第30話 黄昏のレンガのお家

 ――『どうして?』


 なんで通りすがりの拾った孤児に、こんなに親身になってよくしてくれるんだろう? って疑念だったけど、実は今となってはそこまで気にしてはいない。

 それなりの時間一緒に行動して、一つ屋根の下寝起きしてご飯食べて喋って笑って、私はもうすっかり情が移ってしまっていた。


 ほら、出向先で「まあいうて自分ここの人間じゃないですし、ちょっとの間机借りるだけですし?」みたいに思ってても、一ヶ月も一緒にやってりゃなんか「ここの人」みたいな感覚になってくるじゃん。

 人は社会的動物なので群れの中にいると馴染んでしまうのはしょうがないのだ。


 私はすっかりもうこの三人のパーティ幻の四人目みたいなつもりでいた。

 一方的にお世話になってる身で図々しいといえばそうなんだけど。


 家も家族も友も故郷もない今の私がこの世界で所属するのはこの三人の元だ。

 私だけが内心そう思っていればいい。

 これは私だけの拠り所なので。

 例えこの先別れることになっても、私の気持ちは変わらないだろう。


 ――ああ、そうか。

 グラディが言った、必要な時間とは。


 私に情がわくまでの時間だったんだね。


「たぶん、時間は十分だったと思う」


 だから私はそう言った。聡明なグラディはすぐ意味を察して、いたずらが見つかった少女みたいに首を竦めて笑った。可愛かったからヨシ。



「わたくし達がアレアを特別視するのは、シェルリがアレアを助けたからです」


 落日の光の中で、グラディは私を見てそう言った。


 つまり、私が私だったことに意味はない。

 シェルリが助けた存在だから特別に遇する、その「存在」が今回たまたま私だった、ということ。

 それが理由。


 うーんなるほど。私は苦笑を返した。

 確かになあ。情が移った今それ言われても別に何とも思わねえや。

 おっ、そうなの? ラッキー、みたいな。

 今考えると出会った頃の私はあれでいて結構いっぱいいっぱいだったんだなあって。ちょっと前のことなのに、もう何年も前のことのよう。


「シェルリのために私に何かできることがある?」

「……判りません。ですがわたくしは、そしてベルレもあると考えています」


 私の利用価値がちゃんとあったんだな。

 出会ったばかりの頃の私なら、きっと商取引みたいな感じで受け止めたと思う。

 でも今は違う。「仲間」のためにできることがある、と受け入れている。

 この意識の差が生まれるまで粘ったグラディの作戦勝ちだ。


 つうかそこまでシェルリにウェイト置いてたんだなあって、なんかそっちの方が意外だったよ。

 グラディにとっては弟みたいなもんなんだろうか。


「アレアは『人格』というものが判りますか?」


 突然グラディはそんなことを言い出した。

 それは……哲学だろうか、心理学だろうか、はたまた精神医学だろうか。

 いや私と専門分野の話がしたいわけでもなかろう。

 この世界風に表現するなら。


「魂?」

「そのようなものですわね」


 違うんだろうけど、今はざっくりその把握でいいみたい。


「シェルリは……シェルリの人格は、崩れかけているのです」

「は?」


 グラディ自身、どう説明したものかと迷っている口ぶりだった。

 まさかの精神医学の方なの?!


「そうですわね……人の内側にはお家があります。レンガのお家です。お家ですからね、時には嵐が来たり、焼き討ちもされるでしょう」


 いやされねぇよ? ツッ込みたかったが脱線するので黙ってた。


「壊れてしまっても直すことはできます。自分が焼いたレンガですもの。少しいびつになってしまっても、同じレンガですから長い歳月の間にそれも趣きとなって馴染んでいくでしょう」

「うん」

「シェルリのお家は昔、ある出来事によって壊れてしまいました。そのせいでシェルリはもう自分でレンガを焼けないのです。シェルリのお家は、シェルリの家族達と一緒に焼いたレンガで作られたもの。その家族達はもういません。お家はもう直せないのです。

 わたくし達にできることは、これ以上シェルリのお家の崩壊が進まないよう、柵を立てて見張ることぐらいです。今は崩れた壁に支え棒を立てたり覆いをかけたりして、なんとか雨風を凌げるようにしているだけ。何かあれば更に崩れていく、古代遺跡みたいなものです」


 グラディの話を聞きながら、ぶっちゃけ知りたくなかったなあって思った。

 人間勝手なもんだよね。好意を持った相手のことを知りたいとか言いながら、面倒なことは知りたくない。

 だって知ってしまったらそれに向き合わないといけないから。

 それはとても億劫なこと。


 私も御多分に洩れず人付き合いは上っ面のラクなところだけで十分だと思うタイプ。ネトゲで遊ぶPCの中身なんて知りたくないのもそう。


 でも時には腹を括らなきゃならない場面がある。


 いくら私に利用価値があるからといって、何でもいいってことはないだろう。グラディなりに私を見極めて、合格したから話してくれたんだと思う。こいつぁダメだなと思ったらなんか適当に誤魔化しただろうし、それを悟らせないぐらいはできる人だ。


 信じて頼りにしてる人から、信じて頼られたなら、ひとまず頑張ってみようって思うじゃない?


「本当なら神殿の奥で静かに過ごした方がよいのかもしれません。でも変化のない時間と空間の中ではきっと眠り続けて、いつか目覚めなくなるでしょう。心の働きを鈍らせないために、あちこち連れ回しているようなものです」


 ほっとくとずっと寝てるなと思ってたけど、ダメじゃん! 

 ぐぬう、前世で寝てる人間を起こすのは大罪とされる界隈で働いてた記憶があるから、つい寝てる人はそのまま寝かしちゃうんだよね。よし次から適宜起こそう。


 ……でも確かに自分から能動的に動くことはほとんどない人だけど、そこまで? って気はするんだけど。

 そう思ったのが伝わったかのようにグラディが頷いた。


「だから、シェルリが自分からアレアを助けると言い出したと聞いて、とても驚いたのですよ。思わず全部投げ出して駆けつけるほどに」


 あー、あの時。森から飛び出してきたグラディを懐かしく思い出して……いやその報をどうやって知ったんだろう? 通信手段があるの? 違うことが気になってしまった。

 まあ何かそういう魔法か魔動具なんだろうけど。


「え、シェルリが言い出さなきゃベルレは私を通過スルーしてたの」

「うかがった状況から考えて、おそらく気付きもしなかったと思いますわ。ベルレはベルレで、シェルリとは別の意味で周囲にあまり関心がない人ですから」


 おう、命の恩人第一位はシェルリで確定したようだ。

 ……えーと、つまり?

 もちろんグラディは何も言わずとも私の気持を察してくれた。


「シェルリがアレアに関心を持ち続けてあれこれお世話してるのがものすごく珍しく、またシェルリの症状的にはとても良いことなので、できればその状態を維持して欲しいのです」

「要するに今まで通りでいいってこと?」

「はい。ただ、この後シェルリがアレアにどんな話をするつもりなのか、わたくし達には判りません。なのでアレアの方からシェルリの手を離さないでいただけないでしょうか」


 ツノの生えたヘルメットを被った私とシェルリが古城を脱出するイメージが浮かんだよ。 

 要するに、もしシェルリがお別れだと言ってもイヤだね! 一生付きまとってやる! と駄々をこねればいいのかな?

 わりと言われなくてもそうすると思うけど。

 あとついでに私にとってはその対象はシェルリだけじゃなくてグラディやベルレもそうよ。


 一生付きまとってやると言ったらグラディに大層ウケた。

 そして「おそらく付きまとうのはわたくし達の方ですわ!」と言った。え、それはちょっと嬉しいな。



 シェルリが私に何を話そうとしているのか判らないけれど、グラディの予告のお陰でちょっと心構えができた。


 正直、人格がどうとか言われても専門家じゃない私にはどうすることもできない。

 でも多分、望まれてるのはそんなことじゃなくて、ただ普通にありのまま、善意と親愛と誠意をもって、良き隣人として友人として、辛抱強く縁を繋ぎ続けることなんだと思う。


 それ一番難しいやつな。


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