第16話 夜明けの確信


 ペケルの家に着くと、ピリカとルイカが入り口の前の土間に立って待ち構えていた。


「ヒラク! だいじょうぶなの? ケガはない? みんな無事ね」


 ルイカは全員の無事を確かめるように、一人ひとり順番に体をなでさすりながら中に入れた。

 その後ろでピリカは心配そうにヒラクをみつめていた。

 クマ送りの一件以来、二人は口を聞いていない。

 ピリカはヒラクに嫌われたと思っていたし、ヒラクもピリカを泣かせたことで気まずい思いがあった。


「みんな、火にあたって。濡れた服は脱いで」


 ルイカの言葉で子どもたちはを囲むようにして座った。

 ペケルはまだ廉戸すだれどに手をかけ、入り口に立ったままだ。


「俺はいい。ちょっとイルシカの家まで行ってくる。心配するといけないからな」


「だいじょうぶだよ。気づかれないように出てきたし」


 けろっとして言うヒラクをあきれ顔で見ると、ペケルは廉戸の向こうに姿を消し、イルシカの家に向かった。


「それで? ヒラク、死者の国はどうだったんだ?」


 アスルは先ほどから聞きたくてしかたなかったことをやっと口にした。


「別に。そんなもの何もなかったよ」


 ヒラクは不機嫌に答え、それきり黙りこんだ。アスルはその言葉に納得しなかった。


「本当は怖くなって途中で引き返したんじゃないのか?」


「何だと?」


 ヒラクはアスルをにらみつけた。


「まあ、でもヒラク、よく思いついたな。木の幹に縄を巻きつけて上から降りるなんて」


 イメルがヒラクをなだめすかすように言うと、その言葉にルイカが反応した。


「そんな危ないことをしたの!」


 イメルは、しまった、というような顔をした。


「クマ送りのことがあったばかりじゃないの。どうしてあんたはいつもみんなに心配かけるの。あんたといい、あんたの父さんといい、どうして騒ぎを起こすようなことばかりするの」


 ヒラクは、いつもの説教が始まったとばかりに首をすくめた。


「まあまあ、母さん。こうしてヒラクが無事だったのも、あの川の神のおかげかもしれないよ」


「川の神が死者の国の入り口をふさいだのかもな」


 イメルに続いてアスルも自分を納得させるように言った。


「おばさん、おじさんは川の神に向かって『妻にしたい女はもっと美しい!』って叫んだんだよね?」


 ヒラクは、若い頃のペケルと川の神がまったく無関係に存在していたように見えたことを思い出して、確かめるように尋ねた。


「やあね、誰に聞いたの? あんたたち、そんなことまでヒラクに言ったの?」


 ルイカは急に照れたようにヒラクから目をそらすと、アスルとイメルをとがめるように見た。


「作り話よ、作り話」


「でも、おじさんは確かに川で叫んでた!」


 ヒラクはルイカの言葉に納得しなかった。

 その目で確かに見たからだ。


「どうしたの、ヒラク? そんなにむきになって。おばさんは別におじさんが叫んでないとは言ってないわよ」


 ルイカは目を瞬かせて不思議そうにヒラクを見た。


「でも、作り話って……」


「あの川の神が美しいだなんて、あの人が言い出したことだもの。穴に入ろうとした男が、死んだ自分の妻はもっと美しいと言ったって話もね。私の気を引くための作り話。だまされて結婚しちゃったわ」


 そう言ってルイカはフフフと笑う。


「じゃあ、大人になったら遊べないっていうのもうそだったのか」


 イメルは顔をしかめて言った。


「いつまでも遊んでないで狩猟に励めってことよ。あんたも父さんにだまされたわね」


 母の言葉にイメルもアスルもがっかりした思いだった。

 それでもヒラクはどうにも納得がいかない。

 それがすべて作り話というなら、なぜ川の神は美しかったのか? 

 イメルとアスルが思い浮かべたとおりの容姿をしていたのか? 

 ヒラクはふと沼の神のことを思い出してルイカに尋ねてみた。


「おばさん、おれの家の近くに沼があるだろう? あそこの神さまの話、何か知らない?」


「沼?」


「小さな沼があるんだ。夫婦の神さまがいて……、女の人が狼に襲われて……、おじいさんとおばあさんが泣いていて……」


「ああ、沼の夫婦神の話ね。あの沼はヒラクの家の近くだったかしらね。誰かに聞いたの?」


「……うん、まあ。それで? おばさん、何か知ってるの?」


「村に昔から伝わっている話よ。


『ある夫婦に美しい一人娘がいた。

 その娘は山に木の実を採りに行ってそのまま行方知れずになった。器量のいい娘だったから、神の国にもらわれていったのだろうと村人たちはうわさした。

 けれども夫婦はあきらめきれず娘を探した。

 それから月日が経ったある日のこと、老いて弱った身で自分を探し続ける両親を哀れに思い、娘が姿を現した。

 そこは山の中にある沼だった。

 娘は昔と変わらぬ若く美しい姿で、立派な若者とよりそって沼の中から現れた。

 そして言った。

「父さん、母さん、心配しないで。私はこの沼の神と結婚して、神の国で幸せに暮らしています」

 それを聞いて夫婦はやっと安心することができた』」


「狼は? 狼に襲われた話は?」


 ヒラクは納得のいかない思いで聞き返した。


「狼? 何のこと? 村に伝わっている話はこれだけよ」


「……」


 ここでも話が食いちがう。自分が見たものは何なのか? 

 ヒラクは再び混乱した。


「ああ、もう! ちっともわかんないよ」


 緑の髪をかきむしりながら叫ぶと、そのままヒラクは両手を広げ、あお向けに寝転がった。


「もう寝る。疲れた」


 目を閉じると、体が泥の中に沈みこんでいくようにすぐに眠りは訪れた。



「ヒラク!」


 眠りを妨げたのはイルシカの声だ。ヒラクはびっくりして体を起こした。


「ばかやろう! 心配かけやがって!」


「父さん、なんでここに……」


 イルシカと一緒にペケルが中に入ってきた。


「俺がおまえの家に向かう途中、ちょうどおまえを探すイルシカたちと出くわしたってわけだ」


 そう言うペケルの横で、イルシカは安堵のため息をついた。


「まったく。おまえが戻ってこないとユピから聞いて、眠気も一気に吹き飛んだぜ」


「ユピが?」 


 その言葉に反応するように、ユピがためらいがちに外から中に入ってきた。


「ヒラク……」


 ユピはほっとした表情でヒラクのそばに来た。


「よかった、無事で……」


 ヒラクを抱きしめるユピの体は冷え切っていた。ほとんど外に出ることのないユピが自分を探すためにここまで来たということを思うと、ヒラクは申し訳ないような、後悔にも似た気持ちになった。


「ごめん、ユピ」


 ヒラクは初めて自分の行動を反省した。


 その様子を見て、その場にいた者全員が黙ってしまった。

 二人の間に誰も入り込む余地はなかった。


 ピリカは目に涙をあふれさせた。自分の知らないヒラクがそこにいるような気がした。

 それはイメルも感じていた。けれどもそれはピリカのような悔しさからではない。イメルが気になったのは、ユピがヒラクを見る目だ。

 イメルの中で疑問に思ってきたことが、一つの線で結ばれようとしていた。


「帰るぞ」


 二人の様子を不快そうに見ていたイルシカが沈黙を破った。


 まもなく夜が明けようとしていた。

 月がまだ残る空に朝日が昇ろうとしている。

 青白い一面の雪が朝の光で桃色に染められていく。

 外に出たユピはその光景に目を細め、白い息を吐いた。


「あの子、気味が悪いわ」


 見送りに出たルイカがつぶやいた。


「誰がだ?」隣でペケルが聞き返した。


「ユピよ。こんなに近くで見たのは初めてだけど、この世のものじゃないみたい」


「この世のものじゃないぐらいきれいだってか?」


 ペケルは茶化すように言うが、ルイカはにこりともしない。


「確かにきれいな子よ。でも、美しいというより禍々まがまがしいといった方がいいかもしれない。……ぞっとするわ」


 風の冷たさにルイカはぶるっと身を震わせた。


「俺にはおまえが一番きれいさ! 妻にした女は誰よりも美しい!」


 ペケルは明るくそう言って、ルイカの肩を抱き寄せて家の中へ入った。


「母さん」


 二人を待ち構えていたかのように、イメルが入り口に立っていた。

 アスルとピリカはの脇で寝入っている。


「眠れないの?」


 ルイカの言葉にイメルはうなずく。そしてためらいがちに言う。


「母さん、ヒラクは、もしかして、本当は……」


「いいから早く寝なさい」


 ルイカはイメルの言葉をさえぎって中へ入ると、イメルに背を向けたまま炉火にまきをくべた。

 イメルはそのまま黙り込んだが、母のその態度はむしろ、イメルの予感を確信へと近づけた。

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