挿話 北門にて

 森の奥に佇む人影がある。

 護られる位置に立っているのは小柄な女。フード付きのマントで頭から全身を覆い、不愉快そうな表情を浮かべている。汚れた場所にいるのが我慢ならない、という風情だった。

 その横には護衛と思しき剣を提げた男がいた。

 二人はただ時間を潰すかのように立っていた。


 二人の視線の向こう、森の入口方面で何かがチカッと白く輝いた。

 無数の光。

 はっとした男が剣の柄に手を置く。

 しかしその前に男の額には白刃が突き刺さり、そして抜けていった。

 横様に叩きつける驟雨のように、周囲が一斉に大きく鳴る。

 切り裂かれた木の葉が宙を舞う。

 どう、と男が倒れる。

 一瞬のことだった。


 何が起こったのか掴みそこねた女はしばし棒立ちし、慌てて周囲を確かめる。

 護衛はもう一人いる。


「ちょ、ちょっと! 私を護りなさいよ!」

「あー……」


 呼ばれたもう一人の男は実に面倒そうに持ち場を離れ、できるだけゆっくりと歩いた。


「俺ぁ無理だって言っただろうがよ」


 もう一人の男――ダリオは警戒するそぶりすらなく、のそのそと女の側に付く。

 剣すら抜いていない。


「はあ!? ゴロツキ風情が、盾にぐらいなりなさい!」

「いやぁ盾にすらならねえと思うなあ……相手じゃなあ」

「そうですわね! ちょっと視界の彩りが変わるぐらいですわ!」


 華やかな女の声が突如響き渡り、梢を突き破って人がひとり、空から降り立った。

 白いローブに青い縁飾り、典型的な創造神の神官の出で立ちである。

 だがその白さは眩しく、青は鉱物的な輝きで素材の違いを思わせた。

 ひらりと舞うローブに軽鎧を纏った神官は、短めの剣を持ってすっくと立つ。


 切り揃えた長い黒髪も美しいが、なによりその美貌が並外れていた。

 フードの女でさえ一瞬見とれてしまう。

 強く射抜くような濃い紫の瞳が楽しそうに瞬く。


「ダリオ! あれだけ血を抜いて差し上げましたのに、病欠は認められなかったのですか」

「申請はしたんだがなあ、じゃあお前の女を殺すって脅されちゃって」

「あら。確かにそれはちょっと惜しいですものね」

「だろう? ちっと惜しかったんだよなあ」


 古着屋の女をダリオはさほど重要視していない。辺境にある隠れ家のひとつとして利用しているだけだった。

 だがお互い割り切った関係は良好で、第三村も今後の発展が見込まれる。

 こんなことで失うにはちょっと惜しい。

 そういう気持だったし、その機微をグラディスも正しく理解していた。


「な……、なに馴れ合ってんのよ! さっさとやりなさいよ!」


 フードの女が叫ぶ。

 声がみっともなく裏返る。怯んだ自分に腹を立て、また恥じて余計に怒りがわく。

 こんな未開の辺境に出向かされただけでも業腹なのに、どいつもこいつも役に立たない――!


「おう」


 ダリオは短く応え、そして剣閃を放った。

 なかなかに速く、力強い。

 グラディスは軽く手を叩いてやった。

 ころり、とフードの女の首が落ちる。


「まあ、よろしかったの」

「脅迫されただけで、雇われてたわけじゃねえからなあ。金ももらってねーし。テメエの命が大事だな」


 ダリオはフードの女の胴体に残されたマントで剣を拭い、鞘に収めた。

 マントを剥がれた女の体は冒険者風ではあったが、ひとつひとつの素材がどこか不釣り合いだった。

 アレアがここに居れば端的に表現したであろう。「コスプレかよ!」と。


「でも首をはねて蘇生できなくしましたわね」


 グラディスは美しく微笑みながら看破する。

 ダリオは女を斬ってグラディスにおもねって見せたが、その実、情報を取らせないという意味で女の背後に貢献している。


「いやあ……」


 ダリオの背に冷たい汗が流れた。グラディスの美しい貌は微笑みの形を作っているが、瞳にはなんの感情も浮かんでいない。

 野の獣と対峙しているような気分だ。

 ダリオはこの場を逃れる方策を必死で考える。己の口車ひとつに命がかかっている。


「まあでも」


 つい、とグラディスは女の死体に歩み寄り、転がった首をつま先で器用に蹴り上げた。

 片手で掴み取り、フードを振り払う。女の編んだ長い髪がだらりと垂れ下がった。

 グラディスはその髪束を掴み、腰の剣帯にくくりつける。


「頭があれば情報は取れますわ!」


 女の生首を腰に提げ、グラディスは新しいドレスが気に入ったかのように笑った。


 ――ば、蛮族ぅ……!


 ダリオはその様を見て慄然とする。

 薄々感じていたが、もう根本的に感性が違う。

 到底現代人とは思えない。大昔の野蛮な戦士そのままだ。どこでどう育ったらこんな怪物が生まれるのか。

 ガワは極上なのに、その中身は最高にイカれている。


「そういえば、結局赤熊のお仲間はどうされましたの?」


 本当にたまたま思い出した、という風に聞かれ、ダリオは答えに詰まった。

 一瞬の逡巡の後、つまびらかに答えることを選択する。


「なあに、つまんねえ顛末さ。傭兵団といったところで八帝国じゃあしょせん魔物狩りと盗賊狩りしかすることがねえ。一旗揚げに南方に繰り出したんだが、うまいことお貴族様に気に入られてよ。

 お抱え傭兵団としてちっせぇ国でちっせぇ小競り合いと汚れ仕事をやってよ、そこそこの酒を飲んでそこそこの宿で寝る。まぁ成功したってやつ? 一所にケツを据えりゃ女もできてガキもできる。危ねぇ仕事は止めたくもなる。そういう、よくある話さ」

「お前はそれが気に入らなくて皆殺しにしたの?」

「まさか!」


 とんでもない、とダリオは真面目に驚いた。

 そんなことをしても何の意味もない。無駄に疲れるだけだ。


に決まってるじゃねえか。まあまあいい金になったぜ」


 ダリオは顎をさすりながら言った。今頃どこの国でどんな扱いをされているのか知らないが、もう生きてはいないだろう。寂しいものだ。


「『赤』を冠しておいてよう、しょぼい貴族に飼われてご満悦ってのは、ちょっとねえんじゃねえの? って、姫様だってそう思うだろう?」

「そうですわねえ。『赫』に憧れて後追いするなら、せめて意気込みだけでも欲しいですわねえ」


 ダリオは運が向いてきたと感じた。姫様は大層機嫌がいい。

 元々瞬殺されてもおかしくなかったのを見逃されているのは、ダリオに「何かをさせたい」意図があると見ていた。

 この猛獣のような女の気が変わらぬよう、そろりそろりと逃げ道へ下がっていく。


「――ああ、〝おかわり〟が来たようですわね! んっふふ」


 ハッと顔を上げ、グラディスがにんまりと笑う。

 誰だか知らないがダリオは内心で盛大に感謝した。

 ――あんがとよ! 俺の代わりに死んでくれ!


「ダリオ! アレアと会った時、お前に仲間がいましたね? その連中を始末なさい。そうしたらお前のことを忘れてさしあげてもよくってよ」


 ダリオの脳裏に素早く当時の顔触れが思い出される。

 ありがたい。そんな安いもので己の命が買えるのだから。


「仰せのままに!」


 ダリオはまるで騎士のように一礼すると、すぐに飛び出した。

 一刻も早く殺さなくては。でないと安心して眠れない。


「ふっふっふっ、んっふふ」


 ダリオが脱兎の如く消えた後。

 グラディスは実に楽しそうに笑い、踊り出しそうに肩を揺らした。


「ここしばらく慎ましくしておりましたからね! 全部わたくしが狩りますわ!」


 剣を持った手首を軽く振る。瞬時に刃が長く伸び、長剣の長さになった。

 グラディスは森の奥に向かって構えた。


「やっぱり人間を殺すのは楽しいですわ!」


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