第13話 死者の国


 クマ送りの混乱も収まりきらないまま、冬の終わりを迎える頃、村の大巫女である老婆が死んだ。


 ルイカたちの住む家と隣り合っている老婆の家には、ペケルの姉である長女、妹である次女、その娘たちなどがかけつけた。


 アノイの女たちは必ず柔らかい樹皮の繊維を編んで作った腰帯こしおびを直接肌に着けている。自分を守るものとして、一人前の女になったのを機会につけるもので、絶対に他人には見せてはならないものだ。それは、母から娘へ、その製法や形を受け継いでいくもので、同じ女系じょけいに属する者は同じ下帯したおびを身につけた。系統がちがえば、その形から締め方まで異なる。嫁であるルイカは老婆の系統に属さないため、ちがう下帯を身につけていた。


 女の死者が出た場合、同一系統の帯の女たちが帯を新しいものにとりかえ、しめ方を変える。それから老婆が生前用意していた死装束を着せてやる。死者の脚絆きゃはん、死者の手甲てっこう、死者の帯、履物はきものなどであり、色は黒か白と決まっていた。一重衣は生前着ていたものでいい。これらを身に着けた死体の上に刺しゅう衣をかけておく。


 そして葬式が行われる。老婆は村の大巫女であり、助産もすれば、病の祈祷などもした。そのため、村中の人間、特に女たちが、最後の別れに老婆の家におしかけた。  

 歌うように泣くのはほとんど葬式の際の習俗であり、女たちはわざとらしいまでに声をはりあげて泣きながら、死者の体をなでさすった。


 その間、ペケルは亡き母のための墓標を作っていた。


 アノイの村では、死者が出たその日のうちに野辺送りするのが望ましいとされている。ペケルは近所の者たちと山に木を刈りに行った。その木を老婆の背丈と同じぐらいの高さにし、先端をくりぬき、針のような形にする。そこに生前老婆が頭に巻いていたアノイの女特有の長くて幅の広いはちまきを結びつける。これが老婆の墓標だった。


 その墓標を先頭に、かつぎ棒に吊るされて運ばれる老婆のしかばねと日常用具や装身具などの副葬品を運ぶ人々の葬列が、山の中にある墓地まで雪深い中を進んでいく。


 墓地では先に村の男たちが雪を掘り出していた。

 やがて土が現れると、以前立てた墓標の跡がないことを確かめて、今度は土を掘り始める。


 葬列の人々がたどり着くと、掘られた穴に老婆の屍と副葬品が埋められる。副葬品は必ず破壊しておく。破壊されることで、その物の霊が物質から離れ、死者たちが暮らす国で再び使われることになると考えられているからだ。


 土がかぶされると墓標が立てられる。真新しい老婆の墓標の周りには古い墓標がちたり倒れたりしている。墓標をつえ代わりにして、すでに死者は旅立っているのだ。これから死者の国へ向かう老婆が、旅の途中で水に渇くことがないようにと、手向けの水を墓標とその前にわん型に盛った土にかける。


 これで完全に死者と生者は決別する。墓地は死体の投げ捨て場でしかない。肉体は朽ちて土に返る。そして魂は離れていく。


 葬送からの帰途、参列者は決して後ろを振り返らない。死霊の追いかけてくることを怖れるからだ。


 アノイにとって死はけがれだ。


 老婆が住んでいた家は焼き払われた。破壊して埋葬した副葬品同様、死者に家を持たせてやるのだと言う者もいるが、死者が家に帰ってたたりや災いを引き起こさないように焼いてしまうという意味もある。


 これら一連の流れに、イルシカもヒラクも一切関わることはなかった。

 だからヒラクにしてみれば、老婆が家ごと忽然こつぜんと消えたように思えた。


「おばば、どこ行っちゃったんだろう」


「死者の国だよ」


 ヒラクのつぶやきにイメルが答えた。


 ヒラクは、イメルとアスルと雪すべりをして遊んでいた。着物のすそをまたに挟んで両手でつかみ、雪の斜面をすべり降りる。

 アスルはもう一度すべろうと、雪に足をとられながらも斜面を駆け上っていく。

 ヒラクとイメルはその様子を下から見ていた。


「死者の国ってどこにあるの?」


「地下の国とも言われているから地面の下にあるんじゃないか?」


「地面ってこの下にあるの? だから死体を埋めたの? 生き返ったらさらに穴を掘って地下の国に行くの?」


「死体は生き返ったりしないよ。死者の国に行くのは魂だけさ」


「魂って重いの? だから地下で暮らすの?」


 しつこく問い続けるヒラクにイメルはすっかり困ってしまった。

 イメル自身そんなことはわからない。ただ大人たちが言うことをそのまま真似して言っているだけで、死者の国のことなど深く考えたこともない。


「とにかく、おばばは死者の国でこっちにいた頃と何も変わらず暮らしているよ。それでいいじゃないか」


 イメルはめんどくさそうに言った。

 しかし、それで納得するヒラクではなかった。


「そこでまた同じように死んだらさらに地下の国に行くの?」


「死者の国のさらに地下は、じめじめした嫌なところで、この世で悪いことをした人や悪い神様が行くところだって言われているよ」


「神さまでも悪いことしたらそんな嫌なところに行くの? 神さまでも人でも一緒ってこと?」


「まあ、神さまにもいろいろあるってことさ」


「ふうん」


 ヒラクは何か考えるように黙ったが、イメルがほっとしたのもつかの間、すぐにまた質問を繰り返した。


「それで? 死者の国で死んだらどうなるの?」


「死なないよ。もうすでに死んでいるんだから」


「死なないでずっとそこで暮らすの?」


「ああ、そうさ。そこでは何も思いわずらうことはないんだ。病気をすることもなければ死ぬこともない。永遠にそこで楽しく暮らすんだ」


 イメルは、そこまで言えばヒラクも納得するだろうと思った。けれどもヒラクの頭の中には疑問が渦巻くばかりだった。


「全然わかんない。そこでずっと暮らすっていうなら、死者の国は死んだ人でいっぱいになっちゃうじゃないか。次から次とどんどん来るし、その前に死んだ人もたくさんいるし」


「生まれ変わるってこともあるっていうし、いっぱいにはならないよ」


「死んだ人が戻ってくるってこと? どうやって? だってみんなここと変わらない生活をしているんだよね? 何で急に戻ってくるの? そしたら永遠にそこで楽しく暮らすことにならないじゃないか」


 ヒラクは次から次と疑問をぶつけた。イメルはげんなりとした様子で、ついに黙り込んでしまった。


「さっきから何の話だよ?」


 雪すべりに飽きたアスルが二人のところに戻ってきた。


「ヒラクが死者の国のことを知りたいんだってさ」


 イメルはお手上げだというような顔で言った。


「おれ、死者の国への通路がある場所知ってるぜ」


 アスルは自慢するようにヒラクに言った。


「本当? どこ? どこにあるの?」


 ヒラクはアスルの言葉に飛びついた。


「おい、まさかおまえ、あれのこと言ってるのか?」


 イメルは眉をひそめた。


「あれって何、あれって?」


 こうなるとヒラクはしつこく、好奇心を満たすまであきらめない。


「……連れて行くしかないな」


 イメルは、あきらめたようにため息をついた。






・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ヒラク…アノイ族の父と異民族の母の間に生まれた緑の髪の子ども


イメル…ヒラクのいとこ


アスル…ヒラクのいとこ


ぺケル…ルイカの夫、ヒラクの伯父


ルイカ…ヒラクの父の姉、ヒラクの伯母


アノイの大巫女…ルイカの姑、イメル、アスルの祖母

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