば『ハルジオン』とか。
むしろハルジオン状態のほうが、気分が楽だった。
『詩音』での女装はつらい。
「もー、友達にこんな迷惑なこと頼めないですよ!」
『詩音先輩なら良いですけど』と言外に言われてる気がした。
実際のところ、食事の恩義があるため断れなかった。
食事の代金を返済しなければいけない。
まさか代金が、こんなに
これがハイパーインフレーションか……。
詩音は物価の高騰になげく。
「それに、架空の女の子を作り出したほうが、万が一のときに安全でしょう?」
「……確かにそうかも」
それを言ったら、『ハルジオン』も架空の存在。
Vtuberみたいなものだが、それを言うわけにもいかない。
「ほら、分かったら行きますよ!」
「はい……」
華恋が引っ張ると、詩音はそれに付いて行くしかない。
よくしつけされた犬みたいなものだ。
「お昼には、ご飯を奢ってあげますから」
ご飯。
そう言われると、詩音はパッと顔を明るくした。
マジで犬猫みたいな反応だ。
「なんでもいい?」
「良いですよ。好きな所に連れて行ってあげます」
「お寿司でもいい?」
華恋はドンと自分の胸を叩いた。
『任せておけ』っと言うように。
「回らないヤツでもいいですよ」
「回るやつの方がいいかな」
「……なんでですか?」
詩音は子供のころ、祖父に連れられてお寿司屋に行っていた。
もちろん、回らないヤツ。
しかし、好きなものを食べられるわけではない。
祖父が頼んだのと同じものを食べさせられていた。
だが老人と子供では舌が違う。
子供の詩音には、いまいち美味しさが分からなかった。
「そっちのほうが楽しいから」
飯野に回転寿司に連れて行ってもらったことがある。
ぐるぐると回るお寿司を眺めて、自分の好きなお寿司を取って食べるのは楽しかった。
詩音は、また行きたいと思っていた。
「なんか先輩って……安上がりですね」
華恋はあきれたような目を詩音に向けていた。
〇
「な、なんでこんなところに来るのさ!?」
デパートの中。清潔感のある白っぽいお店。
そこには女性ものの下着が並べられていた。
あっちを見ても、こっちを見ても。
目に入ってくる下着に、詩音は目をぐるぐるさせる。
なんだか見てはいけない物を見ている気分になる。
「先輩は入ったことないんですか?」
「あるわけないよ!?」
嘘である。
本当はハルジオンの下着を買うときにお世話になった。
店員の言われるがままに買っただけだが。
「ボク、外で待ってるから」
「ダメです」
店の外に出ようとした詩音。
しかしその腕をガっと掴まれた。
勇者の力に、詩音ではかなわない。
岩のように重く感じる華恋。
そこから離れようと詩音は足を動かす。
しかしビクともしない。
山を引っ張っているようだ。
「今は女の子同士なんですから、一緒に選びましょう」
「無理だよ。ボクには何も分からないから」
「先輩の好みを言うだけで良いですよ」
「嫌だ。分からない!」
駄々っ子のように叫ぶ詩音。
しかし、華恋は子供の扱いがうまかった。
「お寿司」
「はい」
詩音はおとなしく華恋に従う。
猫にちゅーる。詩音にお寿司。
簡単なものである。
「ほら、これなんてどうですか?」
華恋は上下組みの下着をとって、自分に当てる。
似合ってるかどうか判断しろ。
そう言うことなのだろうが……。
「うーん? 可愛いと思うよ?」
詩音にはよく分からない。
とりあえず、てきとうに返事しておく。
「微妙な反応ですね……こっちはどうですか?」
その後も華恋は何着かの下着を当てる。
だが詩音には何度聞かれても判断できない。
華恋はあきれたように、ため息をはいた。
「はぁ、分かりました。実際に着てみましょう」
「着てみるって……ここで!?」
「そこに試着室がありますから。店員さん」
華恋は店員に試着の了承を得た。
華恋が詩音の手を掴む。
引きずるように試着室の前に連れて行った。
「そこで待っててくださいね」
「え、いや」
試着室に入っていった華恋。
中からは布がこすれる音が聞こえてくる。
今、服を脱いでいるのだろう。
そして下着を変えて、詩音に見せるのか。
いや、なんで?
下着なんて自分の好きなのを買えばいいじゃないか!
詩音は心の中で叫ぶ。
後輩の女の子の下着姿を見るのは良くない。
倫理的に良くない。
しかもなんで、自分は女装しているんだ。
詩音はその状況に耐えられなくなった。
「ボ、ボクはお店の外で待ってるから!」
「ちょっと先輩!?」
詩音はダッと店の外に飛び出した。
外の風景を見るとホッとする。
ダンジョンから出た時よりも安心したかもしれない。
だが、詩音の苦難は終わっていなかった。
「あなた、なにやってるの?」
聞きなれた声がした。
ギギギっと詩音は錆びついたロボットのように顔を向ける。
「い、飯野」
こんな姿、見られたくなかった。
詩音は心の中でなげいた。
☆
ハルジオンのイラストを頂きました!
紹介分のほうにリンクが貼ってあります
素敵なイラストをありがとうございます
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