十一話
男性は立ち止まることなく歩き続けてる。森の中を散々逃げ回った俺は、もう北も南もわかってない。この森を抜けるには、それを把握してるらしい男性に頼るしかなかった。
黙ってしばらく歩き続けてたけど、前を行く男性がおもむろに立ち止まって、俺も足を止めた。
「……この辺でいいか」
ぼそりと呟いて男性はこっちに振り向いた。
「どうか、したんですか?」
聞くと男性は無表情で俺に歩み寄ってくる。
「な、何……」
何となく怖さを感じて、俺は一歩後ずさった。
「怖がらなくていい」
そう言った瞬間、男性の手が動いて、俺は腹に強い衝撃を受けた。一瞬息が止まって、頭の奥がふわりと揺れた気がした後、俺の意識は闇に飲み込まれてった。
「……はっ!」
次に目が覚めた時、俺は明るい場所で寝かされてた。上半身を起こして周りを見回す。天井から吊るされたシャンデリアが広い部屋を照らしてる。石造りの壁に高級そうな赤い絨毯。壁際には炎が揺れる暖炉に、駆ける馬が描かれた絵が飾ってある。他にも分厚い本がびっしり詰まった本棚や、鏡のように磨かれた白い壺なんかが置かれてる。一見しただけで金持ちの家だってわかるような部屋だ。俺が寝かされてるのも、ビロードを張ったふかふかのソファーだし、そのすぐ前にある机は大理石で作られてる。間違いなく俺は金持ちの家にいる。それはわかった。でもどうしてこんなところにいるんだ? どうやって来たのかも憶えてない。確か、目が覚める前は――
「……そうだ!」
思い出して俺は思わず歯ぎしりした。俺を助けて味方面した男に、腹を殴られて気を失ったんだった。つまり、ここに連れてきたのはあの男……。
「くそっ、姉ちゃんがいるとか言っといて……騙された!」
「それは心外だ」
声に振り向くと、部屋の奥の扉が開いて、あの若い男が入ってくるところだった。
「助けてやって、礼もなしか」
無表情で歩きながら男が言った。明るい場所で見る男の姿は意外にたくましく、全体的に細身だけど、肩や腕には筋肉がしっかり付いてる。色白の顔にはもう返り血はなくて、服も森で着てたものを着替えて、質素なシャツとズボンに変わってた。
背が高いせいか、目の前まで来て俺を見下ろしてくる目が何だか威圧的で、俺は内心びくびくしつつ、言い返した。
「殴った相手に、礼なんか言えるか」
これに男は面倒そうな表情を浮かべた。
「こっちも都合ってものがあるんだ」
「人を殴る都合なんて聞いたことないけど」
男は赤毛の頭をぽりぽりかきながら言う。
「……この場所を外の人間に知られるわけにはいかない。だから殴って運んできた」
「知られたくなきゃ、連れてこなければいいだろ」
「うるさいやつだな……これは俺の意思じゃない」
「命令した人がいるってこと? その人はどこ?」
「そのうち来るさ」
そう言って男は、俺の向かいのソファーに腰を下ろした。そして腕と脚を組んで、所在なさそうに部屋の奥を眺め始める。……そう言えばこの人、人を殺したんだよな。そう思うとかなり怖いけど、俺に危害を加える気は今のところなさそうだ。この人も状況もわからないことだらけだし、もう少し質問したいんだけど、平気かな……。
「……何だ」
ちらちら見てたら、男から声をかけてきた。
「あなたは、誰? 何で俺を助けたの?」
「言われたからだ」
「誰に?」
「そのうち来る」
男の返答は素っ気ないけど、それでも質問を続けた。
「俺をここに連れてきた理由は?」
「言っただろ。姉さんを保護してるって」
「でもいないじゃないか」
男の青く鋭い目が俺を睨んできた。
「そのうち来るって何度言わせる気だ。黙って待ってろ」
ふう、と息を吐いて、男はそっぽを向いてしまった。……こんなことで俺はくじけないぞ。
「あなたの、名前は?」
「……教える必要はない」
「あの森の男、本当に殺しちゃったの?」
「だったら何だ」
「あの男は一体誰だったの?」
「お前をさらおうとしたやつだ」
「どうして? 俺はあんなやつ知らないけど……関わったこともないのに」
「とばっちりってやつだ」
「何か知ってるの? それなら教えてよ」
「面倒だ。聞きたきゃ向こうに聞いてくれ」
そう言って男は部屋の奥の扉を顎でしゃくった。そっちへ俺が振り向いた瞬間、ガチャっと開いた扉の向こうから、捜し続けた待望の姿が現れて、俺は思わずソファーから立ち上がった。
「……姉ちゃん!」
立ち止まった姉ちゃんは俺の顔を見るなり、満面の笑みを浮かべてこっちにやってきた。
「アイヴァー! よかった……」
姉ちゃんにひしと抱き締められて、俺は胸を撫で下ろした。無事だった……本当によかった。
「姉ちゃん、怪我とかは? 何かひどいことされてないか?」
「大丈夫よ。とってもよくしてもらったわ。アイヴァーのほうこそ、怪我はないの?」
「まあ、首絞められたり、あの人に一発食らったりしたけど……それ以外はないよ」
少し嫌みを込めた視線で男を見たけど、向こうはまったく意に介してなかった。
「一発食らったって、どういうことよ」
新たな声に目をやると、俺の横をすたすたと通り過ぎてく女性の姿があった。
「……ロヴィサさん?」
食堂で見た時と同じ、細身のズボン姿で長い金髪をなびかせるロヴィサさんは、ソファーに黙って座る男に歩み寄った。
「ラグナー、もしかしてあの子に暴力振るったの?」
「そんなんじゃない。ここに運ぶために、少し眠っててもらっただけだ」
「それはつまり暴力振るったってことでしょ?」
「ここを他人に知られてもいいのかよ」
「駄目よ。駄目だけど、もっとやり方ってものがあったでしょ」
「はいはい。次からは優しくするよ」
男は両手を上げてロヴィサさんの剣幕に降参の態度を見せる。そのちょっと投げやりな言動に、ロヴィサさんはまだ納得できてないようだったけど、後ろで見てる俺達に気付いて、すぐに険しい顔を緩ませた。
「ごめんなさい。弟がひどいことをしたみたいで……痛かったでしょ?」
「い、いえ、もう平気ですから気にしないで――って、今、弟って言いましたか?」
「ええ。この無愛想なのは私の弟ラグナーよ。……ちょっと、自己紹介くらいしなさい」
「必要ないだろ」
ラグナーさんは腕を組んで、またそっぽを向く。
「……ごめんなさいね。こう見えても本当は心根の優しい弟なんだけど」
呆れたようにロヴィサさんは言った。少し話した印象じゃ、大して優しさなんか感じなかったけど。でもそんなことより――
「ハンネスも弟なんですよね? っていうことは、お二人は……」
「そうよ。私とラグナーとハンネスは姉弟よ」
ハンネスは三人姉弟だったのか。見たところ、ラグナーさんのほうが年上っぽいから、ハンネスが末っ子ってところか。それで合点が行った。ラグナーさんの目が、前にハンネスが見せた目とよく似てるわけが。兄と弟なら似るのも当然だ。ちなみに色白なのもよく似てる。
「あの、姉ちゃんを保護したって聞いたんですけど、やっぱり姉ちゃんも危ない目に遭ってたんですか?」
「遭う前って言ったほうが正しいかしら。そんな気配があったから、私が保護したのよ」
「私は、仕事を終えて町で買い物していたら、急にロヴィサさんに声をかけられてね。一緒にお茶しませんかって言われて、一度はアイヴァーの荷作りの手伝いがあるからって断ったんだけど、ほんの少しでいいからって言われて、それでこのお屋敷に招かれたの。そうしたら実は、悪い人に付け狙われているって聞かされて、アイヴァーも時期来るって言うから、ここで待っていたんだけど……アイヴァーは、何か怖い目に遭ったの?」
「俺は、姉ちゃんが全然帰ってこないから、町のあちこちを捜し回ってたんだ。でもいないから、郊外の林まで捜しに行ったところで、変な男に出くわしてさ。危うく捕まりそうになったところで、そこのラグナーさんに助けられたんだよ」
「……変な男に、襲われたの?」
ロヴィサさんが顔を近付けて聞いてきた。
「はい。ナイフを持った男に……」
するとロヴィサさんは、険しい目でラグナーさんを見据えた。
「どうりで予定より遅いと思ったら、そんなことになってたのね」
これにラグナーさんは不満そうな表情を見せた。
「俺はロヴィサの言う通りに動いただけだ。こいつが家にいるって言うから行ったのに、姿がなかったんだ。それで辺りをくまなく捜すはめになった。こいつが勝手に動き回ったせいでな」
勝手って、俺はそっちの事情なんか知るわけないんだから、そんな言われ方される筋合いはないぞ。
「だから言ったじゃない。急いでって。それなのに、ちんたら支度なんてしてるからそうなるんでしょ」
「仕事に行く時は入念な支度をしろって、いつも誰かに言われてるからな」
「これは仕事じゃないでしょ。それくらいの判断はしてほしいものだわ」
「結果、助かったんだからいいだろ、それで」
「結果はね。でももう少し遅ければ、もっと厄介なことになってたわ。そこは反省しなさい」
ラグナーは不満顔のまま、ふんっと鼻を鳴らして黙り込んだ。傍から見てると何だか、母親が子供を叱ってるみたいに見えるな……。
「そんなに責めないであげてください。彼はアイヴァーを助けてくれたんですから」
目くじらを立てるロヴィサさんに姉ちゃんが笑顔で言った。まだ言い足りなさそうなロヴィサさんだったけど、姉ちゃんに免じてどうにかラグナーさんから視線を外した。
「ところで、ロヴィサさんはどうして俺達が危ないってわかったんですか? それに俺を捕まえようとした男は、一体誰なんですか? そもそも何でロヴィサさん達が俺達を助けて――」
「ちょっと待って。詳しい話は全員が揃ってからにしましょ」
「全員って……?」
「今回の出来事の原因を作った人物よ。さあ座って。現れるまでゆっくりお茶でも飲んでましょ」
そう促されて、俺と姉ちゃんは並んでソファーに座った。一旦部屋を出たロヴィサさんは、盆にティーセットを載せて戻ってくると、俺達に丁寧に紅茶を注いでくれた。赤みがかった温かい紅茶はいい香りで、一口飲むと喉の奥まで爽やかな感じが広がった。でも俺には苦い。スプーンで四杯くらい砂糖を入れないとなかなか飲みにくい味だ。隣で姉ちゃんは砂糖も入れずに平然と飲み続けてる。この苦味も美味しいんだろうか。それをロヴィサさんは机の横で、にこにこしながら見てた。ラグナーさんは腕を組んで、相変わらずそっぽを向いて黙り続けてた。
それから十分ほど経った頃だった。
「……やっと来たか」
ラグナーさんがぼそりと呟いた。すると扉の向こうから、何やらばたばたと慌てるような足音が聞こえてきた。それがだんだんこっちに近付いてきて、そして――
「……ウルリカさん!」
勢いよく開いた扉の向こうには、相当急いで来たのか、茶の髪を乱したままのハンネスがいた。
「ハンネス、さん……!」
振り向いた姉ちゃんが呼ぶと、ハンネスは走ってその横まで来た。
「ああ、お怪我はありませんか? どこかに異状なんか――」
「私は大丈夫ですから。あの、あまり近いと、照れます……」
ソファーの縁をつかんで姉ちゃんに触れそうな勢いで顔をのぞき込んでたハンネスは、そう言われて慌てて離れた。
「す、すみません、つい……。急にロヴィサに呼ばれて、急いで来る途中も、ずっと心配してたもので」
「心配をさせてしまっていたんですね……それは、申し訳ありません」
「あなたが謝る理由は何もありません。悪いのはすべて僕なんですから」
「そうね。全部ハンネス、あんたのせいよ」
ロヴィサさんが厳しい顔で言った。
「私が心配した通りになったわね。やつらはこの姉弟に目を付けてた。あんたは守るって言ったけど、結局守ったのは私達よ。これはどう言い訳するのかしら?」
ハンネスは悔しそうにうつむいてる。
「……まあいいわ。とりあえず座りなさい。座って、こうなった説明をしてあげなさい」
「でも二人は僕達とは――」
「関係ない? 巻き込んでおいてそんなことを言うの? 今や命が脅かされてる状況なのよ。それを理解してもらうためにも、すべて話してあげなさい」
「すべてって、俺達の仕事のこともか?」
ラグナーさんにロヴィサさんは軽くうなずいた。
「もちろん」
「本気か? 言えばすぐに警察に駆け込まれるぞ」
「この二人はそんなことしないわよ。でも、そんなに心配って言うなら……ここで聞いたことは誰にも言わずに、ずっと秘密にしてくれる?」
俺と姉ちゃんに、ロヴィサさんは笑みを浮かべて聞いてきた。そんなにやばい話なのか……?
「わかりました。私達の秘密にします。アイヴァーもいいわよね?」
あっさり承諾した姉ちゃんを俺は見返した。おいおい、もうちょっと慎重になるべきじゃないか? 未練があるハンネスが絡んでるからか、まったく迷いがないらしい――不安な気持ちは強かったけど、姉ちゃんに促されるまま、俺は仕方なくうなずいた。
それを見てハンネスは小さな溜息を吐くと、静かにラグナーさんの隣に腰を下ろした。そのラグナーさんは自分達のことを話されるのがまだ嫌みたいで、むっとした表情を見せ続けてた。
「じゃあ……発端となった仕事のことから……」
少し間を置いてから、ハンネスは俺達のほうを見ながら話し始めた。
「僕達家族は、表には出ない裏社会で、代々ある仕事を専門に引き受けてるんです。今から一年ほど前に、僕は依頼された仕事で、その裏社会では名のある男を……始末しました」
俺も姉ちゃんも、一瞬その言葉の意味がわからなくてきょとんとしたけど、ハンネスの気まずそうな顔を見て、そのままの意味に取っていいんだとわかった。
「人を……殺したんですか?」
確認するように、ゆっくり聞いた姉ちゃんに、ハンネスは目を伏せてうなずいた。
「人を殺すことが、お仕事、ということですか?」
「レツィウス家と言ったら暗殺一家ってね。自分で言うのも何だけど、裏社会じゃかなり知られた存在なのよ。……ほらハンネス、続けて」
ロヴィサさんは悪びれもしないで、まるで自分の仕事が一般的にあるような口調で言った。ちょっと自慢も入れながら……。俺には到底理解できそうになかった。人殺しが仕事って、暗殺一家って、それはつまり、目の前にいるこの三人の姉弟は皆、人殺しで暗殺者ってこと? 日常的に人を殺して、それで生活してるってこと? この部屋にある高そうな家具や壺は、全部誰かを殺して貰った金で買ったもので、三人にとってそれは当たり前なわけで、人を殺すことは仕事でしかなくて――やっぱり、聞いちゃいけない話だったんじゃないだろうか。これは表で生きる人間が一生知らなくてもいい世界の話だ。下手に聞けば面倒なことに巻き込まれかねない……っていうか、もう巻き込まれてるんだけど。ロヴィサさんがすべて話してもいいって言った理由が何となくわかった。こんなこと聞かされて、生真面目に警察に行く人なんてまずいない。行ったら最後、自分が始末されるだけなんだから。それに気付くはずの俺達はそんなことしないって、それを見越してロヴィサさんは信用したんだ……。これは、暗黙のうちに脅迫されたんだろうか。もうあまりにかけ離れた世界の話すぎて、何に怖がればいいのかもわからなくなってくる。
隣の姉ちゃんをうかがうと、俺とは違って動揺した様子はなくて、真剣な眼差しでハンネスの話に集中してた。
「それを最後に、僕は仕事をやめてこの家を出たんですが、その後、始末した男の後継者とその一味が復讐に動いてると知らされました。男の始末を依頼した人間を突き止めるため、まずは実行した僕を捜し始めて……」
「我が家にはいろいろと規則があってね。仕事柄、多くの恨みを買うせいで、すべて終えた後にも大小の厄介事が起こることがあるの。でもそれは仕事を受け持った本人が片付けなきゃいけないんだけど……」
ロヴィサさんはわかりやすく、じろりとハンネスを見やった。
「僕はもう、家の仕事に関わるつもりはない。表の社会で平穏に生きていきたいんだ」
「お前のすることに興味はない。勝手にしろ。でもな、中途半端なまま出ていくな。全部片付けてからそういうことは言え。おかげでこっちはいい迷惑だ」
苛立った口調でラグナーさんが言った。
「ハンネス、これは規則よ。あんたが片を付けなさい。わがままを通せばやってくれると思ったら大間違いよ」
「家を出た日から、もう人は殺さないって決めたんだ」
「甘いこと言ってんじゃないわよ。あんた、何回狙われてると思ってるの? そのたびに私が守ってあげたことを見てないふりする気じゃないでしょうね」
「前にも言ったけど、頼んでないことはしないでくれ」
これに、ラグナーさんは射るような目でハンネスを睨み付けた。
「お前何様だ? ロヴィサが、俺達が、一体どれだけお前に時間を使ってるか知って言ってるのか。頼んでないとか、お節介だとか、そんな程度しか感じてないなら、俺はお前を半殺しにするぞ」
「もちろんわかってる。皆の僕に対する気持ちは……。でもそれだと、家を出た意味がなくなる。表の世界で生きてくって決めたのに、二人に頼るわけにはいかないだろ?」
「それじゃやつらに殺されても文句はないってわけ?」
「僕は殺されないし、その自信もある」
はっきり言ったハンネスに、ロヴィサさんはあざけるように笑った。
「はっ! やっぱりあんたは自分本位の甘ちゃんね。自分さえよければ、周りの人間が迷惑を被ろうと知ったことじゃないっていうのね」
「違う! そんなこと――」
「だってそうじゃない。表の世界で生きようとすれば、あんたを狙うやつらも付いてくわ。それをわかっててもあんたは町を離れなかった。殺されない自信があったから。でもそれは自分に限ったこと。仲のよくなった人間がどんな影響を受けるか、とっくにわかってたわよね。あんたは私達の力を借りず、自分ですべてできると思い上がった。でも現実はあんたの理想よりもっと厳しいの。自分しか守れない中途半端な男が、一人前気取りしないでちょうだい」
図星を突かれたのか、反論できないハンネスは沈んだ表情でうつむいた。
「……あの、疑問があるんですけど」
話が途切れた時、おずおずと姉ちゃんが言った。
「私達は、どうして狙われたんでしょうか。恨みに思っているのはハンネスさんなんでしょう?」
「僕を脅す材料にしようとしたんです。おそらく、ウルリカさんとアイヴァーを人質にして、僕をおびき出すつもりだったんでしょう」
「私達を人質にして、犯人はハンネスさんが来ると思ったんでしょうか」
「どうしてですか?」
「ハンネスさんとは食堂でお話をするだけで、友達、というほどまだ親しくはないですし、深い関わりのない私達が人質になっても、あまり意味がないように思えたので……」
これは姉ちゃんだけの疑問だな。ロヴィサさんとラグナーさんを見ても、特に同じ疑問を抱いてるようには見えない。それはつまり、ハンネスが姉ちゃんに惚れてることを知ってるか、薄々感じ取ってるんだろう。
「この町で気軽に話せるのは二人だけですから、向こうはそれを見て何か関わりがあると思ったんでしょう。でも、ただ話す仲だとしても、二人が人質になったとなれば、僕は迷わず助けに行きます」
「あ、ありがとうございます……」
はにかんだ姉ちゃんは嬉しそうに言った。知らないのは本人だけってね……。
「言葉で言うのは簡単だけど、一体どこまで実行できるかしらね」
ロヴィサさんが疑う目でハンネスを見る。
「……甘く考えてたことは認めるよ。でも僕は僕のやり方で片を付ける」
「やつらはかなり痛い目を見ないと、永遠にあんたを付け狙うかもしれないわ。殺さない方法でそれを断てるの?」
「まだわからない。わからないけど、僕は自分で決めた規則は変えたくない」
「ふん、こっちの規則を無視して、よく言う」
ラグナーさんが小さくぼやいた。
「それで、狙われてる二人を守り切れるの?」
「それは絶対に……いや、今度こそ守る。やつらには触れさせない」
横目で姉ちゃんを見ると、ハンネスの真剣な顔に釘付けになってた。……こりゃ気持ちが再燃するのも時間の問題だな。
「……わかったわ。じゃあ私達はお手並み拝見させてもらおうかしら。ハンネスのやり方とやらがどこまで通用するかをね」
ロヴィサさんは腰に手を置くと、にやりと不敵な笑みを見せた。
「話は終わったな。じゃあ俺は行くぞ」
勢いを付けてソファーから立ち上がったラグナーさんは、足早にさっさと部屋から出てってしまった。
「それじゃ、僕達も行きましょう」
続けて立ち上がったハンネスがこっちを見る。
「待ちなさい。そろそろ夜明けだけど、外はまだ薄暗いわ。明るくなるまでここにいなさい」
すかさず言ったロヴィサさんにハンネスが返す。
「いや、僕達はすぐ出るよ」
「暗い中は危険よ。明るくなるまで安全なここに――」
「この家には長居したくないんだ。仕事の時の感情がよみがえる気がするから……」
これにロヴィサさんは少し傷付いたような寂しげな表情を浮かべたけど、すぐにそれを消すと言った。
「あらそう。人が親切に言ってあげたっていうのに……じゃあ早く行ったら? 二人のこと、しっかり守れる自信があるならね」
ふんっと顔をそむけると、ロヴィサさんはそのまま部屋を出てった。
「……あの、大丈夫ですか?」
「何がですか?」
ハンネスは姉ちゃんに振り向く。
「険悪になっていませんか? 姉弟仲……」
「そんな心配をしてくれるんですね。気にしないでください。言い合いはしましたけど、怒鳴られる原因は僕にあるんですから。これで仲たがいなんてしませんよ」
姉ちゃんを安心させるようにハンネスは微笑んだ。……そうなんだよ。こうなった原因は全部ハンネスなんだよ。
「なあ、俺達はハンネスのせいで狙われてる。この責任はどうやって――」
「言いたいことが山ほどあるのはわかるけど、それは後でじっくり聞くよ。とりあえず、まずはここを出よう」
「出て、どこ行くんだよ」
「二人の家はやつらに目を付けられてる可能性が高いからね……僕の家に行こう」
「ハンネスさんの、家、ですか?」
姉ちゃんの弾んだ声が言った。喜ぶような状況じゃないだろ。まったく……。
「小さなところですけど、安全ではあります。それじゃ行きましょう」
ハンネスの後ろを姉ちゃんは付いてく。それを見て俺は素直に付いてくのをちょっとためらった。裏社会とは何の関係もないのに、俺達が巻き込まれた理不尽さに腹が立つ。だけど、ここは冷静に、やっぱり話を聞くしかないか――一度大きく息を吐いて感情をなだめてから、俺は遅れてハンネスの背中を追った。
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