第22話 どんな思い出だよ

 それから午前中は毎日おっさんのケツを追っかけた。きめぇ。でも事実だ。

 いいとこ追い詰めたと思っても体操競技の床みたいな動きで飛んだり回転したりですり抜けられる。身軽なマッチョとかズルくなーい?


「嬢ちゃんぐれぇだから逃げられんだよ。あっちの姫様相手じゃ瞬殺だわ」


 私がお嬢様なのでグラディは姫様らしい。夫婦者という設定にはしなかったからマダムじゃないんだな。

 そのグラディス姫は丸太に腰かけてワインなどを嗜みつつ新聞アクタを読んでいた。

 そう、新聞があるんだわ。すげーな識字率百パー、そして植物系無双国家。

 さすがに日刊ではないが週刊や月刊で色々種類がある。雑誌に近い。発行所ごとに専門と傾向が違う。いわゆる業界紙みたいなのもあるみたい。


 しかし……グラディが目を離してる間に私がおっさんに逆襲されて殺されたらどうなっちゃうんだろう。シェルリがいれば(視界内にいれば)蘇生させてもらえるんだろうけど。

 私が不安そうにグラディを見ているのに気付いたのか、ダリオが軽快に腿上げなどしながら声を掛けてきた。いちいちイラッとするな。


「心配すんねえ。この広場全部、姫様の間合いだ」


 はい出たー、なんか達人っぽいやつー。

 そうはいっても物理的には届かないし、走ってきて間に合うもの?


「どういう技かは判んねえが、なんにせよ『あ、取られるな』っていうのは判る」

「へええ」

「でもそれも俺に判るようにお気遣いしてくれてるんだぜ」

「どういうこと」


 休憩タイムなのか、おっさんはウンコ座りスラヴスクワットでお喋りモードだ。

 それとも隙を見せるサービスタイムなのかもしれん。


「ううんとな、姫様はスゲエ透明なんだよ、お花が咲いてるみたいなもんだ。いるのは判んだけど、景色の一部なんだよ」

「えー、あんな人類代表級美女、百メートル先からでも判るっしょ」

「メート…?」

「いや、どこから見ても目が吸い寄せられるじゃない?」

「そういうこっちゃねえんだよなあ……。なんにせよ、気配が自然過ぎておっちゃんぐらいの達人になると逆にこいつぁヤバ過ぎって判るわけ」


 シレッと自分で達人とか言いやがった。達人……なのかな?


「それを今はこれっくらいの範囲でお前死ぬからな、ってわざわざ教えてくれてんの。この加減が判んねぇ中途半端な小僧だとナメてかかってコマ肉にされんだぜきっと。その点俺はお利口だからな、うはは」


 ハハハ。一緒に笑うふりしてすかさずダリオの足にナイフを突き立てた。が、素早いマッチョはシュッと移動する。ウッソだろこの至近距離でダメとか。


「でも一番ヤベエのはあの薄っぺらい兄ちゃん? 姉ちゃん? だな。あれはダメだ。なんかもう、絶対的にダメだ」


 ホッホッとムカつく足取りで逃げるダリオがそんなことを言う。

 あー、確かにダメかもなあ。シェルリは範囲魔法で潰してきそう。それもクリティカルが五、六回ぐらい回って「違うゲームですか?」みたいな値になるやつ。更にMPに「∞」って表示されてそう。


 こんな感じでおっさんに襲いかかりつつ、三人とはまた違う雑談もするひとときだった。ハラ立つんだけどな!



 ベルレ達のこの村での用事がなんなのか、あいかわらず知らないけど、別に私に予定はないので楽しく日々を過ごしている。

 午前の訓練が終わると宿に帰って優雅にシャワー。

 お湯は自分で溜め始めた。まず水を出す。フルパワーで水を出したら溢れ返ってえらいことになったけど風呂場なのでセーフ。

 そして溜まった水に手を突っ込んで温める。熱の発生は振動。そんなようなことを習った気がする。

 だが私の頭ではよく判らないので「熱い魔力」を流し込む。

 シェルリに魔法を通してもらうとあったかいなあって感じるから、その時感じる熱の温度をガンガン上げていって、アツアツになった魔力を、水に、解き放つ!

 やり方がおかしいかもしれんが結果としてお湯は得られているので、いいんだ。


 午後は背中から魔力を取り込む訓練や、ルフィノさんが持ってきてくれた各種新聞を読んだり。

 社会風俗とかいわゆるゴシップの類を読んだ。やはり一庶民として生きていく上で、何がタブーなのかを知っておくのは重要だと思ったから。

 基本的な倫理観は前世世界と変わらないようで安心した。それもすごいと思うけど。

 暮らしぶりは中世ファンタジックワールドなのに、規範とする人権意識は妙に先進的だ。いいことではあるんだけど。不敬罪もないし、王族や貴族といった支配階級がよほどしっかりしてるんだろうか。



 グラディやシェルリと出かけることもあった。大抵ショッピングだ。色んな店を目に付くままに覗いて、気になったものを買ったり、外食したり。

 一度神殿にも行った。創造神の神官が集まって建てたというそこは神殿というより民宿っぽい佇まいだったけど、この第三村の貴重な医療施設でもある。

 神官達は共同生活を営みながら自給自足しつつ、訪れた村人を治療し、お代をいただく。金がない者は治療しないのかというと、まあそうらしいけど、実際には治してから労働で対価を取るみたい。食い逃げ犯に皿洗いさせるみたいな?


 神殿長はノエミさんという、ちっちゃな可愛らしいお婆ちゃんだった。

 まあまあまあまあ、と田舎のお婆ちゃんのように歓待された。グラディ達とは顔見知りらしく、本当に娘夫婦と孫が来たみたいなもてなしで、うん、いっぱい食わされたよ。保存用の干し野菜とプチプチした麦を使ったスープが美味しかった。茹でたカブに甘辛いソースを付けて食べるのとか。素材の野菜が美味いからなんでも美味い。


 他の神官も穏やかな人達で、畑を耕したり、縫い物をしたり、保存食を作ったりと慎ましいながらも楽しいスローライフという感じで、静かな時間が流れていた。いいなあ……。今はまだ冒険がしたいぜ! とか思ってるけど、気が済んだら神官修行してどっかの神殿でのんびり暮らすのもいいなあ。


 お土産にお菓子をもらって帰った。

 ナッツや干し果物を刻んでモロモロっとした生地で固めた……ファッジよりはハルヴァっぽいお菓子。甘いけどナッツが香ばしくて美味しい。これつまみながらコーヒー飲みたいな。そういや村に来てコーヒー見かけない。お茶ばかりだ。


「コーヒーのお店とかないんだね」


 ちなみにコーヒーはカーファ、お茶はテーなので言語インストールがなくてもなんとなく判ったと思う。


「そうですわね……あれは準備する過程から楽しむものなので、それぞれの家で淹れるものですわね。宿でも頼めますわよ。でもシェルリに焼いてもらった方が美味しいのではないかしら」


 とのことで、次の日のおっさんデスゲームにシェルリもついてきてくれた。豆を持って。

 宿で借りたという金属製のコンロで火を焚き、鍋をかける。シェルリが豆を炙っている間、私とおっさんは元気に駆け回る。

 なんかもう避けられるのが判ってるから逆に遠慮なく突き込めるし、斬りつけられる。おっさんよりトロい奴ならもう当たってると思う。


「嬢ちゃんは間合いが読めちゃうんだよ。腕の長さ、踏み込み、得物の刃渡り、そんなのを合わせてまァこんくれえだな、ってのが判っちまう」


 そりゃまあ……そうだろうなあ。こちとら素人なんだから。


「だからよう、そういうところを誤魔化すといいぜ。何回かおんなじように振って、急に変えるとかよう」


 フェイント入れるってこと? でもそもそもの体格差があるのにさあ。

 もう魔法で誤魔化したい。でもグラディのオーダーでは魔法禁止なんだよねえ。多分体力作りも兼ねてるからだと思うんだけど。

 そうやって時々お喋りしながら走り回って、コーヒーのいい匂いがしてきたなあと思ったところで、おっさんが何かにビビってよろめいた。何だろ? と思うと同時にほとんど条件反射でナイフを真っ直ぐ突き入れた。

 肉を貫いた感触があった。

 ベルレのナイフはほとんど抵抗もなくスッと肉に入った。ナイフを持った手に温かい液体が降りかかる。おっさんがビックリ顔でこっちを見てる。


 ナイフを握った私の手はシェルリの手に止められていた。

 二人の手がとくとくと赤く濡れていく。


「シェ、シェルリ! 手! 手ェえええ!!」


 私は泡食って手を引き戻した。ナイフが抜けて更に血が滴る。

 それを見て更に慌てるしかなくて、どうしようどうしよう、とりあえずナイフは置いて、血を、血を止めなきゃ、ああ、いや治癒魔法、そういえば治癒魔法は? どうして治さないの?


「アレアが治してみるといい」


 シェルリは何でもないように真っ赤な手のひらを私に向けた。まだ血がこぼれている。

 私は慌てて両手でシェルリの手を挟むようにして傷口を強く押さえた。

 治す? 魔力で……どうやって。ああでも痛そう。いや痛いって。

 治す治す、んんん……まず切れた血管は閉じて。肉の間に入った血は出ていって。細胞はくっついて。くっつくついでに血管や神経もくっついて。くっついたら血は循環して。

 わ、判らない……。表皮、真皮、皮下組織ぐらいなら判るけど貫通してるからもっと下、皮膚の下、内側まで塞がなきゃ。ああもう!


 じゃあ! 最初に戻れ!

 ケガする前に! ええと……五分ぐらい前? に!


 私は押し込むように両手から魔力を叩き込んだ。吸い込まれるようにシェルリの手の中に魔力が入っていく。押し込み続けていると、もう入らないとばかりに抵抗を感じた。

 そこで止め、恐る恐る両手を開く。

 挟んでいたシェルリの手は血塗れだったが、傷は無くなっていた。


「痛くない?!」

「ない。……アレアの治癒は、少し違うな」

「良かったあァ……!」


 私はへなへなと崩れ落ちた。赤黒い染みがある地面に思わずへたり込む。涙出てきちゃったよ。なんで急にそんなことするんだよう。

 シェルリが血で汚れた手を振ると、あっという間に綺麗になった。屈み込んで私の手も取ると洗ってくれる。

 めそめそしながら立ち上がると、さすがにダリオのおっさんも気遣わしげに見ていた。


「アレアがこの男を切れたら治癒の練習をさせようと思ったんだが」


 ……ああ、はい。私がいつまで経ってもかすり傷ひとつ付けられないからですね。すみませんすみません。


「だったらおっさん押さえ付けて切ったら良かったのに。シェルリが痛い……」


 今更ながらに痛そうってぞわぞわしてきた。私もしかして向いてないのでは。

 ヤれない側の人間だった?!


「ひでえ。俺の命軽すぎねえ?」

「まあ、楽しい拷問のお勉強をお望みなの?」

「お許しください姫様」


 おっさんが即座に土下座った。本当に判断が早いな。


「まあよろしくてよ、アレアも初めて刺した男がコレよりは、シェルリの方がよい思い出になるでしょう」


 どんな思い出だよ!! どうしてそういうとこ突然の世紀末蛮族センスなの。



 衝撃的なシェルリのご指導でその日はもう訓練は切り上げて、みんなでコーヒー飲んでハルヴァ食ってまったりした。

 ダリオのおっさんはコーヒーに感動していた。


「好きなの?」

「ばっかおめぇ、金出しゃ飲めるってもんでもねえだろ」


 ……そうなんだ。

 なんか普通に焚き火で炙られてたとこしか見たことなかったから……。


「家族で楽しむのものですからね。孤高の人生を歩んでこられたのでしょう」

「古着屋のおかみさんと飲めばいいじゃん」

「アイツとはなんかそういうんじゃないんだよなあ」

「下半身だけ便利に使われてるのか」


 ……場が静まり返った。

 シェルリがそういう下ネタブチ込んでくると思わなかった。


「そうなんかなあ……やっぱそうなんかなあ」

「裏家業の男なんて使い捨てるのが前提ですものね」


 ボロクソである。


「アレア、ほだされてはなりませんことよ。この男のせいで人生を曲げられた者がたくさんいるのですから。たまたまアレアの訓練相手として生かしているだけで、許されているわけではございません」

「はい」


 ダリオが神妙に反省しているような顔をする。

 でもグラディが言うにはおっさんはもっとずっと強かで悪辣で巧妙だから、遠慮なく殺しましょうね! って言ってて、なんつか、怖い世界だなって思った。

 前世でもこういう世界はあったんだろうな。幸い私には縁がなかっただけで。



 その日の午後は山ウサギを解剖しながら改めて生物の構造を学んだ。

 多分、私が人体の構造を覚えるより創造神に「治れー!」で治してもらえるようお願いする方が早いと思った。


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