第10話 辺境の聖女様…聖女、様?

 賑やかだった商人市を後にし、また静かな無人の街道を馬車は走る。

 途中、大きく曲がった。荷台後ろのパネルは下ろしたままになっているので外の様子は判らない。

 しばらく進んでから、ベルレが前の窓から車内に声を掛ける。


「シェルリ。この先に移民達が陣を張っている。本業だ」


 シェルリは無言で頷いたが、ふと私を見て、何事か考え込む。本業?


「配役は任せるが、俺はお付きだからな。別件で用があるんだ」


 言うだけ言ってベルレは引っ込んだ。配役……やっぱり旅芸人なの?

 シェルリは面倒そうに身を起こし(例によって酒飲んで転がってた)、桶を引き寄せると突然丁寧に顔を洗い始めた。終えると桶をリセットして私に差し出す。


「洗う?」

「一応」 


 何が一応なのか判らないが言われるまま洗う。 そんなに外に出てないから埃もついてないな。だから一応か。横でシェルリがガタガタと箱を動かして何か準備をしている。

 傍らに置かれた手拭いで水気を拭って顔を上げると、シェルリの前に――鏡台、が鎮座していた。

 あれ、もしかしてこの世界で「鏡」を見るのは初めてかも。


 鏡台の前に瓶や小箱やハケが並べられる。

 その様は……どう見ても化粧道具です。

 やっぱり旅芸人の役者だったんだ!

 えっ、私も子役で出るの? どうしよ、台詞覚えられるかなあ。

 内心クネクネしている私に頓着せず、シェルリは私の顔に化粧水ぽいものを吹きかけ、茶色のクリームを塗った。よく伸ばして、追加で頬にチーク粉を乗せて終わり。


 鏡を覗き込んで初めて自分の顔を正式に? 見た。

 顔を洗う時に手で触るし、水面に映るのは見てたからおおよそは判ってたけど、ちゃんと鏡で見ると思ってたより良かった。盛りまくれば人類基準で中の上ぐらいにはなりそう。

 髪はフワフワの亜麻色フラクスンで、目はオレンジ色だ。

 あんな暮らしをしてたわりには目立つ傷もない。クリームの効果なのか、かなり日焼けして見えていかにも元気そうな子供だ。どちらかというとザンバラ髪の方が気になる。


 シェルリも同じことを思ったのか、ハサミを取って私を散髪にかかった。こんな揺れる馬車の中で大丈夫なんですかそれ。

 やっぱり大丈夫じゃなかったらしく、しばらくしてシェルリはハサミを手放すと私の髪を指で挟み、魔法でカットし始めた。本ッ当に器用な人だな!

 切った後の毛もその場で焼却してるっぽい。髪の毛が燃えるあの特有の臭いがほんの少しだけした。


 改めて髪も整えた私はなかなかに……なかなかに……利発そうな……

 少年だった。

 髪が短いせいとも言いがたい。顔付きがなあ。まあ安全のためには男の子に見えた方がいいか。別にどっちでもいいや。


 それからシェルリも顔を作り始めた。といってもシェルリも少し塗って色を足すぐらいで、特徴といえば口元にほくろを作ったぐらいだった。

 メイクが終わるとシェルリの顔付きが少しふっくらして見えた。

 おお、プロだ。でもどんな役なんだろう?

 着替えるためか突然脱ぎ始めたので慌てて後ろを向く。本当にこの二人は突然脱ぐ。見られても気にしないんだろうけど……それとも私が子供だからかなあ。


 衣擦れの音を聞きながら魔力を取り込む訓練をして、もう着終わっただろうなって頃合いをみて座り直した。

 シェルリの服はあまり変わりなかった。最初に会った時と同じ、身ごろ中央に帯状の青い飾りが入った白い長衣だ。ただふんわり横に広くて丈が長い。生地も少し薄手なのかな、ワンピースドレスみたいだった。つか胸があった。


 ハァ?!! 胸が! あるんですけど!!

 どこから生えた?? それとも今までが押さえてた??


「シェルリはお姉さんだったの?!」


 思わず漏れた私の大声に、前方からブハッという笑い声がプレシオの足音に混じって聞こえた。


「そういう役だ。……もう難しいと思うんだが」


 真面目な顔でお答えされて、私の方が申し訳ない気持になった。

 立ち上がったシェルリが謎のポージングを繰り返す。骨がグリッと動く音が小さく聞こえたかと思うと、……あれ、なんか……おばちゃん、ぽい?

 いやいや、デカいし。こんなデカい女がいるか。いやいるか? そういえば村のおばさんも結構大柄な人だった。私が子供だったからだと思ってたけど、もしかしてこの世界の女性、結構大きい?

 シェルリは頭部から首周りにかけてウィンプル風の頭巾で隠し、その上から白いベールを被った。これで口元ぐらいしか見えなくなる。

 胸と一緒に胴回りも嵩増しされている。そうなるとますます恰幅のいい中年シスターという趣になった。

 あれ、シスター?


「シス……聖職者?」

「『そうよ。私達は名もなき巡回神官。』……あー、魔法で変えてもいいか?」

「普通の市民達だし、魔法で大丈夫だろう」

「しばらくやってないから鈍ってるな。『これでどうかしら?』」


 ……いやすげえ。役者魂を見た。

 男性声優の女声チャレンジみたいだったのが(この時点でも十分、優しそうなおばさんの声だった)、最終的に元のシェルリの声とは似ても似つかぬ可愛らしいお声が出た。魔法すげえ。

 それに変装具合もすげえ。すっかり優しそうなシスターに変わったシェルリが道具を片付けている。どんな芝居するんだろう。

 プレシオがいなないて、馬車が止まった。ベルレが前方の窓から器用に滑り込んでくる。脱ぎだしたのでベルレも着替えるのだろう。

 もういいかなあと思って私は特段、後ろも向かずに聞いてみた。


「どんなお芝居をするんですか?」

「辺境の聖女様」

「せいじょさま」

「盲目という設定にして、アレアには手を引いてもらおうと思う」

「いいんじゃないか? 馬車に残してても危ないしな」


 絶対一人でいてはいけないのな。どんだけ修羅の国なんだ。


「旅芸人だったんですね」


 修羅の国だけど芸人が稼げるぐらいの、なんつか、庶民の懐に余裕があるんだなあ。なんて思ってたら。


「は? さっきシェルリが言ってただろう」


 見覚えのある白いズボンを穿いて、シャツのボタンを留めているベルレが言う。

 さっき?


「名もなき巡回神官」

「それ演目じゃなく?」


 ベルレがバサッと白いローブに腕を通す。真っ白な生地に、前身ごろを縦に裾まで伸びる青い帯状の飾り。シェルリと同じ意匠の服。

 襟元まできっちりと留めて、ベルレはぼさぼさの髪に櫛を通し、油でオールバックに撫でつけた。顔付きを変え、あっという間に美形だけどクッソ冷酷そうなとっつきにくい堅物の雰囲気になる。ぜひ銀縁眼鏡を追加したい。

 いやいや、役者だよね?


「俺達の本業は巡回神官だぞ。俺もシェルリも創造神の神官だ」


 ハァ?! ……はぁ??

 パカッとアホみたいに口を開けて驚愕する私を、二人は不思議そうに眺めていたが、ベルレは商人市でも被っていた白い帽子を持って後部から降り、改めて御者台に戻った。全部揃ってやっと判った。あれ帽子も含めて一式セットの衣装だ。

 馬車が走り出してしばらくすると人の声が遠くに聞こえてくる。着いたらしい。

 てか、は? 神官?


「……驚くようなことか?」


 シェルリ(聖女様のすがた)が首を傾げる。

 ……言われてみれば、別に驚くようなことじゃない、かな。かな?

 いやでも待って、なんでシェルリはそんな格好する必要が?

 そう考えてたら顔で読み取られたらしい。


「ベルレはこれまでの経験から、あまり個人を認識されるべきではないと考えている。私もそれに同意する。巡回神官ごとに考え方が違うが、ベルレと私はそういう方針だ」


 なるほど。だから変装。

 あー……ベルレとかおっかけが付きそうだもんね。じゃあベルレがベール被って顔隠して聖女様やった方がよくない? と、聞いたら過去そういう配役だった時もあるそうだ。ただ、ベルレはそこまで変装が上手くないのだとか。


「グラディがいればよかったのだが」

「ぐらでぃ?」

「仲間だ。今は別行動をしている。そのうち会うだろう」


 へええ。でも戻ってきたらこんな部外者がいるの嫌がられないかな。ちょっと陰キャ的不安が。


「……多分、グラディはアレアと気が合うような、気がする」


 めずらしく逡巡しながらシェルリが言う。どういう意味だろう。でも仲良くしてくれたら嬉しいな。そのうち私は町でお別れすることになるだろうけど、この世界で知り合いになってくれたら嬉しい。

 も、勿論お友達になってくれたらもっと嬉しいけど!



◇ ◇ ◇



 移民キャンプは……空気が重かった。

 大人達はぼんやりと座り込んでいる。

 ただ、肉体的に疲れているという風だったのが救いだ。

 子供は元気に走り回ってるし、別に痩せてもいない。


 私達の馬車が入っていくと少しどよめいた。馬車を止め、ベルレが商人市で積み込んだ木箱を下ろすと、キャンプから来た大人が順に運んでいく。中身はマァルだそうな。ビタミン対策かなあ。


 私は商人市で買った服に着替えていた。ズボンを穿いて厚手のチュニックを被る。

 そういや靴は革袋を加工して簡易なものをシェルリが作ってくれた。本当に何でもできる人だ。シェルリは間に合わせだと言うけれど、村で暮らしてた頃は革やボロ布をいい感じに巻き付けてるだけで靴と呼べそうなものは履いてなかったから、私にとっては今世初めての一足である。


 打ち合わせ通りシェルリの手を取って補助する。シェルリは目を閉じていた。閉じてても魔法で感知してるんだろうなあ。

 地面に立つとシェルリの身長が記憶より低い。マジで!? 身長も変えられるのヤバ過ぎない? 多分膝を曲げてて、それを隠すために恰幅良くしてスカート幅を広げてるんだろうけど。いやでもすっごい安定して歩いてるし。全然ぴょこぴょこしない。ロシアのダンスにそんなんあったよな。あっちはつま先立ちだけど。


「あなたの支えがあるから大丈夫ですのよ」


 シェルリ(聖女様のすがた)が可愛らしいお声で囁く。

 そっか。じゃあ万が一の時にも支えられるよう、しっかり踏み込んで歩こう。


 ベルレは積んできた木箱を差配すると、そのままキャンプの人と話しながらどこかへ行った。なんか用事があるって言ってたもんな。

 私達は案内を受けて怪我人や病人が寝かされているテントへ向かった。

 わりと最悪めに想像してたけど、怪我人もそこまで酷い状態の人がゴロゴロ並んでるとか、そういうのではなかった。


 ただ、魔物にやられた重傷者が二人いて、一人は片足が無く、一人は肩のあたりが大分削れていた。包帯で巻いてあるけど輪郭が凹んでいる。

 包帯はもう真っ赤で、鉄臭いにおいとか薬草っぽいにおいとか、どれでもない変なにおいとかが不意を突いて鼻腔内に満ちて、ちょっと、ぐっと酸っぱいものがこみ上げてきた。

 私の状態に気付いたのかシェルリが背中を擦ってくれる。シェルリの魔力が流れ込んできて、少し楽になった。

 

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