第31話 夜空の黒い羽根

 宿に帰る頃にはすっかり暗くなっていた。

 ド辺境だから本当に暗い。私はいい感じの棒を拾うと、その先に光の魔法を点した。


「小さき明かりよ、我が杖に灯れ」


 ベルレのお手本呪文をそのまま拝借する。

 これを唱える時、私は薄暗い馬車の中でベルレが指先に点した小さな灯りをありありと思い出す。

 それは映画のワンシーンのようで、イメージとして明確に構築することができるのだ。


 先端がぼんやり光る棒を提灯のように前に突き出しながら歩く。

 宿に着く前にグラディが「送ってくださったお礼ですわ」と言ってハンカチをくれた。なんだその理由。笑って棒を短く折り、宿に入る。暖炉にでも放り込もう。


 グラディのくれたハンカチは明るいところで見るともんのすごいゴージャスなレースが付いていた。正に貴族の御令嬢が落としそうなやつ。

 前の世界ならともかく、この世界でこのレベルのレースってちょっとした宝石ぐらいの価値なのでは? もらってもいいものなの?


 慌ててグラディを見たけどもう夕食の席についていたので後にしよう。私も急いで席に着く。夕食はハーブを利かせた炙り肉と付け合わせに茹で野菜、スープとパンという、素朴なものだった。シンプルイズベスト。うむ。

 あっ、チーズがある。もうこれだけでご機嫌だ。



 夕食の後、シェルリに呼ばれた。

 来たな、って感じ。

 心配そうな顔のベルレとグラディに見送られ外に出る。しまったあの灯り棒、折るんじゃなかった。

 と思ったけど、シェルリが背に担いだ剣の柄頭を光らせてランプ代わりにした。前の投光器みたいな光量じゃなくてほどほどの明るさだ。


 夜道をほてほてと歩いて、おっさんキルゲーム場、じゃなかった宿の裏手の森の奥、の更に奥まで行く。

 その間無言……というわけでもなく、ぽつりぽつりとたわいもない話をした。この村で美味しかったものとか、読んだ本や新聞の話とか。


 シェルリはどんどん森の奥へと入っていく。細いながらもちゃんと道が通っているので人の往き来はあるようだ。

 そして森を抜けた先には、なんと湖があった!

 暗くてよく判らないけど結構大きい。バーンと空が急に広くなっている。


 繋いであったボートに乗ると、シェルリがボートを漕ぎ出した。

 そこは漕ぐんだ? 魔法でシャーッと進むのかと思ってた。

 そんな私の思考はすぐバレて、シェルリは言った。


「櫂を媒体にして魔力を水中に流している」


 な、なるほど。

 オールを杖に見立てて、水中で魔法を展開してるのか。


「一見、魔法に見えないような使い方を心掛けるといい」

「うん」


 そうだね。これ見よがしにはしゃいで使ってみせるより、そっと忍ばせるような使い方のほうがトラブルは避けられそう。気をつけよう。


 ボートはあっという間に湖に浮いていた小島に着いた。

 小島というか、大きめの岩礁というか。木は生えてるけど。

 それでも誰か使ってるらしく、ちゃんとボートを寄せる場所があった。


 島に上陸して岩場を少し登ると、低木の中にちょっとした広場があった。漁師の作業場にでもなってるのかな、ロープの切れ端とか破れた網が落ちている。

 シェルリは背の大剣を片腕に抱え、広場の中央に座り込んだ。私は対面に座る。

 私が座るとシェルリは灯りを消した。


 真っ暗だ。二人して目が慣れるまで待つ。

 空はすごい星だった。周りが暗いのと空気がきれいなのか、正に降るような星空だ。

 この世界の辞書を参照するにやっぱり「天の川」的な名称で呼ばれている銀河系のもやもやもはっきり見える。

 控え目な月もある。小さいけど頑張って輝いてるように見えるから、だんだん可愛く思えてきた。

 月明かりは期待できないけど、星明かりは期待できるかも。


 目が慣れてきた頃、周りの空気が変わった。

 一瞬で気圧や気温が変わったような、空気が丸ごと入れ替わったような肌感覚。

 音がしない。波の音や木々の葉が風に擦れる音などが一切聞こえない。

 驚いてシェルリを見ると、「閉じた」とだけ言った。


 ……察するに、結界的な?

 おおう、やっぱそういうのも出来ちゃうんだ?!

 私がふおおおと感心していると、シェルリは剣をしっかりと抱え直し、話を切り出した。


「アレア。君はこの世界の人ではないな?」

「ファーーーーーーーーーッ」


 アレアさん渾身の奇声である。ファーーーーーッ。


 そこ?! それなの?!


 いいいいい一応、バレないようにっていうか、外見相応の子供っぽいふりというか、なんぼなんでもまさか異世界人とか、そんなバレ方はしない振る舞いをしてきたと思うんだけど?!


 ていうか異世界人って思う普通??

 なんか変だなあと思ってもまさかそこで「異世界人」とか思わないじゃん! 前の世界のオタク共でもあるまいし!

 まだ魔法で外見を変えてる魔女とか、そっちの方が候補に挙がらない??

 なして異世界人??


 私が過去最高にパカッと大口を開けて驚愕していると、シェルリは続けた。


「私にはそれが判る。だから気になって見に行った。私以外にも勘付く者はいる。この世界は以前……い、」


 そこでシェルリは苦しそうに顔を歪め、剣をきつく抱き締めた。

 まるで濁流に呑まれた人が必死でしがみつく大樹のように。


「わるいこと、が起こった。だから……隠した方が、いい」


 何度も言いかけては歯を食いしばり、絞り出すように続ける。

 言えないことを必死に言おうとしているような。脂汗が滲み、呼吸が荒くなって目から生気が抜けていく。


 と、止めないと。

 これ以上この話を続けさせてはいけない。直感に従う。


「判った! 判ったからこの話終わり! はいシャットダウン! 理解した、理解したよ、過去なんかヤバいことがあったんだね、それは後で自分で調べるよ、もちろんコッソリと! だから止めよう!」


 私が泡食って止めてもシェルリの様子は悪化していく。

 ど、どうしよう。

 これフラッシュバックしてるんだ。そんな気がする。


 どうしようどうしようと慌てて、グラディにもらったレースのハンカチを思い出した。ポケットに入れっぱなしになってたやつ。

 急いでハンカチを引っ張り出すと、シェルリの眼前に突き出す。


「ほら、このレースすごくない?! 何年かかったんだろうね!」


 シェルリは目の前のレースをじっと見つめた。

 じりじりと時間が過ぎる。

 そのうち、片手でハンカチを受け取り、レースを眺め続ける。だんだん呼吸も落ち着き、表情も穏やかになった。

 よ、良かった。

 ……なんとなく吸血鬼はケシの種やビーズをまいておくとつい数えちゃうって話思い出したよ。


「これまで話してくれたことは理解したから、もう大丈夫。次の話して」


 私はフェーズを次に進めるよう促した。

 おそらくシェルリはあれを思い出したり、意識したりしてはいけないのだなと、漠然と感じた。


 ――「この世界は以前、い」――異世界人が、過去にもいた?

 パタパタとこれまで得た情報が展開されていく。読み書きさせることへの執念、アンバランスな人権意識、コーヒーやお茶の名称、不敬罪のない貴族。


 そして「わるいことが起こった」。


 私はゾッとした。あれ、もしかして私、マズい立場なのでは。

 前世の記憶のことはただなんとなく隠してたつもりだけど、これもっとガチで隠さないといけないのでは。


「私、は……アレアを排除、したくなる。なぜだろう。理由を考えると、いや、考えてはいけないって、」

「ハーーーイ考えなくていいから! それさっき聞いたから!」


 とんだ地雷原歩いてる気分だ。シェルリのヤバいポイントを踏まないように注意しながら話を聞き出さなきゃならない。


 ……待って、排除って?!


 やっぱりガチめにヤバイやつじゃん!

 私って排除されるような対象なの?!

 その点に気付いた私が呆然としていると、シェルリは何かを振り払うように首を振り、立て直して続けた。


「君、は……いい人だ。今の時点では。これまで色々見てきて、そう思った。だいじょうぶ、いい人だ」


 それは自分に言い聞かせているみたいでもあったけど。

 これまでのシェルリの行動を思い出す。

 あの日、暴走スタンピードを私に対処させたのもそうなの?

 こうして二人きりでこっそり隠れて話をするということは、つまり今の話はベルレにもグラディにも内緒なんだ。

 二人には内緒で私のことを色々と見極めて、排除したい衝動も堪えながら、最終的に私を「いい人」だと判断してくれたんだね。

 今の時点では、って注釈ついてるけど! ……判ってる、人間は変わるものだからさ。

 でも今この時点で、賭けてくれたんだ。人格崩壊に響きそうな危険まで冒して。


「私は君に、この世界で長く生きて欲しい。だが君を排除したがる者が、きっといる。でも近くで守ることはできない。私も排除したくなるから」


 ……それが一緒には行けない理由なんだね。

 どうして私を排除したくなるのか。

 過去に異世界人が悪さをしたから、異世界人は排除すべし、みたいな思想が存在してる?

 でもそれをシェルリに聞いてはいけないし、ベルレやグラディにも聞けない。そんなの聞いた時点であの二人だもの、一発で全部バレる。今でさえもしかしたら薄々……なんて思えるぐらいなのに。


 そう。薄々……なのかもしれない。

 でもあの二人は私がシェルリに与える良い影響の方を取ったんだ。

 だから生かす、と。

 その逆はつまり、いつでも排除できると。


 急に独りぼっちになった気がした。

 まるであの夜、一人で置いて行かれた野営地に戻った気分だ。

 シェルリが私の頭を撫でた。頭が揺れて雫がこぼれて、泣いてしまっていたのが判った。


「シェルリが私を排除しないのは、なんで?」


 これ聞いていいのかな、平気かな。

 平気だったみたいで、シェルリは落ち着いた様子で答えた。


「アレアは、ベルレを救う」

「は?」

「ベルレを救う、可能性が大きい。そう判断した」

「は?」


 どうやって? ……いやどうやって??

 異世界チートで? ねえぞそんなもん。頭の中身も中の下の凡人だぞ。知識チートもできやしない。

 無理じゃない? と顔にありありと表現してシェルリを見上げる。


「私にはそれが何なのか判らない。だが、君がベルレを救う……と思う」


 なんで最後自信なさげなの! もう!


 ベルレとグラディはシェルリのために私にいてもらいたい。

 シェルリは私を排除したくなるので私とはいられない。

 これは……どうしたらいいんだろう。

 私の異世界人要素が消えたらいいの? そんなの無理か。


「私を排除したい衝動は消えないものなの?」


 思想だとしても、なんとか折り合いはつけられないものか。宗教的な問題なのかな。だったら無理強いはできないけど。


「アレアがこの世界に馴染めば、……薄まれば、大丈夫だと、思う。……薄まるって、なんだ? 排除したいって」

「ハーーーイその話ここまで! オーケーオーケー! 理解した! 終わり!」


 レース! とシェルリの視線を膝の上のレースのハンカチに誘導する。

 またじっと眺め始めたのでその間に考えをまとめた。


 私の何が異世界人要素なのか判らないけど、この世界に馴染んでいけばいいんだな。そしたらシェルリと一緒にいてもシェルリを困らせない。

 シェルリを困らせなければ、グラディ(そして多分ベルレ)のオーダーにも応えられる。

 ……なんだか一周回って、同じところに戻ってきた気がする。

 

 私がこの世界で一人立ちする。

 結局、それが概ね全てを解決する。


 ベルレを救うのだけは意味が判らんけど……。


「アレア」


 シェルリが真正面から私と目を合わせた。

 真剣な顔だ。無表情だけど。

 笑えないとか、笑わないとか、そういうんじゃないんだよな。

 これがデフォルト状態というだけで。


「この先、身の危険を感じた時、明らかに敵の襲撃を受けた時、とにかく危害を加えられそうになった時」

「うん」

「躊躇うな、殺せ」

「……は」

「全て殺せ、容赦なく殺せ。とりあえず全て取り除いてから、後でゆっくり誰を残すか考えればいい」


 えええええええ! グラディよりえげつない人がここにいた!!

 で、でも私、蘇生魔法なんてできないよ!


 シェルリは剣の鞘に手を突っ込むと、何かを取りだした。

 暗くて判らないけど、小さくて薄いものだ。

 手渡されて、顔を近づけてよく見る。


 黒い、柔らかい羽根だった。

 きらきらと星のように細かな光が明滅している。

 頭上の星空がそのまま降りてきて結晶したようだった。


「その羽根は私につながっている。その羽根の前は私の視界と同じだ。誰を残したいか決めたら、私に願え」


 ぽわぽわした綺麗な羽根を手に、私は言われたことを噛みしめた。

 判ってる。近くで守れない以上、精一杯の対策を考えてくれたんだね。また涙がこぼれた。


 私が一人で生きていけるようになるまで、死なないように。


 それがヤられる前にヤれ! ってのが最高に、なんだ、グラディと魂の姉弟だよねェ!

 どっちが年上か知らないけど、まあ多分姉弟だろう。


 アクセサリーとして身につけていればいいと言われたけど、無くしたら死ねる。絶対無くさないところで、なおかつ視界と同じ働きをするなら服の下とか隠れてるとダメだ。

 外が見えるところで無くさないところ?


 私が悩んでたら、シェルリは羽根を取り――私の頭にブッ刺した。

 いや痛くはなかったけど! シェルリの魔力が流れてきたから刺さったな? って判った!

 慌てて手で触ってみると、頭頂部よりちょい前あたりにぽわぽわの感触がある。引っ張ってみたけど抜けない。痛くはないからいいけど。


 はー? これ私、「アホ毛羽根のアレア」とか異名付いちゃうんじゃない?

 そう言ったらシェルリが微かに笑った。


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