第17話 蒼白く冷たい怒り

 ヒラクがなぜ夜中に家を抜け出したのか、イルシカは問いただそうとはしなかった。そのかわり、一人で何かを考え込むことが多くなった。ヒラクはそんな父の様子が気になった。


 季節は春を迎えていた。


 ヒラクは、シカを獲るための罠を仕掛けに山の奥へ入ろうとするイルシカについていった。狩りが始まれば、以前のように生き生きとした父の姿が見られると思った。


「父さん、今年もいっぱい獲物がかかればいいね」


 帰り道、川筋に沿って歩きながら、ヒラクはイルシカに言った。


「今年、か……」


 イルシカはヒラクをじっと見た。


「おまえ、今年でいくつになる?」


「十二だよ」


「……そうか」


 それきり、イルシカはまた黙ってしまった。


「父さん、あのさ、おれ、最近つまんないんだ。アスルもイメルもペケルおじさんの猟団で狩りに励むっていうしさ、『子どもの遊びはもう卒業だ』なんてえらそうに言っちゃってさ」


 黙りこむ父の様子が不安で、ヒラクは早口にしゃべりだした。


「イメルなんて最近ひげなんて生やしてさ、前よりもっと年上ぶるし、アスルもおれよりでかくなったからえらそうなんだ」


 そう言って怒ってみせたが、イルシカは何も言わない。


 ヒラクは足を止めてつぶやいた。


「……なんでおれはあいつらとはちがうんだろう」


 それを聞いたイルシカもまた足を止めた。


「おれが異民族の子だから? おれはみんなとはちがうの?」


「そうじゃない!」


 イルシカは声を荒げ、ヒラクの言葉を否定した。

 ヒラクは驚いてイルシカを見た。


「父さん?」


「……帰るぞ」


 イルシカは背を向けて再び歩きだした。ヒラクには見えないその表情には苦渋の色があった。


             

 イルシカと家に戻ったヒラクはしょんぼりとして元気がない。心配したユピが声をかけた。


「何かあったの?」


「……なんでもない」


 ヒラクは小部屋の隅でひざを抱えて座りこんでいた。

 ユピは何も聞かず、ヒラクの隣に腰を下ろした。


「……おれ、父さんに嫌われているのかもしれない」


 そう口に出して言ってみると、涙がこらえきれなくなり、ヒラクは抱え込むひざの間に顔をうずめた。


「ヒラク……」


 ユピは、なぐさめるようにヒラクの肩に手を置いた。


「そんなことあるわけないよ」


「だって、父さんはおれを無視するんだ。おれが、こんなだから! イメルみたいにひげもはえない。アスルみたいに大きくもならない。おれだけが変わらない。そんなおれに父さんはきっとがっかりしてるんだ」


 ヒラクはユピの胸に飛び込み、声をあげて泣きじゃくる。


 ユピもまた成長していた。華奢ではあるが、骨格がしっかりしてきた。ほっそりとした手の指も、節はしっかりとしている。その指先がヒラクの両肩に食い込んだ。


「痛いよ、ユピ」


「ヒラク、君は、君はね……」


「ヒラク! いるか?」


 ユピが真剣な表情で何か言いかけたとき、外から誰かが呼ぶ声がした。

 涙をふいてヒラクが外に出ると、そこにはイメルがいた。


「ちょっと、いいか」


 イメルはヒラクをどこかに誘い出そうとする。ヒラクはふり返り、炉の前に座るイルシカを見たが、声を掛けてくる様子もない。


「ちょっと行ってくる」


 ヒラクは独り言のようにそう言って外に出た。

 イメルはヒラクが出てくると、川筋に沿って歩きだした。


「何だよ、イメル」


 ヒラクは怪訝な顔をする。イメルが一人でやってくることなどほとんどない。ましてや最近は共に行動することもなくなってきていた。


「ピリカのことなんだけど」


 イメルは木立の中に入ると足を止めた。


「ピリカがどうかしたの?」


「ああ」


「何?」


「ピリカは今、おまえのために刀掛けの帯を作っている。一生懸命、心をこめてな。それが何を意味するかわかるか?」


「……全然」


 ヒラクはきょとんとしている。

 イメルは唇を引き結ぶようにして少し黙ると、息を大きく吸ってから、吐き出すようにして言った。


「ピリカを傷つけるのはやめてくれ」


「……何のこと言ってるのかさっぱりわかんないよ」


 ヒラクはぽかんとした顔で言った。

 イメルは真剣な目でヒラクをじっと見た。ヒラクの中の何かを見抜こうとするかのように。


「ヒラク……」


 イメルはじりじりとヒラクにつめ寄った。いつもとはちがう様子にヒラクは恐怖を覚え、思わず後ずさりした。


「あっ……」


 隆起した木の根にかかとをひっかけて、ヒラクはその場にしりもちをついた。

 イメルはそのままヒラクの上に馬乗りになった。


「何するんだ、はなせ!」


 ヒラクはもがくが、イメルの力は強く、その手を振りほどくことができない。


「ヒラク、おれは、本当のことが知りたいんだ。確かめたいんだ」


 イメルは両手でヒラクの胸ぐらをひきつかんだ。


「何するんだよ!」


「うっ……」


 ヒラクがもがくと、突然、イメルはうめき声をあげ、ヒラクにおおいかぶさるように前のめりに倒れこんだ。


「ユピ!」


 体を起こしたヒラクは驚いて叫んだ。ユピが青ざめた顔でその場に立っている。足元には大きな石が転がっていた。


 イメルは後頭部をおさえ、何が起こったのか確かめるようにふり返った。

 ユピは起き上がろうとするイメルを押し倒し、両手でイメルの首をしめた。

 イメルの首にユピの細い指が食い込む。

 イメルは苦しそうに顔を歪めた。


「ユピ、やめて! イメルが死んじゃうよ!」


 ヒラクは叫ぶが、ユピはその手をゆるめようとはしない。表情一つ変えず、苦しむイメルを冷淡に見下ろしている。

 そのぞっとするような冷酷さは、ヒラクの知るユピの姿ではなかった。


「ユピ、やめろ!」


 ヒラクは体当たりしてユピを突き飛ばした。

 ユピは地面にすべり込むように倒れた。

 イメルは激しく咳き込むと、後頭部を押さえ、傷口の痛みにうめいた。


「イメル、だいじょうぶ?」


 ヒラクは駆け寄ってイメルを助け起こそうとしたが、イメルはヒラクの手を振り払って自分で立ち上がった。


「……狂ってる」


 イメルは肩で息をしながら、倒れたままのユピを見下ろした。


「このままではすまさないからな」


 吐き捨てるように言うと、イメルはよろめきながらその場を後にした。


「ユピ! ユピ! しっかりして!」


 ヒラクは、ぴくりとも動かないユピの体をゆさぶった。


「ヒラク!」


 声がして、ヒラクは涙で濡れた顔で振り返った。


「父さん……」


 そこには今まさに駆けつけたイルシカの姿があった。


「どうした? 何があった?」


「ユピが……」


 イルシカは、倒れているユピに気がつくと、駆け寄り、上体を抱き起こした。ユピはまぶたをぴくりと動かした。


「だいじょうぶだ。帰るぞ」


 イルシカはユピを肩にかついで歩きだした。ヒラクは心配そうにユピを見上げる。


「イメルはどうした?」


「……」


 ヒラクは答えず、顔を伏せた。イメルともみあったことでヒラクの衣服が乱れていた。その様子を痛々しく思ったイルシカは、それ以上は何も聞かなかった。


            

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