第13話

 紗耶との食事が終わったあと、詩音は帰り道を歩いていた。

 魔法少女の変身は解除している。


 春の終わりごろ、過ごしやすい夜だ。

 空には月が輝いている。


 その月のように、詩音の心は穏やかに晴れていた。


 詩音は、ハルジオンとして再び紗耶と友人になることにした。

 連絡先を聞かれたので、とりあえずメールアドレスだけ教えてきた。

 ハルジオン用のスマートフォンも買っておかなければならない。


(……飯野に頼んだら古いやつくれないだろうか)


 飯野が聞いたら、『調子に乗るんじゃないわよ!』と言いながら、後日には本当にくれそうだ。

 そんなことを考えながら詩音は歩く。

 その時だった、


「ッ!?」


 詩音は殺気を感じて体をよじる。

 ブン!

 鈍器が風を切るような音が鳴った。


 先ほどまで詩音の体があった場所を金属の棒のようなものが通りすぎていた。


 詩音は襲撃者から距離をとるように後ずさる。

 襲撃者は黒いパーカーのような防具を着ていた。

 体のラインは見えず、男か女かも分からない。

 特殊な魔道具なのだろう。フードの中は暗闇に包まれており、顔も見えない。


「……誰ですか?」

「……」


 当然のように、襲撃者は答えない。

 その手にはヘアアイロンを長くしたような武器を持っている。

 襲撃者はその武器をぐっと握りしめた。


 詩音も、手に持っている長い杖を構えた。

 魔法少女の時に使っているものとは別のものだ。

 魔法少女状態の時に持っていた装備はすべて消える。代わりに変身前に持っていたものが再び現れている。


 襲撃者が武器を振りかぶった。

 武器は詩音の体のすれすれを通り過ぎた。

 詩音は最小限の動きで攻撃を避ける。

 そして杖を襲撃者の頭にめがけて振るう。


 悲しいことに素の詩音の魔法攻撃力は恐ろしく低い。

 杖で殴ったほうが早い。

 幸いなことに、杖はメイスのような形状になっているため近接武器として使えなくもない。

 だが、そう上手くはいかなかった。


 ガン! 音が響いた。

 しかし襲撃者の頭部はびくともしない。

 山でも殴っているようだ。

 一切のダメージが通っていない。


(この感触、前衛の探索者かな……)


 襲撃者が詩音の杖をつかもうとする。

 しかし杖はスルリと抜け、詩音は再び構える。

 襲撃者と向かい合う。


 どうやら、襲撃者は手加減して攻撃しているようだ。

 前衛の探索者なら、もっと勢いよく攻撃が振れるはず。

 それをしてこないということは、詩音を殺したいわけではないのだろう。


 手加減されている状態で、そう簡単に負けるつもりはない。

 だが、決定打もない

 このままでは、ジリジリと追い詰められるだけ。


 だが幸いなことに、ここはダンジョンではなく住宅街だ。


「誰か! 警察を呼んでくれませんか! 襲われています!」


 誰かに通報してもらい、警察が来るまで耐えればいいだけだ。

 そう、思ったのだが。


(なんで、誰も反応しないんだろう?)


 周囲の家には明かりが点いている。

 あたりまえに生活している人々が居るはずだ。

 外で叫び声が聞こえたら、カーテンを開けて確認ぐらいはするはず。

 なのに、誰も反応しない。


 なにか細工があるのか。

 詩音は襲撃者を観察する。

 その腰に、ピカピカと光を発している魔道具が見えた。


(まさか、周囲に音を漏らさない結界でも張っているのかな?)


 詩音は思い出す。

 たしか、モンスターが集まってこないように音を遮断する魔道具があったはずだ。

 それを使っているのかもしれない。


(あれを壊すだけなら、なんとかなる)


 襲撃者は無理でも、魔道具にはダメージが入る。

 そして魔道具を壊してしまえば助けが呼べる。


 襲撃者が動いた。

 狙いは首元。突きの一撃。

 詩音は首をひねるだけで、それを回避する。

 そして杖を振るって、魔道具を叩いた。


 ベキン!

 皿が割れるような音がした。

 これで助けが呼べる。

 詩音が叫ぼうとした時だった。


 詩音の首に襲撃者の武器が触れる。

 その瞬間、首から体全体にいかずちが走る。

 足をつった時のような痛みが体中に広がった。

 その痛みは一瞬で引くが、体に力が入らなくなる。


 詩音は貧血を起こしたように、その場に倒れていく。


(しまった、動きを阻害する魔道具だったのか)


 襲撃者が詩音を見下ろす。

 詩音は声を上げようとするが、詰まったように声が出ない。


 襲撃者はその姿を確認すると詩音の目に布を巻く。

 何も見えない。

 襲撃者が詩音を抱き上げるのが分かる。


(どこに連れて行くつもりなんだ)


 頬を風がなでる。襲撃者が走っているのだろう。

 少しのあいだ走ると、詩音は優しくおろされた。

 肌を草がなでる。近所の公園にでも連れてこられたのだろうか。


 まさか、人気がないところで殺すつもりなんじゃ……。

 詩音の体が緊張でこわばる。


 最悪の場合は、ハルジオンに変身するしかない。

 魔法少女状態ならこの程度の状態異常は治せるし、多少のケガをしても大丈夫だ。

 不明な人間に正体がバレるのは避けたかったが、命の方が大事だ。


 詩音はいつ変身するべきかと、身構える。

 体に触れられた。その手はなでる様に詩音の背中へと流れていく。

 そしてギュッと抱きしめられた。


(え、なんで?)


 詩音の脳内がぐるぐると困惑する。

 なぜ襲われたのか、なぜこんな事をされているのか。

 甘ったるいミルクティーの入った、回るティーカップにでも乗せられてる気分だ。


 抱きしめられて分かるが、襲撃者はずいぶんと厚手の服を着ていたようだ。

 硬い布の感触が伝わってくる。

 襲撃者はそれが気に入らないのか、もどかしそうに体をこすりつける。そしてぎゅうぎゅうと抱きしめる力が上がっていった。


「ちょ、まって、苦しいんだけど」


 このまま絞め殺すつもりなんじゃないかと思ったほどだ。

 だが締め付けが緩められた。


 今度は首元を、メガネ拭きのような柔らかい触感がなでた。

 髪の毛だろう。

 猫のように頭を擦り付けているのだ。


 ちなみに、猫が体をこすりつける理由はマーキングだ。

 飼い主が外から帰ってきたときに、その体には外の匂いがついている。

 そこに自分の匂いをこすりつけて、『これは私の所有物だ』と主張している。


「にゃ、ん、はにゃ――」


 襲撃者の興奮した吐息が漏れ出る。

 その声には合成音声のような違和感がある。

 声を変化させる魔道具を使っているのだろう。


 襲撃者は声を漏らしながら、頭をこすりつけていく。

 首、胸、手。

 これが猫だったのなら、よほどその人のことを独占したいのだろう。


 はたして何分間ほどそうしていたのか。

 襲撃者はとりあえず満足したのか、詩音から体を離す。

 腰のあたりに重みがある。馬乗りになっているような状態なのだろう。

 ゴソゴソと音が聞こえる。


 今度は何をするつもりなのか、詩音が少しうんざりする。

 すると、鼻をつままれた。

 呼吸ができなくなり、口を開く。


 その瞬間、口がふさがれた。

 生暖かい空気と粘液が口の中に入ってくる。

 キスをされた。


(?!??!)


 もはや詩音の脳の処理速度は追いついていない。


 柔らかい何かが口の中に侵入してきた。

 舌だろう。

 だが、それだけじゃなかった。


(ッ!! ヤバい!)


 口の中に苦みが広がる。

 ボタンのような異物が口に入っている。

 何らかの錠剤だろう。


 詩音はそれを舌で押し返そうとする。

 だが相手の舌が絡みついてくる。

 蛇の交尾のように、二人の舌が絡み合う。


 ごくり。詩音が薬を飲んでしまった。


 相手の舌は、薬が残っていないことを確認するように、口の中を撫でまわす。

 それが終わると満足したのか、襲撃者の口が離れた。


 それと同時に、詩音の意識は深く沈んでいった。





 知っている天井だ。

 毎朝見慣れた天井が目に入る。

 詩音が目覚めると、そこは自室のベッドの上だった。


(あ、あれ? 夢?)


 自身や周りを見渡しても、違和感はない。

 いや、一つだけ違和感があった。


(なんかボク、お酒臭い?)


 体からのアルコールの臭いがする。

 居酒屋に居たのだから臭いが移って当然だが、それにしても強い気がする。


 そういえば、と詩音は思い出す。

 詩音が飲んでいたのはジンジャエール。

 アルコールの欄にも、ジンジャーなんとかと言う名前があった気がする。


(え、間違えて飲んじゃった?)


 分からない。


 酔ったにしては、昨日の記憶がはっきりしている。

 先ほどまでの夢はリアルすぎる。


 だがそもそも、酔った経験がないので通常の状態が分からない。

 そんなもんだよ。と言われたら、そんなもんな気がする。

 夢だったと言われれば夢な気がする。


(……夢、だったのかな?)


 酔った可能性と、謎の襲撃者に襲われた可能性。

 それなら酔った可能性の方が現実的だ。


 家に帰る途中で謎の人物に襲われて、その人から性的なことをされる。

 意味が分からない。

 現実的じゃない。

 いっぽうで、夢っぽい混沌さが感じられる。


(夢か……なんか、変な夢見ちゃったな……)


 あんな夢を見たと思うと、恥ずかしくなってくる。


 時計を見ると、いつもより早い時間だ。

 詩音は気分を変えるために、散歩にでも行こうと準備した。


 アパートから外に出る。

 すっきりとした涼しい空気が頬をなでた。


「あ、詩音先輩、おはようございます」


 そこに華恋がやってきた。

 ジャージを着ている。薄っすらと汗ばんでいた。

 ジョギングでも行ってきたのだろうか。


 華恋はにこにことしながら、詩音に近づいてきた。

 その笑顔は朝日よりもまぶしいくらいだ。


「おはよう。華恋ちゃん」

「む? むむむ?」


 華恋は詩音に近づいてくると、胸元に顔を近づけた。

 華恋から薄っすらと甘い匂いが漂ってくる。

 彼女は何かが気になるようだ。


 そしてポケットから何かを取り出すと、それを詩音に向けてきた。


「えい!」


 プシ!

 音を立てて、ほんの少しのミストが広がる。

 そこからは華恋と同じ甘い匂いがした。

 香水のようだ。


「詩音先輩、お酒の臭いがしてますよ?」

「あー、うん。なんか間違えて飲んじゃたのかもしれないんだ」


 詩音はバツが悪そうに言った。

 後輩に良くないところを見せてしまった。華恋が真似しないといいけど。

 

 華恋はその言葉を聞くと、さらに楽しそうに笑顔を強めた。

 そして茶化すように、


「あー、詩音先輩は不良大学生ですね。ダメですよ。未成年がお酒飲んだら」

「本当にごめんなさい。華恋ちゃんは真似しないでね?」

「私は優等生なので、真似なんてしませんよ」


 華恋は詩音の手を取ると、そこに香水の瓶を渡してきた。


「これ、差し上げます。臭いをごまかすのに使ってください」

「え、いいの?」

「いいですよ。いっぱい買ってありますから」

「じゃあ、ありがたく貰おうかな」


 華恋はにこりと笑った。


「はい。絶対に使ってくださいね」

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