第14話
「あなた、香水なんかつけてるの?」
お昼。詩音が飯野と会うと、そう言われた。
「うん。昨日知り合いとご飯食べに行ったんだけど、その時のお酒の匂いが残ってたみたいで、後輩の子からごまかす用に貰ったんだ」
「ふうん?」
飯野はたいして興味も持たずに、詩音の隣に並んだ。
「それよりも、あなた、あれ見た?」
「あれ?」
「あの動画よ!」
詩音は首をかしげる。
分かっていない詩音を見て、飯野はスマホを取り出した。
「この動画よ!」
その画面には、紗耶とハルジオンがドラゴンと戦っている動画が流れていた。
どうやら配信の切り抜きがアップされていたようだ。
その再生数はすごいことになっている。動画サイトのランキング1位。
カレンと撮影した動画の倍近くの再生数になっていた。
「うぇ!? す、すごいね」
「すごいなんてものじゃないわよ。紗耶さんはSNSメインでこのサイトでは活動してないし、もう一人のハルジオン? はつい最近になって配信を始めたばかりの子なのよ」
飯野は
「そりゃあ、これだけスゴイ戦いだもの再生数が上がるのは分かるのよ。でもね!?」
飯野はダン、ダンと地面を踏み鳴らす。
「なんで! 私が! 一年近くかけて築き上げた人気を! たった一か月程度で抜かされるのよ!?」
ハルジオンのチャンネル登録者数は、飯野のチャンネルを超えていた。
ごめんなさい。それボクなんです。
そんなことを言えるわけもなく、詩音は飯野をなだめる。
「ま、まぁ、落ち着いてよ。飯野には飯野の良さがあるって」
「私の良さってなによ?」
そう言われると、とっさには出てこない。
言葉にするのが難しい。
一緒に居ると楽しいし、困っていたら助けてくれる。
とてもありがたい存在なはずなのだが、居るのが当たり前になりすぎている。
「……優しい?」
「そんな、女が男のほめるところないときに、とりあえず言っとく単語第一位を言われたって、何もうれしくないわよ!」
飯野は、はぁはぁと息切れを起こす。
そして落ち着いた時には、真剣な目で詩音を見つめた。
「こうなったら、路線変更よ」
「はぁ?」
飯野はガッと詩音の肩をつかむ。
すごい力だ。本当に回復職なのだろうか。
「私とあなたで、カップル探索者として再出発するわ」
「えぇー?」
カップル探索者。
文字通り、カップルの探索者。特にダンジョン配信を行っているカップル探索者を指す言葉だ。
詩音には何が面白いのか分からない。
だが需要があるから活動しているのだろう。
「雑にイチャイチャしとけば、視聴者は『てぇてぇ』だのバカみたいなこと言って興奮するはずよ」
「いや、失礼すぎるよ……」
そもそもの問題だが。
「ボクらがイチャイチャできるの?」
「吐き気がするわね。でも数字のためなら私はできる」
飯野は数字にうるさい女だった。
再生数を稼ぐためならなんでもする。プロのエンターテイナーだ。
「いや、ボクが嫌なんだけど」
「私みたいな美女とイチャイチャできるのよ! おとなしく
飯野は詩音の腕を組む。
「帰って企画会議よダーリン」
「午後の講義どうするのさ?」
「そんなもの欠席しなさい」
飯野が強引に引っ張った時だった。
カツンと足音が聞こえる。
そちらから、紗耶が歩いてきていた。
「あれ、明らかにあなたの方に向かってきてるわよね?」
「そう、見えるけど」
いつものように無視をして通り過ぎる感じではない。
まっすぐに詩音の元へと歩いてきている。
「……ごめんなさい。用事を思い出したから行くわね」
「待ってよハニー」
逃げ出そうとした飯野の手を、詩音がつかんだ。
「うっさい! 離しなさいよ! 私を巻き込まないで!」
「死にそうなときに回復してくれるだけでいいから!」
「おとなしく土下座でもして、魔王様に許しを
ガツン!!
二人のじゃれあいをさえぎるように、足音が鳴った。
それも、すぐ近くで。
恐る恐る顔を向ける。
詩音のすぐ目の前に、紗耶が居た。
「……やっぱり」
「なにが、やっぱりなんだ?」
詩音は恐る恐るたずねる。
紗耶の目が、冷たく光った。
「最近、ずいぶんと女の子と仲良くしてるようね」
飯野はサッと詩音の背中に隠れるが、その様子を見て紗耶の目が鋭くなる。
「飯野は一年のころからの友達だよ。最近じゃない」
「ワタシ、オトモダチロボット、シオンニ、ナニモシナイ」
飯野は機械のように言った。
どうやら紗耶は、飯野には興味がないようだ。
オトモダチロボットをチラリと見ると、すぐ詩音に視線を戻す。
「じゃあ、あの一年の子はどうなのかしら?」
「誰のことを言ってるんだ?」
紗耶は苛立たしげに詩音をにらむ。
「キミと同じ香水を付けている子よ。こんな、明らかに女物の香水の匂いを付けておいて、知らないなんて言わせないわよ?」
紗耶はグイッと詩音に体を近づける。
詩音はだんだんと壁際に追い詰められる。
「ただの近所に住んでる人だよ。たまに、ご飯とか貰うんだ」
バン!
詩音の顔の横を、紗耶の手が通り過ぎた。
壁ドンだ。
だが、そんなにロマンチックな物じゃない。
いまは脅しのための道具だ。
「私が『お弁当を作ってあげる』って言ったときは、『自分で作るのが楽しいからいらない』って言ってなかった?」
「いや、それは……」
詩音は言うべきか迷う。
人には、時として残酷な事実もある。
それに、言ったら怒られそうだ。
「なに、言ってみなさい。怒らないから」
怒らないから。その言葉を聞いて、詩音は口を開いた。
「だって料理下手じゃん」
黒焦げの料理を出すならまだマシだ。
『今日はバレンタインデーだから、隠し味にチョコを入れてみたの♪』
ホワイトチョコで真っ白になったカレーが出てきた。
いや、存在を隠してくれよ。
そんな女の弁当を毎日食べたいとは思わなかった。
言ったら怒るかなと思ったので詩音は黙っていたのだが。
紗耶の顔が真っ赤に染まっていく。
恥ずかしさ、怒り、悔しさ。そのどれかか、あるいはすべてが混ざっているのか。
「なんで今さら言うのよ! 高校時代に言ってくれれば良かったでしょ!」
紗耶はごまかす用に叫ぶ。
そしてガツガツと足音を鳴らして離れていった。
やっぱり怒るじゃん。
飯野はジトっとした目を詩音に向けてきた。
「あなた、一年生にまでたかってたの?」
「……はい」
詩音もさすがにどうなのかな。とは思っていた。
でも華恋のご飯がおいしかったから。
「適職診断をやってみましょうよ。結果を予測してあげるわ。ヒモよ」
そんな職業はない。
飯野に呆れられていると、ガツガツと足音を鳴らして紗耶が戻ってきた。
「え、なんで戻ってくるのよ。終わりでしょ!?」
紗耶は香水の瓶をシオンに向かって構える。
プシプシプシ!
乱暴に中身をばらまいた。
柑橘系の匂いが辺りに広まる。
それに満足したのか、またガツガツと離れていった。
「いや、私にまでかかったんですけど……」
隣りにいた飯野にもガッツリ匂いが付いていた。
〇
詩音のスマホが震えた。
確認してみるとメールが届いていた。
ハルジオンのメールアドレスだ。
差出人はカレン。
なんの用事かと思い、メールを開く。
『ハルちゃんお疲れ様! 今日も一日頑張ったね。私はハルちゃんのおかげでなんとか頑張れたよ。授業中もハルちゃんのことを考えてたら、つい笑っちゃって友達に変な目で見られちゃったよ。もしかして、ハルちゃんも私のこと考えててくれたかな? そうだと嬉しいな。それでね――』
長々とした文面が続く。
マス埋めゲームじゃないんだから、もうちょっと改行とかしてほしい。
そもそも、なんのメールなんだろう?
詩音は疑問に思いながらも、チカチカする目を細めながら最後まで読む。
一番最後に用事が書いてあった。
『相談したいことがあるから、この後会えないかな?』
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