第4話 ♪アジサイの彩りと「時のせどりや」

――暦を司る神さまを時神ときがみとしてあがめる人たちがいる。その使者として時を旅する者たちは暦人こよみびとやカレンダーガールと呼ばれている。その時間移動には太陽と月の光、そしてそれらを祀る場所に開く「時の扉」が使われる。いにしえより続く、限られた人たちだけが、その役目のために隠密行動で時を超える。そして彼らの原動力は、いつの時代も人の世のやさしさ――



相南岩戸神明社あいなみいわとしんめいしゃ

「マスター、そっち持ってよ」と井村が威勢良く指示する。フォトギャラリーカフェ「さきわひ」の常連客だ。近所に住んでいるためお祭りにかり出されるのも一緒だ。

「はい」と山崎。こっちが「さきわひ」のオーナーである四十代後半のおじさんである。遠近両用眼鏡を頭に載せ、綿パンにTシャツ姿だ。湘南地域、相南市あいなみしの外れに住んでいる。


「こっち針金で止めておくから、中の骨になる輪が見えないようにかやをいっぱい添えて、あてがってよ」

 山崎は、足下から茅の束を取ると金属で出来た骨輪にあてがった。の輪作りだ。この神事で察しの通り、今の季節は夏の入口の頃である。


 山崎凪彦やまさきなぎひこは時間を越えて、時神の託宣を実行する暦人である。この物語シリーズではメインキャラクターのひとりでもある。しかもその中でも、時の宿やどと呼ばれる講元こうもと宿を持つ暦人御師こよみびとおんしだ。このことは井村などの一般の人は知らない。隠密行動となる。


 現代における講元宿は、江戸時代のような宿泊設備は無いが、時間旅行で迷子になった者や、託宣でこの時代に飛んだ暦人達に、この時代の情報を渡すためのインフォメーションセンターとして重要な場所である。それが先ほどのお店「さきわひ」という。


 彼ら暦人は「七色の御簾みす」と呼ばれる時を越えるタイムゲートを使って時間を行き来することが出来る。そのタイムゲートは各地区の有力神社や古い教会などに存在している。


 さて話を戻そう。物語を進めていく。現在この神社でお手伝いをしている彼、山崎は総代補佐。要は氏子衆うじこしゅうのまとめ役のひとりである。無き祖父から受け付いた役職だ。山崎の班は茅の輪本体を、もう一組は茅の輪を立てるための外枠を作っている。四角形の枠を作り、中に茅の輪を収めて、上下左右を紐で縛り固定するのである。


 相南市岩戸地区鎮座の岩戸神明社の水無月祓みなづきはらえの準備に、地元の氏子地域の人たちが奉仕する季節。一般には大祓おおはらえと称するこの神事は、毎年六月と十二月の晦日みそかび、つまり末日に無病息災や健康を願って、お祓いをする神事である。各地の一般的な神社でもこの神事は行われるため、ご存じのかたも多いはずだ。特に六月のこの神事は茅の輪くぐりをすることでも知られている。


 祭半纏まつりばんてん法被はっぴ姿、作務衣さむえ、作業着の者もいる。男たちは茅の輪を作り、女性たちは昼御膳の準備である。出来た御膳はまずは神さまにお供えされ、その後、作業の者たちにもお直会なおらえ、昼食として用意される。


 相模湾からは三、四キロは離れている岩戸地区だが、梅雨前から夏の初め頃にかけて、潮の香りが風に乗ってやってくる。勿論海辺ほどの強い香りではないが、この香りが漂うと、風が南風に変わったということで、湘南地域の夏の始まりが感じられる。水無月祓と潮風が彼らに、ワクワクする季節の到来を告げているようだ。


 参道の先、階段の下に女性の人影が見えると、井村が、

「あ、有明ありあさんだ」と手を振る。

 元町地区のスーパーギンビスの若奥さんである。最近跡取りの婿を迎えた彼女。岩戸神明社とはご縁のある家で、持ち回りの総代を務める三家のひとつ。すなわち山崎家とも馴染みある家だ。山崎とは小学校の後輩にあたる関係だ。


 階段を登りきった有明が井村と山崎を見つけると、

「あら、井村さん、山崎さん、こんにちは」と頭を軽く下げた。

 二人もお辞儀を返す。

 井村は懐かしいそうな顔で、

「今日は、実兄の弦さんも来るの?」と笑う。そして「しばらく会っていないので、会いたいって言っておいてよ」と加えた。

「はい」と有明。そして「それで、私の兄とはどこかで?」と有明が訊き返す。

「若い頃は、弦さんの出ているライブによく行ったもんですよ」と笑う。

 山崎も、

「相南桜台の人たちは、結構弦六さんのパフォーマンスを目にする人は多かったもんでね」と嬉しそうだ。

「確か、母上と弦さんと有明さんでこの町に越してきたんですよね。有明さんが小学校一年生の時」

「はい。母が祖父の元に出戻って来たので。その後、兄は、父との間を行ったり来たりしていました。私はなんか父がなじめなくて、こっちに居っぱなしでしたけど」

「お父さんって、東京?」と井村。


「まあ、東京です。三田と浜松町の中間くらいの場所で細々と一勘書房いちかんしょぼうという古書店をやっています」

 特に嫌がる素振りも無く有明は話す。ちなみに山崎はこの古書店の常連だが、ここは沈黙を通すことにした。


「専門書でね。大学図書館に下ろしたりしているみたいですよ。埃っぽいから私は好きじゃ無いんです」と笑う。

「あ、それで、兄の話ね。実は五、六年前から手紙しか来なくなって、私も会っていません。なんでもヴォランティアとかチャリティーとかで忙しくなったって。なんにでも興味を持って凝ってしまう人ですから」

「あの弦さんがねえ」と井村。

 有明のその言葉に、ふたりは、

「大人になると生き方も皆それぞれですね」と感慨深く頷いていた。

 

浜松町

「こんにちは」

 浜松町の一勘書房いちかんしょぼう、今さっきの噂にもなった店先に八雲半太郎やぐもはんたろうが顔を出す。まだ午前中だ。


 八雲半太郎は、渡良瀬わたらせ自由大学准教授の教員である。そして足利あしかが市の梁田やなだ御厨みくりや付けの暦人御師でもある。文献を探し求めて週末は都内に出てくることが多い。しかも下駄履きで。風貌は丸めがね、顔にはそばかすと七三分けの刈り上げカット。よれたスラックスは、良い具合に下駄とマッチして見える。マントに学生服で無いのが不思議なくらいの蛮カラに近いファッションのキャラクターである。暦人仲間は一見、探偵小説の金田一耕助に見える彼を足利の名物御師と陰で囁いている。


 この一勘書房は暦人御用達の古書店として都内では唯一の存在である。

「やあ、八雲くん」と店主の島慶文しまけいぶんが丸眼鏡の奥から笑みを浮かべる。有明の父である。ハタキをかける手を止めた。

「慶文さん。良いの入りましたか?」

「いやいや。だって先週も来たじゃないか、君。一週間で在庫はそんなに変わらないよ」

 そう言いながら常連の八雲を店先の簡易的な椅子にすすめる。

「まあ、お茶でもどうぞ」と穏やかな顔で慶文は楽しそうである。こういう商売はお得意さんとの無駄話に意味がある。


 表通りから少し入った古書店の店内は、高く積まれた本の山と紐で組まれたセット本が無造作に置かれている。人のいるスペースなどほんの僅かな店である。

「じゃあ、ちょっとだけ失礼して……」と半太郎が言いかけて、店に半歩足を踏み入れた瞬間だった。

「おう、ハム太郎君じゃ無いか」と聞き慣れた声。


 八雲には誰かすぐ分かった。無視するわけにも行かず、声の主の方を向き直る。

 旧友の夏見粟斗なつみあわとと白地に小バラ花模様のプリントスカートの女性が数メートル先に見える。こちらに歩いて来る。夏見はいつもの偏光グラスに、細いカジュアルタイ姿だ。


「毎回毎回学習しないやつ。今はお連れさんがいるようなので、誤解の無いように言っておくが、僕の名前はそんなネズミのテレビマンガと一緒ではない」

 諦めたように、それでいながら割り切った顔でしっかりと釘を刺す。


 そして「珍しいなご婦人と一緒とは。彼女か?」と八雲。シンプルだがエレガントな装いの女性が彼の目に映る。


「そうなんだよ。彼女にしてくれなくちゃ、死んじゃう、って、だだこねられて仕方なくさあ……」と言いかけたところで、その女性は持っていた譜面らしき大きな本で夏見の頭をパコンと軽く叩いた。

「わたしが、いつ、そんなこと言いましたか?」と殺気だった目つきである。

「ってー」と頭を押さえる粟斗。


 八雲はあきれ顔で、

「君は相変わらずだな」と目を細める。そして、「いい加減、その性格直したらどうだ」と笑う。

 その女性は八雲の方を向き直ると、

「私、角川栄華かどかわえいかといいます」と八雲にお辞儀をする。


 すると八雲は納得したように、

「ああ、あすかさんのお身内の方だ」と頷く。

 そして「よろしく」とお辞儀を仕返すと、夏見の方を見て、

「……だと思った。モーメント賞ピアニストだ。夏見きみがこんな綺麗な彼女を作れるわけが無い」と言う。


「あら、私のこと、ご存じなんですね。光栄だわ」と褒められて悪い気のしない栄華。

「ええ、これでも暦人なんでね」

「ん?」と人差し指で口元の横を押さえる栄華。首を軽く傾げる。この思案のポーズは美瑠譲りである。


 頭を押さえて渋い顔の粟斗が、

「こいつは梁田御厨やなだのみくりやの御師、八雲半太郎。オレと山崎と同期だ。今は渡良瀬自由大学の准教授だ」と紹介する。

「まあ、粟斗さんのお知り合いにも立派な方がいるのね」と感心する栄華。


 すると、しびれを切らした古書店主の島が、

「おい、八雲くん。なにしてるんだ。お茶が冷めちゃうぞ」と店の奥から声を掛ける。

 思い出した八雲は、

「ああ、すみません。夏見粟斗が歩いていたもんで」と奥に向かって言う。

 すると懐かしそうに、

「なに夏見くんがいるのか? 彼はちっとも顔を出さないからな」と島はのんびり腰に後ろ手で、店先に歩いてきた。

 相変わらずの丸眼鏡の島は、眼鏡の位置を直すと、二人の見慣れた人物に微笑んだ。


「ああ、夏見くん。おっと、それにあなたは善子ぜんこさんのお孫さんじゃないか」

「こんにちは、ご無沙汰しています」と少々斜めがかった女性らしいお辞儀をする栄華。そこそこの知り合いのような対応を取る。

 栄華の顔を見て粟斗は、

「島さんのこと知っているの?」と訊ねる。

 答えたのは島の方で、

「いつも昔はおばあちゃんと譜面を探しに来てくれたんだよ。良いのがあるとお茶の水や神保町から仲間買いをして、とって置いてあげたんだ。譜面は作曲家によっては、一度出るともう出ないものも多い。特に角川さんのところは希有な曲を多くお探しだったからね。おかげで歴史書専門の古本屋なのに、楽譜に詳しくなったよ」と笑いながら言う。


「その節は大変お世話になりまして」と栄華。


 島が栄華に微笑んだとき、背後から紙袋を抱えた六十代ぐらいに見える男性がやって来た。黒銀のサングラスをかけて、この湿気の時分に長袖のシャツを着た風貌にどこか異様な雰囲気を感じる。店内のめぼしい古書を抜き取ってカウンターに積み上げる。それは手慣れた所作だった。

 七冊、八冊はあるだろうか。しかも絶版、初版本ばかりをしっかりと選んである。かなりの目利きだ。


「おや、白浜しらはまさん。今日は随分と多いね」

 背後のその男に気付いた島が声を掛ける。

「ちょっと多めだが、今回はこれで頼むよ」と白浜と呼ばれるサングラスの男は、ニヤリと笑みを浮かべた。

 島が値札の確認をしている間に、白浜は上着の内ポケットから札束を出すと、レジカウンターの釣り銭の受け皿に無造作に置く。その手の指には、赤いルビーの指輪が光っていた。


 夏見はそれを見逃さなかった。だが声にもしなかった。

 その札束を見て、島は怪訝な顔で言葉を発する。

「あんた。時間を越えていないだろうね」

 島の言葉に、

「大丈夫だ。ヘマをやるほどバカじゃ無い」

 島の眉がピクリと動き、

「どういう意味だね」

 その言葉に男は返事をすること無く、そっぽを向いた。


 伝票を書き終えた島は、釣り銭を渡す。男は手際よく本を鞄に詰めると、そそくさと出て行った。

 少し離れた場所からその様子を見ていた夏見。男が消えたのを確かめてから島の元に駆け寄った。

「時のせどりや、っぽいね。きっと偽名だ」


 彼のその言葉に、

「分からん。そうでなければ良いのだが。先代御師の文吾ぶんごさんも気にかけていたよ。クロではなかったようだけど」

 島は、文吾が栄華の身内であるため、彼女に微笑みながら言う。そしてメカニカルな図案のナンバーくんの印刷がされた麻袋に、男の置いていった札束をしまい込んだ。


「あら、不思議な図案の郵便局のマークね」と栄華はその袋をしげしげと見回す。

時空郵政じくうゆうせいの配達物袋ですね。念のため、この時代のものか否か、お札の出所を検査に出すってわけか」と八雲がいう。

「じくうゆうせい? なにそれ」と栄華。

「世間知らずのお嬢さんにも、そのうち分かる時が来るから」と言って、夏見は笑っていた。


 島は「イヤな気分にさせてしまったね。申し訳ないのでとっておきの絵で気分転換してくれ。特別にな。しかもこんなに暦人御師が集まったのなら、なおさらお見せしたくなった」と言って、カウンターの下の方にかがみながら、なにやらがさごそと棚の中の品を動かし始める。


 やがて一枚の絵画らしきものをカウンターに出した。額に入った立派な日本画だ。

「『伊勢大々神楽之図』の複製模写だ」と自慢げな声である。複製とはいえ、これだけ保存状態の良い絵は、見る者に歴史を感じさせる。

 その絵を見るなり「おお、伊勢特有の袴型の七五三紙しめと五色の帯をぶら下げた巫女鈴みこすずだ」と絵に注目する半太郎。


 その横で「相変わらず好きだな」と苦笑いの夏見。そして夏見は島の方を向き直ると、「いいの、島さん? こんなの半太郎に見せちゃって」と薄笑みを浮かべる。


 夏見の言葉が終わるか否かのうちに、半太郎の言葉がそれに続く。

「慶文さん。これいくら?」

 まるで恋人に会ったような目の輝き方をする半太郎。


「ほらね。古書バカだから、模造だろうと、レプリカだろうが、復刻版だろうがもう止まらないよ」

 夏見はあきれ顔である。

「いや、これは売り物じゃ無いんだ」と言う島に、

「いくら?」と聞く耳を持たない半太郎。

 困りはてた顔の島に情けをかけた夏見は、「おい半太郎、山崎のところに行くぞ。今日は大祓の準備をしているそうだ」と話題を無理矢理変える。


 横でその一連の流れ、光景を見ていた栄華は、

「この部分だけ見ていたら、粟斗さんが一見まともな人に見えるわ」とドングリ眼で驚いていた。

 その言葉に、

「おいおい。ピアノ馬鹿のお嬢さん、その言い方だとまるでオレがまともな人で無いように聞こえるが?」

「ええ、そう思っていますけど」と思わせぶりな笑顔で答える栄華。

 その言葉を聞くやいなや、「もう助けてやんね。どっかで迷い人にでもなれば」と涼しい顔をして店を出る。

「じゃあまたね。島さん」と戸口で目配せの夏見である。

 島は分かったように笑っている。

 栄華は島に会釈をすると、急いで夏見の後を追う。

「待って下さいよ。粟斗さん! 機嫌直して」


ギャラリー喫茶「さきわひ」

 八雲半太郎が相南桜台あいなみさくらだいの駅に着いたのは、午後一時頃だった。夏見と栄華は、相南の海辺にある知人の家に寄ってから合流すると言うことで、そのまま終点まで列車に乗っていった。半太郎ひとりが先に山崎の店に着く。


「マスター、いるかい?」

 慣れた風の言葉で、金属音の鳴子と一緒に、半太郎が店に入る。


 厨房の中で、前掛けの後ろ紐を結びながら、急いでメニューを抱えてきた女性がいた。

「いらっしゃいませ。山崎は今、出ていまして、すぐに戻ります」と返事をした。

 下駄を履いて、丸めがね、顔にはそばかすと七三分けの刈り上げカット、その風貌は昭和三十年代のバンカラ学生のようだ。繰り返すがマントに学生服で無いのが不思議なくらいのキャラクターである。


「時代を超えてきた人かしら?」と人差し指を口元にあてて、おなじみの思案のポーズで美瑠は首を傾げる。

「違いますよ。現代人です」と半太郎はあきれ顔である。

 美瑠は愛想笑いのまま、

「あらやだ、聞こえてました」と今度は手で口を覆いながら、「おほほほ」とメニューと水の入ったグラスをテーブルにおいて、そそくさと退散した。


「山崎の新婚の奥さんですよね」と半太郎が奥に視線を送るように笑う。

「ええ」

「僕は梁田御厨の暦人御師で八雲半太郎っていいます」

「ああ、渡良瀬のほうの方ですよね。少しだけ思川乙女おもいがわおとめさんからお訊きしたことがあります」

寒河御厨さんかわみくりやの乙女ちゃん、知ってるんですね。僕の幼なじみです」


 そう言われた美瑠は、バンカラ学生風の八雲と大正モダン柄の着物を着こなす乙女の並んだ姿を想像して、ひとりで軽く吹いてしまった。年もとう前後の差で、かの時代の妻夫としては標準的で想像しやすい。


『演目にするなら『たけくらべ』から『金色夜叉こんじきやしゃ』を経由して『伊豆の踊子』ってところかしら? 時代錯誤……』

 美瑠がそんなことを考えていると、山崎が戻ってきた。


「やあ、半太郎さん。こんにちは。近所で茅の輪作りの手伝いに行っていたんだ。こんな遠くまでありがとう」

「そうか。水無月祓みなづきばらえだもんな」と八雲。

 山崎はエプロンを掛けながら、美瑠に小声で「お店番ありがとう」というと、八雲の横に座った。

 八雲は用心深く辺りを見回して、確認出来ると、そっと小声で山崎に話し始めた。

「今、一勘書房に行っていたんだけど」

「芝の?」

「ああ、そこで時のせどりや、らしき人がいて、その人の指に赤いルビーの指輪があったんだ」


 その言葉に山崎の顔は少しだけ怪訝になる。赤いルビーの指輪が気になるアイテムのようだ。


「年齢は?」

「僕には六十代に見えた」


 すると店の入口側から別の声がして、

「ちゃんと気付いていたのか。ただのうすらボケでは無かったな」と笑っている。


 二人が横を向くと、いつの間にか夏見もテーブルに着席していた。

「いつ来たの? どこから来たの?」と山崎。

「今来た。参道口の御手洗みたらいカノンさんのところで、話を聞いていた」

「御手洗さんのところ?」と山崎。

「ああ、その件で少し気になるところがあってね」と言って、夏見は「島弁天しまべんてんのゲートについて訊いてきたのさ」と加えた。

の島の? 紫陽花庵あじさいあんの奥にいる御手洗さん?」

 山崎は顎に手をやり不思議そうに夏見を見る。

「おまえ、相南に住んでいても、同じ市内にある紫陽花庵にはあまり行かなそうだもんな」


 夏見の言葉に「うん」と頷く。そして「御手洗さんは私のエリアの暦人だけど、もうすぐ引退の筈。息子の伊夫須いおす君が暦人になる訓示を受けていた」と付け足した。


「どうしてその御手洗さんのところへ」

 静観していた八雲が会話に入る。

 八雲に向きを変えた夏見は、

「実は『時のせどりや』の一部は、あの周辺のゲートを使うらしい、と昔耳にしたからさ。そんなゲートが本当にあるのかどうかを知りたくて。本当は一人で行こうと思っていたんだ。ところが御手洗さんは文吾さんの旧友だって聞いたんでね、そこのピアノ馬鹿のお嬢さんにご同行願ったってわけさ」と栄華に微笑む。


「私が一緒に行って間違いなかったでしょう」と胸を張る栄華。大手柄ばりの得意顔だ。

「どういうこと?」と山崎。

「私の知っている人だったの」と栄華。そして、「よく私が大伯父の家に遊びに行くといらしていたので、あちらも良く覚えていて下さったのよ」と加えた。

「気心の知れた栄華ちゃんのおかげで、警戒心も無く教えてくれたよ。ゲートの出来る時期」と夏見。

「そのへん、教えてくれる?」と山崎。

「それは勿論なんだけど、その前に何か飲み物くれるか? のどが渇いた」

 彼のその言葉に、美瑠は冷蔵庫からポットを出すと、注いでアイスコーヒーを夏見に差し出した。

「サンキュー、美瑠ちゃん」

 彼はのどに潤いを戻すと再び続ける。

「我々は通称、島弁天しまべんてんと呼ばれる絵島宗像宮えのしまむなかたのみやの女神を文化、芸術や航海、豊漁の神さまとする部分が多いが、今回は本来の宗像三女神の御利益と役割だった『あらゆる道の神さま』って部分を見直さなくてはいけない」


「確かに記紀神話ききしんわ、『天孫降臨てんそんこうりん』のエピソードからか、「道」と言えば、道祖神どうそじんと同格化されがちな猿田彦命さるたひこのみことを真っ先に思い出すね」と八雲。そして「いわゆる「水」の性質を持つのがイチキシマヒメノミコトなので、海上交通の船に目を奪われるが、水路も「道」の一つと言うことだ」とも加えた。


「そういうことだ。さすがだなハム太郎」

「半太郎」とすかさず言い直す八雲に、軽く茶目っ気な目線を送ると夏見は続ける。

「陸にも「道」、海にも「道」と言えば?」と夏見は地元の山崎に目配せをする。

「トンボロか」と言う八雲の言葉に、皆が納得する。


 察しの良い八雲と山崎に、

「ご名答。砂州の道が月に十日近くも出来る絵の島の『トンボロ現象』だ。今は弁天橋があるからいつでも渡れるので忘れられがちだが、海は依然として生きている。あの島は、大潮の干潮時とその前後はしっかりと橋など無くても歩いて渡れる、今も立派な陸繋島りくけいとうなんだ」と説明が入る。


「御手洗さんがいうには、そのトンボロの日に時空穴が出現するときがあるということだ。昔、彼女のおじいさんが教えてくれたそうだ。その時空穴は、残念ながら一部の人間しか知らず、暦人である御手洗さんもどこにあるのか知らないという。つまりは暦人が使わない時空穴が、島には存在していると言うことだ」


「暦人御師の管理していないバイパス経由の時間移動が可能という訳か」と山崎。

「それを使って『時のせどりや』たちが移動しているのか」と八雲。

 男三人の中では合点がいったようだが、美瑠と栄華は口をぽかんと開けて放心状態である。明らかに節穴のような目をしている。

 八雲は彼女たちにわかりやすく要点を伝える。


「以前から暦人の間では有名なことなんだ。暦人の知らない時空穴じくうあなを使って、『時の背取せどりり屋』と呼ばれる時間越えの集団が移動しているという噂がある。彼らは何らかの目的を持って時間を越えるんだ。だけどその目的は釈然としない。知識としては、我々やカレンダーガールと同じく、時間を揺らさない方法を知っている。ただし違っているのは、かれらは時間を越えて利益を得ることに専念していること。たまに古書を売ったり、ギャンブルで儲けたりもしている。でもそれは八百長だ。未来を知っているのだから。でも善悪のどちらの人々なのかはまだ分からないんだ。で、その『時の背取り屋』らしき人を古書店で見かけたってわけ。しかもその人が、山崎さんの父上と同じルビーの指輪をしていた。その彼らの活動手段のアイテムの一つが、この町の島にある時空穴。それが開くのが、島が陸繋島となって歩いて渡れる大潮の干潮の日、それに合わせた活動をしているところまでは判明したというわけ」


 山崎も加えて、

「この辺の人たちは昔、絵の島が絵の山になったなんて言って親しみを込めたもんだよ」と教える。

 女性二人は、

「なるほど」と並んでテーブルに頬杖をつきながら頷いていた。

「……。で、その利益って何?」と美瑠。


 怪訝な顔の夏見が言う。

「例えば、あらかじめ知っていたら得することって、まあ、いろいろあるよね。我々暦人は時間が揺れるので、むしろそんなものは見ないし、言葉にもしないし、触れも関わりもしない。時神さまの機嫌を損ねるからね」

「まさか……転売やギャンブルを私腹のために?」

「まだ知られていないんで、どちらともいえないんだ。実はとても美談で命を救う使者とも言われているし、その逆の我欲の亡者とも言われている。誰も実態を見た者がいないので」


 そう言い終えた夏見は、

「そこでだ。久々に三人揃った我々が、実態の解明に乗り出そうと思う」と言って、山崎と八雲を凝視した。

「僕かい?」と自分を指さす八雲は、OKのサインを手で作る。

 山崎は無言で頷いた。

 それを確認した夏見は、「決まりだな」と不敵な笑みを浮かべた。

 三人が久しぶりに互いの腕を、知恵を、確認し合ったところで、店の奥から聞き覚えのある声がした。

「やってくれると思ったわよ」


 声のする方を見ると、栄華の大伯母あすかが、大学生の暦人、夏夫とともに姿を現した。その後には寄り添うように、夏夫の恋人、カレンダーガールの晴海もいる。


「おばさま」と栄華。

「なんだよ。突っ立っていないで、もっと早くに出てくれば良いのに」と夏見。


「出て行くタイミングを失ったのよ。でも今日ここにお邪魔した甲斐があったわ。一勘書房の島さんが連絡をくれてね。おそらく相南に向かったよ、って教えてくれたのよ。急いで先回りをして、奥でお邪魔していたの」

 杖をつきながら彼らの近くまで寄ると、

「実は主人が最後に、やり残した仕事がこれなの。味方なら協力しなくてはいけないし、敵なら時空穴ごと一掃しなくてはいけないのよ」と話す。

「師匠である文吾さんの仕事の続きというのなら、なおさらだ。繰り出してみるか」と夏見のもう一声が入った。皆で使命感を共有した感じだ。


 夏見のその言葉に笑顔のあすかは、

「それともう一つ、夏見くんにはお願いがあるの」と思わせぶりな笑顔を向ける。滅多に見ない顔をしたあすかだ。

「なんですか?」と不思議そうな夏見。


「この件が終わったら、栄華をもらってくれない?」

 この唐突な提案に夏見は飲みかけたアイスコーヒーをグラスの中にぶわっと吹き出した。彼以外のまわりの人間は目が点である。


 栄華は逆に、もじもじしながら床を見て真っ赤になっている。エレガントで気品に満ちた普段の彼女とはかなり違う。

 眉間にしわを寄せた夏見は栄華のほうに顔を向けると、彼女は持っていた楽譜でさっと顔を隠す。


「どうやら夏見くんのことが気に入ったみたいなの。この子。この子もいい年だし、あなたさえ気に入ってくれるのならのことだけど」

 あすかは業務事項のように、この一件を説明しているが、栄華にとって、それを横で聞いているのは、顔から火が出るほど恥ずかしい。どっちつかずで、大伯母に反論も出来ない彼女だ。

「はあ?」

 夏見は栄華の普段の言動や態度と、今のあすかの話のなかの出来事にはギャップがありすぎて理解できていないようだ。


「彼女、オレのこと、アホぐらいにしか思っていないと思いますよ」と夏見。あすかに何かの間違いであることを伝える。

 あすかは笑うと、

「見かけは大人だけど、ピアノしか出来ない子どもと一緒。憎まれ口を言っているだけよ。本当は部屋中、夏見くんと一緒にとった写真いっぱいにして、ニヤついているのよ」と大暴露である。


 栄華は夏見の横でテーブルにうなだれて、大玉砕のポーズ。精神的には、暴露の爆撃命中で瀕死の重体、お手上げである。

「ううう」と微かにうめき声が聞こえる。


「二人でいると、こっちは何も訊いてもいないのに、いつも勝手に好き放題しゃべって、オレのダメだしや文句並べているのが普通ですよ。まあオレと彼女は、年は一回り以上離れて対象外であるし、同じ職業の音楽家の彼氏が欲しいとか言っていたけど?」


「悟られないように言っていただけだわ。外から見てると逆にわかりやすいのよ。相手にされないと思っていたからよ。最近会う回数多くなった、って、思わなかった?」


 思い当たる節のある夏見。

「そういえばこの一年、事あるごとに呼び出されていました。ひどいときには、近所のコンビニに行くのに付いて来て、って、船橋から浜松町まで呼ばれたときもありました。文吾さんのためと思っていたので来てましたけどね」

「会いたくて仕方なかったのよ」とあすか。そして向き直って、テーブルに伏せてうずくまる栄華は相変わらず、楽譜で頭を隠している。その姿に「ねえ、栄華」と同意を乞う言葉をかけて、あすかは笑う。


「栄華は音楽では素晴らしい賞を頂いているけど、お料理出来ないし、生活適応力ゼロに近い人だから、男料理でも生活に密着できる夏見くんのほうが音楽家仲間より旦那さんに向いているのよ。ピアノは一人で演奏することの多い楽器だから、それほどそこは重要ではないわ。暦人の先輩だし、文才があって、アウトドアの知恵や知識のある夏見くんのほうが魅力的に見えるんじゃないかしら」と笑いながら続けるあすか。


「意外に素直じゃ無い性格なんですね。栄華さん」と美瑠は半分冷やかしで笑いかけた。

 くすぶっていた心中の思いの丈を全て放出したかのように、あすかは言い終えると、

「じゃあ、私の用事はこれでおしまい。お先に失礼するわ。電車のある明るいうちに帰るとするわね」と言って、夏夫に支えられるようにドアを開けた。


「晴海ちゃん、湘南電車の駅まで乗せていってくれる。あの格好良いスポーツカーで」とあすかは嬉しそうに訊ねる。勝ち誇った顔だ。

「勿論です。安全運転で行きますよ」と晴海も楽しそうに答えながら店を出て行った。

 嵐の去った後のような店内の一同。注目の的は自然と栄華であるが、彼女は相変わらず椅子に座ったまま、前のテーブルに覆い被さるように項垂れている。栄華のその姿に、皆は、彼女が白旗を振って降参しているイメージをダブらせていた。

 恐るべき大伯母の大暴露に夏見と栄華だけが拍子抜けした状態であった。


紫陽花庵

「たしかに砂州を歩いて行けるようになっている」

「トンボロの日は橋はいらないわね」

 相南市にある絵の島は、湘南地方きっての観光名所。宗像宮は勿論、周辺の水族館や海洋施設、魚介類の美味しいお店など、夏が近づくにつれて、相南の中心部に負けないくらいの賑わいになる。


 途中で見つけた『しらす丼』の看板に八雲は惹かれていた。

「いいなあ。しらす丼。足利には無いからなあ」

 彼の言葉に夏見は、

「終わったら腹一杯食べて良いから、まずはタイムゲートに専念してくれ」とあやしている。

 砂州で出来た道にはそれらしきところも無く、見通しも良いため、難なく対岸に着いてしまった一行である。


 夏見は、

「とりあえず、三方に分かれて探そう。オレと山崎と半太郎は別々になって、それぞれのグループに指示を出せるようにしておこう。なので、山崎と美瑠ちゃんはこの中心地周辺を、半太郎は夏夫と晴海ちゃんを連れて反対側の岩屋方面に行ってくれ。で、残った栄華ちゃんとオレで湘南港方面に行ってみる」と手早くグループを選別した。


「やっぱり栄華さんは自分のところなんだ」と晴海。

 夏見は晴海のその言葉に、わなわなと震えながら、

「おい、子どものカレンダーガール。なんならおまえのグループに、この足手まといの見習い暦人御師くれてやろうか?」とおかんむりである。

「じょうだんでーす!」

 晴海は、夏夫と八雲の背中を押して、そそくさと逃げ出した。


 その後ろ姿に向かって山崎は、

「島の後ろ側へは、そこから船に乗れるから」と大声で伝える。

 八雲は「了解」と手を振って船着き場へと向かって行った。

 山崎もやれやれというポーズととに体の向きを変えると、

「じゃあ、私たちはエスカーで上を目指しますね」と言って、美瑠とともに参道を登っていった。


 残された二人はなんとなくよそよそしい。

 栄華は後手を腰に当てて、石蹴りのように軽くステップを一歩踏んだ。

「私のこと嫌いになりました?」

 不安そうな面持ちだ。

 栄華の言葉に、

「嫌いな人のところに連日ように駆けつけたりはしないよ。ただ、今はタイムゲートに専念しよう。重大なことなので。ましてや君の大伯父のやりかけの仕事だ」と返す。


 少しだけ安堵した心持ちで栄華は「はい」とだけ答えた。

『これって脈あり?』

 それでも恋の行方が脳裏から離れない栄華である。

 弁天橋を左手に行くとヨットハーバーである。湘南港と呼ばれる留船場でオリンピックの会場も兼ねている。そこを途中で山側に行く小道をあがると、地元の人たちが集う商店や食堂などがある。観光では無い、日常の食事も出来る場所になっている。


 そこから一歩岩場に踏み込んだ場所で、少し坂を上がったところに、竹垣とお茶の木、低木で仕切られた庭がある。庭の中には色とりどりのこの季節ならではの紫陽花の鞠のような花房が見えた。奥にはこざっぱりした和風建築が見える。

「風情のある建物ですね」と栄華。

「紫陽花庵だ。たまに暦人達もここで会合を開く。国学こくがくの学術研究施設だ」

「国学って?」

記紀神話ききしんわや古典の文法、単語の意味などを調べる学問。賀茂真淵かものまぶち平田篤胤ひらたあつたね本居宣長もとおりのりながなんかのやっていた学問。もっと言えば、さっきいたハム太郎先生がやっている学問」

「へえ。八雲さんて、難しいことを仕事にしているんですね」

 平地を望む草原が道の終わりに小さく広がっている。


 そこをのぞき見るような栄華の行動に、

「あっちの小路隔てた向かいが、暦人の御手洗さんのお宅だ」と加える夏見。

 おもむろに「ねえ」と、栄華はそれとは反対の坂道の下を指さし、

「あれって三人の大人が、洞窟のようなところに入っていくんだけど」と夏見に不思議な雰囲気を伝えるべく喚起した。


 確かに観光地には似つかないスーツ姿で、仕事風の一行が舗装もされていない原っぱの中を横切って、崖に隠れた入口の扉に今入ろうとしている。

 しかも見るからに一勘書房で見た男と同じような鞄や服装をしている。身なりというのは同じ業種ごとに自然と似てくるようだ。

「時のせどりや、っぽいな。すぐに山崎たちに伝えてくれ」

 栄華は鞄から携帯電話を取り出すと、美瑠に連絡をつける。

「今、サザエ島の前の高台にいるの。第七片瀬山丸っていう食堂の前。急いで合流して欲しいって粟斗さんが……」


 そう言うと、夏見は、栄華が連絡をしている間に、その第七片瀬山丸という食堂に入った。洞窟のある空き地の横にある食堂兼おでん屋で、位置的にも張り込むのにはおあつらえ向きの店だった。連絡を済ませた栄華もすぐに夏見のもとに戻った。


 店内は昭和レトロな食堂だ。作り上げたレトロ感では無く、そのまま昔の作りなのである。そしてどこか懐かしい簡易テーブルとパイプ椅子である。カードケースに挟まった手書きのメニューがその雰囲気をより一層かき立てる。

「ふーん、『湘南おでん』っていうのね。あ、サザエの壺焼きもある」

 メニューを眺めながら呟く栄華。


 原っぱの奥にある洞窟のような穴には扉がある。そこを凝視すること十分。その間に、栄華はおでんをセットで楽しんで、焼ハマグリとコーヒー牛乳へと移っていた。

 ちらりと栄華を見て、夏見は、

「きみ、すごいな」と嫌みを言う。

「えへへ。そうかな。遠慮しないで夏見さんも食べて良いですよ」と相伴を促す栄華。

『全く嫌みが通じていない……』

 頭に湯気が登る思いを必死にこらえながら夏見は、栄華に関わらないようにした。その方が自分の精神衛生上、この場を平常心で乗り切れると踏んだからだ。


 そうこうしているうち、暖簾をくぐって、山崎と美瑠が店に入ってきた。

 美瑠はこの店のおでんの香りに覚えがあった。

『あっ、いつか追分のおばあちゃんの好きなおでんって言って、森永ちこちゃんが持ってきたおでんと同じ香りだ』

 店内には夏見と栄華以外誰もいない。厨房の奥を覗くとマスクをして、手ぬぐいを被った女将さんらしき人が、フライヤーの前でコロッケを揚げている。

「お待たせ」

 山崎の言葉に、漸く理解できる相手を見つけた夏見が話し出す。

「あの扉だ。紫陽花庵の真下にあるのが気になる」

「本当だ。敷地の真下に当たる場所だね」

 山崎は夏見の言わんとしていることがうっすらと分かった。

「あ、出てきた」

 その声に四人は一斉に扉に注目する。そして山崎は驚いた顔でその一行を見ていた。

「あの先頭を歩いている人、確かに父に似ている。そしてもう一人、あの大きな荷物を持った人は、スーパーギンビスの弦六さんだ。これは間違いなく本人だ」

「なんだ山崎の知り合いか?」


「岩戸神明社の総代をしている家のご長男だ。家を出て長いらしくて、手紙にはボランティアとかチャリティー活動をしている、ってあったらしい。総代は今は、長女の旦那さんがやっている。実の妹さんと茅の輪作りで一緒だったんだ」


 山崎のその言葉に、

「なんか、おかしなにおいがするな。きな臭い」と夏見。そして「その弦六さんは暦人なのか?」という問いに、山崎は首を横に振った。

「とりあえず追ってみるか?」と言う夏見の言葉に、二つ返事の山崎。

「栄華ちゃんは会計済ませたら、オレに付いてこい。オレは西播せいばんさんらしき人を追いかけるから、山崎はその弦六さんを頼む」

「了解」


 美瑠は山崎の荷物をまとめながら、八雲に連絡をしている。いつもながらぬかりがない。そしてここの払いを済ませるべく、厨房の奥に向かって、

「すみません」と声をかけた。


ルビーの男

 ルビーの男は弁天橋を渡ると湘南国道134号線を山側にそれる。龍口寺りゅうこうじ腰越こしごえの商店街の方面に向かう道である。相南市と鎌倉市の境がこの辺りだ。路面電車の走る商店街をひたすら歩いている。両脇には手作りの老舗かまぼこ屋、乾物鰹節店、和菓子最中店などが軒を連ねている。線路のある道に沿って歩くと交差点に出来わす。橋の手前の信号のある交差点を左に曲がり、川沿いを更に山側へと進むルビーの男。五メートルから六メートルの間隔を取って二人は後をつけている。


 七、八分歩いたところで、少し開けた道に合流する。小さな住宅が点在する場所だ。間口の狭い家族経営の惣菜屋がルビーの男の行き先だった。横には小さな鳥居とほこらのある昔からの集落だ。あと少し歩けば、有名な龍神さまである。

「結構歩いてきたな。もう西鎌倉が近い」

 夏見は、身を隠しながらも、彼からも目を離さない。木陰に潜み、商店内が見える場所を確保して様子をうかがう。栄華も黙って彼に従う。

 三坪ほど小さな店内で、店と住居の境である、上がり端に腰掛けた男は紙袋に入った札束を店主に渡していた。帯封の解いていないピン札である。五メートルほど離れた場所なので、夏見と栄華に、その会話は聞き取れない。また金額も正確には見て取れない。


「どういうこと?」と栄華。

「オレだって知るか。刑事ドラマじゃあるまいし、踏み込めないからな」

 静観するだけしか無い歯がゆさに、夏見は困り果てていた。

「でもどう見ても、二人とも悪いことをしている風には見えないわね」


 その穏やかな二人のやりとりに、寸分の悪意も感じ取れないのだ。親しみのある日常会話の中で生まれる優しい心の距離感を、二人は遠巻きであるが感じていた。


「ああ、オレも直感でそう思った。ただここからの距離では会話は聞き取れないからな。雰囲気だけでは決定は出来ないし、決めつけるのも危険だ」


 店主はルビーの男に深々とお辞儀をして店先で彼を見送った。

 二人は相変わらずルビーの男の後を追っていったが、腰越に戻り、湘南国道に出て、弁天橋を渡り始めた。要は元の場所、紫陽花庵の真下に戻ってきただけだった。

 仕方なく再び同じ食堂に入り、山崎たちの報告を待つことにした。



二十六世紀

 一方、山崎と美瑠は大荷物の弦六を追いかけて、同じく湘南国道、134号線をただ歩いている。こっちは山側には行かず、ずっと海岸沿いを歩き続けている。腰越の漁港を過ぎて、船宿を過ぎて、やって来たのは稲村いなむらヶ崎の真下の砂浜である。砂浜に降りなければ、国道伝いに稲村ヶ崎の少し先、向かいには岬神社が鎮座する。

 その岬の先端下に砂浜から入れる洞窟、岩屋いわやらしきものがあり、かすかに光っている。


「なんだあの穴は?」と山崎。

 美瑠は、弦六が消えたのを確かめてから、その岩屋に急いで近づいた。

「時の香が肌で感じる岩屋だわ。タイムゲートの一種かも」

「よし、彼の痕跡が消えないうちに急いで追いかけよう」

 そう言って二人も岩屋の中に足を踏み入れた。

 美瑠の読み通り、いつものタイムゲートの感触である。


「そうか、トンボロの日の引き潮で、この岬のえぐれた洞窟のようなタイムゲートに入ることが出来るんだ。普段の海岸の水位ではこのタイムゲートに入ることが出来ない。それでトンボロがヒントのように言われてきたんだな。島のどこかと言われていれば、誰もこの場所のゲートにはたどり着かない筈だ。ここを調べる人はいない」と山崎はゲートの解明に納得していた。


 ゲート内で光を見つけた二人は穴を出る。富士山の綺麗な姿が浮かぶ、もと来た稲村ヶ崎の砂浜だった。時を越えたせいか、雰囲気は少し違う気がした。遠方に弦六の姿がある。彼は電車で相南の中心部に向かう。途中駅の絵の島駅では下車しない。


「相南駅に行くみたい。絵の島駅じゃないのね」

 美瑠の言葉に、「目的地は、彼の持つあの荷物の行き先だね」と返す山崎。

 電車が着いて分かったことは、二人は二十六世紀の整理された相南の町並みの中に放された。

「すごい。車の形がみんな不思議」


 モノレールのように自動車が一列に、規則正しい車間距離で運転されている。自動運転システムがプログラムされたおかげなのだろう。


「運転も自動化されているね」

「アスファルトもなんか素材が違うみたい」

「さて、未来のことは、あまり記憶にとどめないことが身のためですよ」


 一理ある山崎の言葉。もっともなことなのだが、なにぶん、美瑠は未来に飛ぶのは初めてである。物珍しさは、隠せない。


 ただし今回ばかりは浸っているわけにはいかない。彼女もその辺は慎重に考えて行動している。


 玄さんの追跡は商店街の一角で終わった。


『二十世紀書店』という看板の店に弦六が入るのを確認した。

「やっぱり」と山崎。

「何をするの?」


 美瑠の質問に、

「持ち込んだのは、島さんの一勘書房の本だ。われわれの時代の書籍を持ち込んで高値で買ってもらう。本来禁止されている行為だ」

「高くなっているものを過去の時代で仕入れれば良いんだもん、それってズルよね」


 美瑠も腑に落ちない顔で頷く。


「行くの?」

「いや私たちは暦人。それは時巫女ときみこや時の検非違使けびいしの仕事。出過ぎたことはしないほうがいい。このまま大人しく帰りましょう」


 そう言って山崎と美瑠は海岸のタイムホールへと戻ることにした。

 来たときは気付かなかったが、このタイムゲートは暦人が使う「七色の御簾みす」と呼ばれるものとは少々異なっていた。タイムゲート内での移動はほんの数秒なのだが、山崎はそのことを雰囲気から察知した。


「これ、さっきの時代と我々の時代しか行き来できない区間限定のタイムゲートですね」

「凪彦さん、そういうゲートに経験あるの?」

「何度か使っています。でも全て一時的に作られたイベント用のもので、こんな常態のまま、いつも設置されているのは初めてだ」


 二人は元の時代に戻ると砂浜を絵の島に向かって歩き始めた。



そろそろ太陽が傾きかけたころに、山崎たちは夏見と合流する。

「よう。どうだった」と夏見。

「二十六世紀まで飛んだ」と山崎。

 意外な答えに、「どこから?」と訊ねる。今現在、この時間に稼働するタイムゲートなどあるのか、という疑問からだ。

「例の噂の隠しゲートだと思う。場所はこゆるぎ。稲村ヶ崎」

「絵の島じゃないのか?」と言う夏見の答えに、山崎と美瑠は頷いて肯定した。

「それじゃあ、隈無く島中を探しても見つかるわけが無い。とんだフェイク情報を掴まされたというわけか」

 肩を落とすポーズで夏見は少々落胆気味の顔をする。


「しかももっとすごいのは、我々が怖くて出来ないことを平然とやってのけていた。ここで仕入れた書籍を二十六世紀で転売している。時巫女や時の検非違使に知れたら大事おおごとになる」

「やっぱり」と爪をかむ仕草の夏見。自分の読みが当たっていることを確信した。

「あとは、その金がなんに使われているかと言うことだ」という山崎の言葉に、

「惣菜屋の店主に渡っていたよ」と不思議な顔で夏見は返した。

「こっちはつけていった先で、西播さんらしき人が現金を渡している現場を遠目で確認している」


 今度は夏見の情報を山崎に伝える。自分たちが見た光景をルビーの男と商店主の関係も交えて報告した。

「ごく一般の人に渡すのは何の意味があるんだろう」

 夏見の話に山崎も不思議な顔である。


 疑問だらけの話が大詰めになったところで、八雲たちもようやく合流した。

「おつかれさん。お二人さん」

「おつかれさん」

「ここに来る途中で、すごい話を耳にした」と八雲。

「なんだい?」という夏見。

「紫陽花庵のスタッフって、新聞各紙を一日に一人二十種類読んでいるそうだ」

「何のために?」

「なんでも人捜しをやっているんだってさ」

「人捜し?」

 夏見の眉がピクリと動く。それとほぼ同じように山崎も怪訝な顔をした。

白馬講ホワイトナイトだ!」と小声で声を揃えて頷いた。


 そしてほぼ二人同時に「漸く分かった。なぜ時神の警告がおきないのかが」と声を重ねた。二人は既に同じ結論に達しているようだ。だが他の者にはチンプンカンプンである。


 次の瞬間、山崎と夏見は再び声をそろえて、「あの表札!」と店から見える、洞窟前の扉の表札の名字にこだわった。

『白坂』

「京都かんながらの、元神祇伯もとじんぎはく家だろ。篤胤派あつたねはのね」と夏見。

「江戸時代の神祇管領長の吉山家に続く、大きな国学の組織だ」

 二人は顔を合わせ、お互いを指さすと「あの表札がフェイクにしろ、何らかの形で白馬講ホワイトナイトの仕事をしているに間違いない」と合点をきかせた。

 それを聞いていた八雲も、二人の単語を拾っただけで何のことか察しが付いた。


 彼は自信ありげに、

「ほぼ理解できたよ。あとは現場を知るだけだが、僕らが彼らのやることの邪魔する必要はなさそうだね。我々に近い系譜の善行好事講ぜんぎょうこうずこうとお見受けした。要は意図的に時神に見逃されていると見た」と腕組みで笑う。


 八雲のその言葉に、

「さすが学者だね。単語だけで見抜くとは」と山崎は感心した。

「僕は見なかったことにするべきだと思うが、山崎くんと夏見くんはどうする?」


 八雲のその言葉に夏見も、

「そうしたいね。これでこの件を、角川文吾さんがやり残したわけでは無いことが分かったよ。彼は全てを分かって故意に見過ごした。見なかったことにしたんだ。怪しまれないように、周囲には手つかずと言うことにしていたんだ。とっくに真相にはたどり着いていて、あえて知らんぷりをしていたというのが正解だ。男っぷりのいい文吾さんなら十分あり得る話だ」と先人の思いを、後発の暦人達はくみ取った。


 栄華も「大伯父なら十分あり得る話だわ」と納得する。

 これには山崎も「文吾さんの取った行動、それが一番だ。男気のある人だ」と頷いている。

 その会話を静かに店の奥で聞いていたひとりの女性がいた。この店の女将さんである。

「ありがとうございます」と厨房の奥から手ぬぐいのかぶりを取ったその女性が、皆の座るテーブルにやって来た。


 山崎は、「あれ、御手洗さん」と驚いている。

「ずっといましたか?」と山崎。

「はい、私のお店ですから。最初の張り込みの時からずっと知っておりました。ここは、あの扉の監視役をしている店でもあるんです。我が家もすぐそこで通いやすいのでね」

「なるほど」

 ここまで来れば、と彼女も思い立ったようである。

「先代の角川御師さんにも、実は十年以上前にお話ししてご理解いただいた件なんです。皆さんに再びお話ししておかなくてはいけなくなりました」


 夏見は、

「聞いておきますよ。改めてご挨拶します。文吾さんの一番弟子の夏見と言います。船橋御厨の御師です」と彼女に一礼をする。

「では夏見さんにも分かっていただきたいのでお話しします」


 彼女は向き直り、相南の講元である山崎を見た。

「山崎さん。いつも大庭御厨の御師、お役目ご苦労様です。実はこの好事講の発起人は私と山崎さんのお父さんである山崎西播やまさきせいばんさんなんです。姿を隠しているのも、掟すれすれの慈善事業をやっているためなんです。ご家族に迷惑がかからないようにということです」

 そう言って、彼女の過去の話が始まった。


蓮根町はすねちょうの悲しみ

 昭和五十年代頃、山崎西播と御手洗カノンは片瀬の喫茶店で打ち合わせをしていた。そこに突然頭上から新聞が飛んできた。

『蓮根町の悲劇』と見出しの社会面である。この時代に採り上げられることの多かったニュース、一家無理心中である。


 来るはずのない方向から飛んでくる新聞。二人はすぐに、これが「時神の託宣」であることを察した。そこには一家七人の寂しい結末が綴られていた。いたたまれない記事だった。あと半日時間があれば起きずに済んだ事件だった。


「西播さん。これって暦人の手に負えるの」

「起きてしまった事件を戻すのは無理だ」と腕組みの西播。

 あまりに重たい事件に少々暗雲がたちこめている。だが落ちてきたメッセージ、託宣の解決は必至だ。しかも時間が止まったままの状態が新聞の落下と同時にスタートしている。まわりの人たちはビデオデッキのポーズボタンを押したままのように止まっている。


「時神さまは私たちにどうしろと言うんだろう」


 西播も相変わらず同じポーズで、腕組みをしながら困り果てていた。

 そのときカノンは脳裏に自分の家に伝わるタイムゲートの利用を思いついた。


「西播さん。これ私たちじゃないと出来ない案件かも知れません」とカノン。

「御師経験者の西播さんは、各地のタイムゲートの場所を知っておられるし、私は自宅近くにある特定の時代に飛べる秘密のタイムゲートの存在を代々受け継いでいるんです」

「二人でこの事件を過去に戻って止めろというのか。それがご託宣なのか。時間のゆがみは無いのか」

 西播はかなりの悩みを内に抱えていた。こんな案件を抱えたことなどかつてないし、暦人が人の生死を司ることはいけないと思ったからである。


 その様子をじっと隣の席でうかがっていた紋付き袴の白鬚の老人がたまりかねて声をかける。

「もし……」

 止まった時間の中で、動いている人間が他にもいたため二人は驚いた。それにもかまわず老人は続ける。

「暦人以上の存在になることと、時神のご託宣で行っていることが分かれば気持ちは軽くなるよ」と優しい瞳で話す。


「あなたは?」と西播。

「こういうものです」

 懐から名刺を出すと二人に差し出した。

『篤胤派国学研究所所長 白坂紀昭』


「暦人の皆さんは宣長のりながの系譜に多少ご縁があるので、篤胤派とは僅かな繋がりがあります。本居もとおりの後塵である平田篤胤ひらたあつたねの「かんながらのみち」を考えること、勉強の類を表向きにはやっております。実際にはタイムゲートを使って秘密裏に命を大切にするための手助けをやっている者です。勿論、時神や時巫女の命を受けた暦人たちと同じ役目もしています。一つ違うのは、託宣の種類が時間を狂わす可能性を秘めた難しい案件を扱うことがほとんどの暦人ということです。時巫女たちも我々の仕事を黙認しています。御上おかみの仕事に口を出せない、といったところなのでしょう。この仕事は今以上に誰にも言えません。苦しいです。でも助けた人は一生あなたの優しさに感謝するでしょう。どうですか? 手を貸していただけませんか? 私と言うよりも時神さまに」


「時神さまは命も司るのですか?」

「本来失わなくて良い個人の時間が無理心中と一緒に大量に散っていきます。そこを悲しんでおられるのが時神さまです。限られた命の中でも、皆に、平等に時間は与えられています。それを神以外の者が絶とうとすることがお悩みなのでしょう」

『本来、皆にある個人が持つ時間か……』

 西播はひとり呟いた。


 その様子を当時二十代だったカノンは優しく見守った。妻を失った西播の悲しみを受け止めてあげることは、容易なことでは無かったからだ。

 これが西播とカノンの『時のせどりや』に選ばれた瞬間だった。

 西播はその老人に切々と話し始めた。妻との思い出の品である赤いルビーの指輪を見つけて、かみしめるように。


「私は妻を亡くして数年、悲しみの淵にいます。私の世界はカラーからモノクロに変わりました。愛する者を失ったショックなのでしょう。その経験からか、多くの人々の命が粗末に扱われるというのは耐えられません。生きたくても様々な事情で絶える人、生きたくても足かせの人生で自らの生活に終止符を打つ人、こんな世界を見ているのはもう沢山です。ぜひご一緒します。幸いにして我が家はまだ父が御師をやっており、十代の息子もいるので御師の家は彼がやってくれる。私が時と命の番人になることは必然のような気がします」

 そう言って止まった時間の中、西播は過去を捨てる未練など無いことを老人に告げた。


 そして彼は、

「あなたは二足わらじで外側からの協力をしてくれれば良い。下界との連絡や情報をこちらに流して欲しい。勿論息子の成長もね」とカノンに言った。


 老人は優しく微笑むと無言で頷いた。

 そして目を細めながら、更に穏やかな表情で、

「では詳しいお話は、あちらの紫陽花庵という私の別荘でお伺いします」と言ってから持っていた杖で床をトンと叩いた。

 すると何事も無かったかのように、再び店の時計が時を刻み始めた。辺りの喧噪も、人々の動きも蘇った。


湘南おでん「第七片瀬山丸」

 御手洗カノンの話が一段落すると、店内に静寂が訪れる。重い話の後で口を開くのは皆がためらう。

「そんな人物はいないし、団体も存在しない、とその後判明する」と第一声を上げたのは、八雲半太郎だった。


 八雲の言葉に、

「はい。その通りでした」と返す女将のカノン。

「その人って、『時の翁』だったんですよね?」と八雲。

 その言葉を耳にして、カノンは驚いていた。

「よくご存じで」 

 意味の分からない栄華は、

「どういうことか、少しかみ砕いてお願いします」と八雲に言う。

 八雲は深呼吸をしてから始めた。

「簡単に言えば、西播さんはこっち、我々と同じ時間の流れの中にいる人ではなくなったということです」


 夕日がそろそろ沈みかけた時刻で、カノンは店の灯りをつける。

「他の皆さんにも分かるように、全てをまとめてお話をしましょう」

 お茶を含んだ八雲は切り出す。

「前提として、この件は私の一推測に過ぎません。違っていれば、後で御手洗さんにご訂正をしていただきましょう。しかし話の流れを崩してはいけないので、まずはとにかく全てお話しさせて下さい」


 そう言って本題に入った。


「現在の西播さんたちの日常。それはまず新聞を見て、無念な最期を遂げた人がいないかを調べています。理不尽な行為や何かの犠牲になった人々の大切な命を蘇生させるためです。『時の翁』の命令であれば、時神の警告はおきません。そんな中で、騙されたり、えん罪だった人の家の身辺を探ります。そして「七色の御簾」、タイムゲートを使って、過去に戻り、事件前のその人の家に行き、交友関係を築き上げる。友人となって助力するというシナリオを作り上げます。そのとき、金銭がらみのことも多いのでしょう。家業、自営業、権利証や不動産などは多額の利権が絡むので厄介です。資金力が必要になります。通常の暦人にはそれを調達することは不可能です。そんな時、未来の「背取り」家業で転売をする。五百年も前の書籍と言えば相当な値が付く。それを資金源にしています。未来のお金はすぐさま古い時代のお金に両替されて、あるいは過去に発行された高額の記念金貨なども考えられます。そのお金を持って二十一世紀に戻る。そこで、困った人にそのお金を無利子、無担保で預ける。当然、催促もしないのでしょうね。一家心中を免れた人たちは、何事も無かったかのように日々の生活を送ることが出来る。勿論、それは尊い命が幾つも救われることを意味します。そこで名も無き庶民の大惨事は起こらないという、新しい物語の時間が流れます。当然、当初事件を拾った新聞の社会面からはその惨事を知らせる記事は消えてしまう。そして何事も無かったように「時のせどりや」は次の案件に赴くと言った感じでしょう。実社会、現実時間にいない人がやったことにタイムパラドックスは生じないので。その作業場の一つが紫陽花庵というわけですね。おそらく」


 八雲の分析力に一同は固唾を飲んで聴き入っていた。

「噂通りの坂東御三方の皆さんはすごい暦人でした。角川御師さんでもそこまではたどり着いていません」

 呟いたのはカノンだった。彼女は驚きを隠せない。

「坂東御三方って何だ?」と夏見が小声で夏夫に問いかける。


「僕も最近知ったんだけど、船橋の夏見、相南の山崎、梁田の八雲の御師三人のことらしいよ。奇才の集まりだって評判だわ」と返す。

「なんだその『寛政の三奇人』みたいな呼び方。それにオレ入ってんの?」と自分を指さす夏見。

 夏夫は笑って頷く。

「そんな幕末志士のような立派なもんじゃ無いだろう」と疲れ笑いの夏見。


 そして彼は立ち上がると、八雲のそばに行って、

「なるほど、いつもながらおまえの分析力には頭が下がるよ」と頷いた。そして「現実にあった、もうひとつのパラレルな時間の流れの中では、あの山の中の惣菜屋は、助けが無ければ、あと数日先に新聞の社会面に出ている可能性があった人間、ってことか」と確認する。


 八雲は伏し目がちに「そういうことになるね」とだけ返事した。安堵と同居するその眼差しは悲しみにも満ちていた。


 カノンは思い出したように、割烹着のポケットから一通の手紙を取り出した。そして山崎にそれを渡す。

「お父様、西播さんからです。見事凪彦さんたちが全てを見抜いてしまったときは、渡して欲しいと言われていました」

 山崎はそれを受け取ると、封から取り出して広げる。


『前略 私が相南の家を出てからそっちの時間ではどれくらいが過ぎているんだろうね。中学以降の君を知らない父だが許して欲しい。人の幸せを願う暦人に誇りを持って、今も活動している最中だ。御手洗さんのお話をたまに聞いて、君が元気にしているというので、安心しています。先日、芝の古書店で出くわした夏見くんが、その後、いろいろと調べていることが分かった。また『時のせどりや』のことが一部の暦人の間で話題になってしまったようだ。人々の幸せを願うならこの件からは静かに手を引いて、忘れてほしい。理不尽のもとに、失う必要の無い命が散っていく。まざまざとその現実が日常の中で繰り広げられている。その命を守るために、『時の翁』とともに少々手荒な手法で動く暦人も、もしかしたらいるかも知れない。心の片隅にでいい、そんな暦人の活動も覚えておいて欲しい。勝手なことばかりお願いして、父親らしいことを何もしてあげられない私に、そんな権利はないことも分かっている。人々のための、優しさのための馬鹿なお願いだと思って欲しい。唯一、こっちの時間で暮らすことになって幸せなことは、病中の母さんに見舞いに行き、看護できることだ。花を手向ける日々よりも、大手を振って生前の母さんと会えることが何よりも私の幸せなんだ。『時の翁』が私にくれた最高のプレゼントだ。母さんには君が結婚したことも知らせている。だから君のいる時間の中で、墓の下に眠る母さんは君の結婚を知っているよ。母さんはとても喜んでいた。内緒だが美瑠さんの写真もお見せしたら、ベッドでずっとうれし涙を流していた。自分の病気以上に気にかけていたようだ。今、自分がどの時代の人間だか分からなくなってしまった、めちゃくちゃな時間の中をさまよっている父だが、君とは、またいつか表だって会える日が来ると信じている。その時まで、ともに暦人として、人々の幸せを願って生きようではないか。   不一

   凪彦様                        西播』


 山崎の字面を追う目には滲むものが溢れていた。四十年ぶりに目にする実父からの手紙、父の文字である。


「やっぱり、父さんは立派だった。私を捨てたわけでは無かった」


 わなわなと小刻みに震える山崎の背中に、カノンはそっと手を添えた。美瑠も嬉しそうに山崎に頷く。何十年もの間、希望と憂鬱を繰り返して、自問自答し苦悩してきた父への思いだ。彼の背負うものは、他の人には計り知れないことだと、ここにいる皆が分かっていた。

 手紙を見ていない皆も、山崎の様子からおおよその見当は付いていた。誰も茶化すこと無く、ただ静かに見守っている。対岸の片瀬の町灯りがポツリ、またポツリと付き始める。


 場の雰囲気を変えるかのようにカノンは突然声を発した。

「皆さんには、この件への私からのささやかなお礼をしたいと思います」

 カノンは厨房に戻る。厨房には大皿が幾つも並んでいた。秘密を維持してくれるであろう暦人達にとお礼の宴の料理を用意していたのだ。

「絵の島近海でとれた海産物です。ぜひお召し上がり下さい」

 次々と出される大皿料理に驚きの声が響いた。

「こんな小さな定食屋のおばあちゃん料理ですけど、味は結構いけるんですよ」とカノン。

 八雲は「やった。しらす丼だ」と上機嫌である。待ちわびた分だけ喜びもひとしおだ。


「こんなに頂いては、お支払いが大変になっちゃうんですけど」と心配そうな山崎に、

「お代はね、西播さんと私で折半しているので、特にいりません。あと飲み物代は、『時の翁』様が置いて行かれたビールと日本酒です。どうぞ召し上がれ」とカノンは大盤振る舞いである。


 山崎は心残りの一つだけカノンに訊いてみることにした。

「御手洗さん。弦六さんは今どういう状態なんですか? ご家族にも心配かけるといけないので」

「彼はまだ西播さんの見習いですから、私と同様に、この時間の中に籍を置いています。いつでもおうちに帰れる身分ですよ」

 それを聞いた山崎は笑顔を向けると、

「よかったです」とポツリと言った。

 そして日本酒を手に取ると夏見の手にあるコップへとお酌した。

 夏見は「何だよ。山崎のお酌かよ」とブーたれる。

「白鷹ですよ」とラベルを指さす山崎。

「へえ、『時の翁』さん、気が利いているよな。白鷹とおかげさまの日本酒は、我々暦人にとって命の水だ」と夏見はコップ酒をくらう。伊勢神宮とご縁のあるお酒である。

「確かにその通りだ」という八雲に、

「おっ、初めて意見が合ったなハム太郎」と上機嫌の夏見。


 それとは反対に、不服そうな八雲の目つきが鋭い。ハム太郎というニックネームに文句があるようだ。彼の仕草は当然の行為だ。


「ところで、三人が初めて出会ったのっていつのことなんですか?」と栄華。気の置けない親密ぶりを目の当たりにしての素朴な疑問のようだ。

「高校生の頃だったか?」

「だわ」

「確かさ、熱田あつた神宮の近くか」

「そうそう。でもまだそれは仲良くなる前の話だ」

「お互いを尊重、必要と確信したのはそのあと。伊賀上野から湯の山温泉辺りのキャンプ場かも?」

「そうだ!」

「サワちゃんもね、キャンプに行った時の……」

「あの時か!」


 山崎の長年の苦悩が消え去り、文吾の優しい足跡を確認出来て、命を大切にしている暦人の存在も、彼らの心をより温かなものに変えてくれた。今回は全てが真新しく、再生される、時間さえも新しく作られると言う、まるで「時の大祓」を済ましたような清々しさの中で、皆の心が洗われた一件であった。


約束

 帰り道。弁天橋を渡り終えた辺りで、美瑠が夏見の横に来た。

「一件落着ですかね?」と問う美瑠に、

「まあ、そんなところかな?」と笑う夏見。

「……ってことは、栄華さんとご婚約も成立で良いんですよね」と素晴らしい誘導尋問。不意を突かれた夏見は「うっ」と言ったまま固まる。ぐうの音も出ない夏見。まるで夏見の時間だけが止まってしまったようである。

「栄華さんの前で男っぷり見せて欲しいなあ」と美瑠。そして「文吾さんって、そういうところは男だったんでしょう?」と師を引き合いに出す辺りが策士肌である。


 栄華は無言のまま二人の一歩後を歩いている。

 ふと我に返り、夏見は後ろを向いて、栄華に諭すように言う。

「オレ、すごい金食い虫で、角川家の財産食いつぶしたら困るだろう」

 逃げ腰の夏見に涼しい顔で「そんな財産は、我が家にはありませんからご心配なく」と言い切る。


 諦めきれない夏見は、肩をすくめて、首を横に振ると、再度、

「オレは散財が趣味で、すぐにいらない高価なものを沢山買うよ。生活に不向きだ」と仕切り直す。

 再び涼しい顔の栄華は、「割と自然派であんまりお金使わないの知っています」と受け付けない。


 今度は頭をかいて、

「オレ頭悪くて、育ち悪いから有名ピアニストの旦那さんになるにはふさわしくないんだよね」と劣等生を演じながら言い訳をする。

 興味なさそうな声で、「頭悪いのは私もです。ピアノ取ったら何も取り得ない、ってよく言われてます。馬鹿夫婦っていうのも悪くないですよ」と栄華の返事に、素通りに近い扱いの夏見の言葉である。


 敵ながらあっぱれの珍問答に夏見もやや不利な情勢だ。ここで起死回生の一言に夏見が選んだのは、結局男ネタである。

「かー、これだけは言いたくなかったけど、オレもの凄い変態、エッチなの」

 この言葉には並んで歩いている皆ほうが恥ずかしくなった。

「おいおい」と八雲。

 八雲は、山崎に、

「あのお馬鹿さん、なんとかしてよ」と耳打ちする。

 苦笑する山崎。

 だが、栄華の返事も負けてはおらず、

「夫婦ですものそれくらいしますよね」と全く動じない。

 言い訳の連発をしていた夏見もそろそろ限界である。見るに見かねた山崎が夏見の横に来て言葉を発した。山崎にしては珍しくお説教モードの口調だ。

「いい加減見苦しいですよ。お互い好きなんだから、皆の前だからって意地を張らずに、受け入れてあげたらどうですか?」と落としどころの良い正論を吐き出した。


「あーあ、出た」と夏見はあきらめ顔をする。

「山崎の正論にはかなわないや」

 美瑠には、山崎がこの言葉を出すのを、夏見は待っている風に見えた。意外に照れ屋である。


 たじろぎながらも、そう言って覚悟を決めた夏見は、

「栄華ちゃん、オレと付き合ってみますか?」と握手の右手を差し出した。

 その仕草に、栄華はまわりの皆が驚くような行動に出た。その右手を自分の左腕に絡めて、腕にしがみつく栄華。夏見に寄り添って離れない。

 そして「やっと私のものになって下さいました」と満面の笑みで満足そうである。幸せの笑顔で夏見を見つめる。


 夏見はその姿に、

「おう。なんだな。かわいいじゃないか……意外に。ピアノ馬鹿のお嬢さん」と照れたまま呟く。そして八雲に向かって、

「おい、夏見がこんな可愛い彼女作れるわけ無い、って言ったよな。ハム太郎」と自信満々で言う。


 八雲は、「ああ言ったけど、それが何か?」と平然と答える。

「ちゃんと出来たじゃ無いか」

「そうだね。良かったね。まあ大事にしてあげれば。せいぜい愛想を尽かされないようにね」と笑って、この件は興味なさげに片づけた。

「ちぇっ、いつもこれだ」

 夏見は舌打ちしてから、にこにこ顔の栄華に笑顔を返すと、

「大切にしますよ。愛想を尽かされないように」と八雲の助言に従った。

「ありがとうございます。わたしも頑張ります」


 このにこにこ顔は相当な喜びであると、長年の知り合い美瑠もつられて笑顔になった。

 その横で晴海は、美瑠に話しかける。

「ねえ美瑠さん。今日、『さきわひ』に何人泊まるの?」

「うーん。最低でも六人はいると思う」

「もう、合宿所並みね」

「明日の朝食の素材を買って帰らないとね。スーパーギンビスに寄って帰ろう」

「私も付き合うわね」

「ありがとう。晴海ちゃん」

「あのおじさん、おばさんのカップル、結構初々しいよね。ちょっとイタイ感じもするけど」と茶化す晴海。

「こらハルちゃん。生意気言うんじゃ無いの」と笑顔の美瑠も、先輩栄華の恋が成就したことに嬉しくて、ここは軽いおとがめで済ませた。

「角川のおばさまには、せどり屋の一件は、時間のかかる案件だってことにして、出来るだけ時間を引き延ばしておきましょうね」と言う美瑠に、晴海も栄華もただ無言で頷いた。


「時のせどりや」の実態は再びベールに包まれ、大祓の儀式とともに大海原へと流れ去った。やがて忘却と言う波が、跡形も無く、それらの残骸すら消し去ることになる。文吾と西播、偉大な暦人の大先輩の仕事や優しさを感じた彼らは、暦人として得るものが大きかったことを実感している。


 一行の道の両脇には、赤、紫、青と彩りを添える紫陽花が咲いている。土壌や時期、環境で色を変える花だ。一説には、相模湾周辺の谷戸が本来の野生の生息地だったという。湘南から伊豆の辺りに咲くガクアジサイやヤマアジサイといったものがそうだ。本来の居場所にいられる者も、流転の人生を背負う者も、それぞれにあった色の花を咲かせているはずである。

 腕を絡ませて、夏見に寄り添い離れない栄華。栄華は心中、夏見の花の色と一緒に歩めることになった今日の日に感謝していた。

                                 了

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