第12話 魂の行方

 こんなことは前代未聞のことだった。

 翌日の儀式は当然中止となった。

 ヌマウシは神に見放された熊とされ、死体はその場でずたずたに切り刻まれてカラスや犬のえさにされた。本来なら儀式の後、先祖伝来の解体をし、肉や皮は村人に利用されるが、ヌマウシの頭骨は祭壇で祀られることもなく、野山に転がり風雨にさらされることになる。


 ピリカは泣いた。


「ヌマウシがかわいそう……」


 その言葉に反応し、部屋の隅でひざを抱えてじっと座っていたヒラクは顔を上げた。


 子どもたちを連れてルイカがイルシカのもとを訪れたのは、クマ送りが行われるはずだった日の翌日のことだった。


「本当なら今ごろは、神の国に送られて幸せに暮らしていたかもしれないのに……」


「おれのせいだな」


 ヒラクの声が震えた。


「わたし……そんなつもりじゃ……ただ……」


 ピリカはわあっと泣きだした。


「やめなさい、二人とも」


 ルイカが割って入った。


「だれのせいでもないわ。そうでしょう? イルシカ」


 イルシカは黙して何も語らない。

 ルイカはため息をついた。


「子どもたちから大体のことは聞いたわ。……ばかね。わざと騒ぎを大きくしたのね」


「ふん、別に。俺に悪神が憑いていると言った村の連中への腹いせさ。おやじの顔にも泥をぬれてせいせいしたぜ」


 そう言いながらもイルシカは、失意のどん底にある老いた父のことを思うと胸が痛んだ。

 それでもイルシカには何より守りたいものがあった。


「いいか、今回のことは俺一人がしでかしたことだ。ヒラクは関係ねえ。おまえらも、このことは忘れろ。わかったな!」


 イルシカの言葉に、イメルもアスルもただ黙ってうなずいた。ルイカは泣きじゃくるピリカを胸に抱き寄せながら、あきらめたように再びため息をついた。

             


 ヒラクはヌマウシが父に殺された晩以来、ろくに眠れずにいた。

 目を閉じると、自分を襲おうとしたヌマウシの姿がまぶたの裏に浮かぶ。

 目を開け、寝返りを打ち、再び目を閉じると、今度は父にとどめを刺され息絶えたヌマウシの姿が脳裏によみがえる。

 なぜこんなことになったのか……。

 ヒラクは涙をぬぐい、ため息をついた。


「ヒラク、眠れないの?」


 隣で横になっているユピが声をかけた。


「うん」


 ヒラクはユピの方に体を向けた。


「ヌマウシのこと?」


「……うん」


「つらかったね」


 ユピがやさしく言うと、ヒラクの目にみるみる涙があふれた。


「……わからないんだ。なんでこんなことになったのか。おれはただヌマウシを自由にしてやりたかっただけなのに。ただ黙って殺されるのを見たくなかった。それなのに……」


「うん、君は何も悪くない。悪くないよ」


 ユピはなぐさめるように言った。


「ユピ、死んだらどうなるの? ヌマウシの魂はどこにいったの? 神の国ってどこにあるの? 儀式で殺すことがヌマウシのためだったの?」


「さあ、僕にもよくわからないな」


 ユピはヒラクから目をそらすと、どこか一点をみつめてぽつりとつぶやいた。


「……でも魂は永遠だと思う」


「えっ?」


 ヒラクはユピの顔を見た。暗がりのせいか、まるでちがった顔に見える。


「魂は不滅……、肉体は魂の器にすぎない。神の国はここにある。神はここにいる。神はここに……神は……」


「ユピ? ユピ、どうしたの?」


 ヒラクの声にユピはハッとして我に返った。それと同時に激しい頭痛に襲われた。


「ユピ! だいじょうぶ?」


 ヒラクは体を起こし、頭をおさえるユピの顔を心配そうにのぞきこんだ。少しして、ユピはヒラクを安心させるように、弱々しいながらも笑顔を見せた。


「だいじょうぶだよ」


 ユピは今にも泣きだしそうなヒラクの頬に優しくそっと手をのばした。


「ユピ病気なの? 病気ならおばばに治してもらうといいよ」


 「おばば」とは、ヒラクの出産にも立ち会ったルイカの姑であり村の大巫女である老婆のことだ。今ではほとんど外に出ることもなく家でじっとしているが、病気の祈祷をしてもらうために老婆のもとを訪れる者も少なくない。


「病気なんかじゃないんだ。ただ、夢を見るだけ……」


 そう言って、ユピは表情を曇らせた。


「……いつも、知らない場所の夢を見る。はじめは、子どものときの記憶だと思っていた。なつかしい感じがしたから」


「どんなところ?」


「すごく広い、お城みたいなところ。赤い絨毯じゅうたんの上を僕は歩いている。誰も知らない、秘密の部屋……。僕はそこへ向かっている。その部屋には、布をかぶった何かがある。呼ぶんだ、その何かが。布を取ると、僕は、僕は……」


 ユピは顔をしかめ、額をおさえた。


「ユピ、もういいよ、もう思い出さないで」


「ヒラク……。僕の手を握っていてくれる?」


 言われるまま、ヒラクはユピの手を握った。ユピはその感触を確かめるように何度も握りなおし、つないだ手を自分の唇にあてるようにして目を閉じた。


「時々、自分がわからなくなるときがある。夢が現実のように生々しい。今いるこの僕こそ誰かの見ている夢なのではないだろうか。君といるこの今こそ夢では……。それならいっそ目覚めなければいい。このまま僕をこの夢につなぎとめておいて。お願いだ、ヒラク。どうかこの手を離さないで……」


 ユピは泣いていた。ヒラクはただ強くその手を握っていた。


 ユピの苦しみも、ヌマウシの魂も、救う存在というのはあるのだろうか。

 神とは一体何なのか……。

 ヒラクの中にある疑問は大きくなっていく。

 川の神とはちがう、沼の神ともちがう、もっと大きな存在をヒラクは求めていた。


(偉大なるプレーナ……)


 ヒラクの遠い記憶が呼び覚まされた。






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【登場人物】

ヒラク…プレーナを信仰する異民族の母とアノイの長の息子イルシカの子。

イルシカ…ヒラクの父

ルイカ…イルシカの姉。ヒラクの伯母。

イメル、アスル、ピリカ…ルイカの子どもたち。ヒラクのいとこ。

ヌマウシ…ヒラクが可愛がっていた熊の名前

ユピ…イルシカに拾われた異国の少年。ヒラクの家族。


★近況ノートに人物相関図あります


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