第4話 メシ食って丸洗い

「じゃあアレア、火が消えないよう見張っててくれ」

「わかった」


 ベルレは石を置き終わると、木箱の中から乾いた小枝を掴み出してバラバラと積み上げ、屈み込んだ。大きな背中に隠れて手元が見えない。

 しばらくして立ち上がると小枝の奥に赤い火が見えた。

 火打ち石の音はしなかった。

 ということはマッチ的な便利道具か――もしくは魔法なのでは?


 魔法があるのでは?!


 今まで生きるのに必死で夢はベッドで寝ることだったけど、そうじゃん異世界なんだから魔法があってもいいのでは?!


 脳内で全私が立ち上がって拳を突き上げたけど、外側の私は粛々と火を大きくしていく作業をこなす。空気が入るよう枝をふんわりと組んで、細い小枝を順にくべて炎を大きくしていく。


 二人は薪を拾いに森へと入っていった。

 太陽はまだ高い。こんな昼のうちからキャンプするのか。特に急ぐ旅じゃないのかな。商人なら移動日数がもったいないだろうに。商人じゃないんだろうか。


 一人になると昨夜を思い出してちょっと背中がひやっとした。運良く魔物には襲われなかったけど、今だって森から飛び出してきてもおかしくない。

 村で魔物の死体を遠目に見たけど、色々な獣のキメラみたいな感じだった。ある意味想像通りというか。

 でも二人とも手ぶらで呑気に入っていったな。この辺には魔物いないのかも。

 シェルリのあの善良顔で実は私今絶賛囮中で生き餌なう、とかだったら世紀末過ぎるし。いや顔を信頼の担保にしてはいかん。顔が良くても悪人は悪人。


 火が安定したころ、二人は両脇に枝を抱えて戻ってきた。

 普通に善人だった。すまん。



 かまどに鍋を置くとシェルリは木箱からガラスの水差しを取りだした。

 ガラスはぶ厚くぽってりとしたフォルムで、そうそう割れなさそうだ。

 シェルリが鍋に水差しを傾けるとトトッと水が出た。

 水は途切れることなく注がれ続け、どう見ても容積以上の水が出ている。


 ……もしかしてマジックアイテムとかいうやつですか?

 ですよね?!


 ファーーーと内心のテンション上がりまくりで私がガン見していると、気付いたシェルリが手を止め、水差しを渡してきた。

 あ、やりたがってると思われたのかな? 子供か。子供だったわ。

 子供なので遠慮なく水差しを受け取り、傾ける。

 傾けると空だった水差しの中にフッと水が現れ、注いでも水量はまったく減らない。すげー! すげー!


 鍋の七分目ほどに水を入れて止めた。水差しをまっすぐに立てると瞬時に中身は空になる。へー。この優雅な水差し形状じゃなくて細い水筒形状だと携帯にも便利なんだけど。

 そういうのも別にあるのかも。

 おおー、やっとこの世界に夢が持てたな。


 みんなでかまどを囲んでしばし休憩タイム。

 シェルリは水の沸騰待ち。ベルレはいつの間にか紙巻きの煙草をくわえていた。

 煙草あるんかこの世界。まあ、あるか。

 でも煙はハーブ系のお香みたいな匂いがする。私が知ってる煙草とは成分が違うのかも。


 鍋の水に泡が立ってくるとシェルリは手元の木箱から紙に包まれたブロック状のものを出した。紙を剝くと中身を鍋へ沈め、紙を火へ投げ入れる。

 中身は鍋の中で徐々にほぐれてお湯に色が付き、葉っぱや根菜がこぼれ出た。

 あっ、これフリーズドライのスープだ!

 うおお……文明だ。感動した。


「パンはどうする?」


 シェルリは鍋をお玉で混ぜながらベルレに声を掛けた。


「入れといてくれ」


 シェルリは肩を竦め、空の木箱を取って私の横に置いた。机代わりかな。

 木椀にスープをよそい、木箱の上に置く。そして……出た! 黒くて固いパンらしきもの!

 親の顔より見たそれをシェルリはスープ椀に突っ込み、渡してくれた。

 どこまでいってもこれ食うんだな私!

 やっぱ郷土料理なんだなきっと! 

 ちくしょう!


「ありがとうます!」


 食えるだけ幸せ!

 私は涙を堪えて生まれてこのかた食い続けたそれをいただいた。

 味は同じだった。


 シェルリは私に取り分けた後、鍋に直接その黒くて固いものを投入し、鍋の時点でパン粥にした。

 二人とも無言で黙々と腹に収める。私も無言で匙を動かす。

 腹さえ減っていれば何でも食える。食えるだけ恵まれてる。

 生きてる。私、今日も生き延びてる。


「……アレアはクルパンが嫌いか?」


 黒パン? 黙々と食ってたらシェルリに声を掛けられた。


「これ? ずっと食べてた。ずっとずっと。他の食べ物判らない」

「この辺の生まれならそりゃ毎日クルパンだろう」


 ベルレが言う。

 黒パンじゃなくてクルパン? この郷土料理の名前かな。


「そうか」


 シェルリは頷くと食べ終わった空の椀や鍋を一カ所にまとめた。そういや洗い物ってどうするんだろう。旅商人の時も他のことしてる間に片付けられてたな。食洗機的なマジックアイテムがあるとか。

 あ、でもあの無限水差しで水は用意できるのか。

 

 その無限水差しから食後の水をもらって飲んでいると、シェルリに「食うか?」と小さな箱を渡された。

 植物の茎か葉で編んだ箱で、行李の弁当箱みたい。

 ふたを開けるとすごくいい匂いがした。

 中身は薄い布で包まれていて、布をひらくと……えっ、これ、クッキーとかいうやつではないですか? 本当でござるか? この世界にも実在するんです? 

 

 おそるおそる1枚つまみ上げて口に入れる。

 上等な小麦の風味と確かな甘さ、そしてコクのある油脂の味。刻んだドライフルーツの歯ごたえに生地自体の甘さとはまた異なるフルーツ由来の甘味と酸味。


「これっ、これ! うまい、うまいもの! うまいもの~~!!」


 私は叫びながらむせび泣いた。ガチ泣きだった。

 1枚食べるごとに行李を天に捧げ持って泣いた。


 ベルレがドン引きしていたが知らん。



◇ ◇ ◇



 泣きながらクッキーを貪る私に、シェルリは別の小鍋に湯を沸かしてお茶をいれてくれた。

 このお茶も味わいは紅茶に似ていて、香り高さと風味にまた泣いた。


 ちなみに黒くて固いパンらしきものは正式名称クルトゥーラパン、クルパンというらしい。

 今いるここがクルトゥーラという国で、その大地で育った麦から作られる特産品のパンなのだそうだ。

 マジで郷土料理だった!


 どうやら前の世界でいう完全栄養食に近いものみたい。あー、だから私は同じメニューで過ごしてても大丈夫だったのかな。栄養の偏りが原因の病気はとりあえず回避できてたんか。

 その特徴から旅人の定番携帯食として世界中で食べられているのだとか。


「美味くはないがな」


 いつの間にか酒瓶を片手にしていたベルレが言う。

 クルパンの解説はベルレがしてくれた。


「麦、特別? パン作り、特別?」

「このクルトゥーラの大地が特別なんだ。『クルトゥーラの国土』に対して魔法がかかっている」

「魔法! ある! すごい! 知る! 欲しい!」


 ふおおー! やっぱり魔法があるんだ! 生きる希望が湧いてきたぜ。


「魔法? なら……」

「その前に風呂だ」


 馬車のどこにあったのか、巨大な盥を頭上に担いだシェルリが言った。盥を置くと底面に向かって何か書くように指を動かす。

 すると盥の底からじわっと水が湧いて出た。

 ここにもマジックアイテムが!

 盥の水はどんどん勢いよく湧き出し、あっという間に満杯になる。溜まった水にシェルリが指先を入れると、なんと湯気が出てきた。お湯になった!


「アレア、お前を洗う」

「ファッ?」

 

 そんな、お前を殺す、みたいな。

 私が凍り付いているとシェルリは白い長衣を脱いで木箱に放り込み、シャツ一枚になる。続いて肘から手の甲までを覆っていた長手袋? 手甲? も外した。

 石鹸やブラシが入った桶を片手に、早く入りなさいという母ちゃんオーラを出して私を促す。


 待ってくれ、私これでも、女の子。


 いや、理性では理解してる。うん、私汚いよな。

 風呂なんて入ったことないし。

 幸いあの村(というかこの国?)は温暖で、水浴びが苦じゃなかったからこれでも体はマメに洗ってたつもりだけど、石鹸で丸洗いしたいよね。わかる~!

 だがいきなりの野外露出は心理的ハードル高いんですが!

 子供だからセーフ?

 そっか中身はともかく外見は子供だもんなあ……。



 結局、フルオープン露天風呂は催行された。

 戸惑いとか抵抗感とかあったんだけど、シェルリに服のまま盥に漬けられたらお湯がさ…黒くなっ……うん……。

 そういうわけで今、長年の汚れを溶かす為に盥の中に座っています!

 なんと湯が乳白色の不透明になるバスオイルを入れてくれた。

 お気遣いありがてえ。


「まあお姫様にでもなったと思えよ」


 こちらに背を向けて木箱に腰掛けたベルレが紫煙を吐きながら言う。

 でもその場合お世話するのは女性のメイドさんじゃないですかねェ。

 シェルリがお姉さんならセーフだが、現状これまでの観察結果から九割の確率でシェルリはお兄さんだと思う。

 もう割り切ったから逆にお手間かけて申し訳ないって心境になってるけど。


「びっくりした、だけ。洗う、うれしい。世話、ありがとう」


 私が着ていた服は丁寧に洗濯され、木々の間に張られたロープに干されていた。どう見ても服型の雑巾でいたたまれない。

 新しい着替えはシェルリが手持ちの服から選んで手直してくれている。何でも出来る人だな。やっぱり天使か。

 そんな天使にこれから入浴介助をさせるんですけどねェ!


「それで、どういう経緯なんだ?」

「私困ってた。シェルリ来て拾った。天使」

「お前の生い立ちから聞いた方が良さそうだ」

「言葉足りない。上手い話せない」

「構わん。大体判る」


 私は物心ついてからの経緯を少ない語彙を繋ぎ合わせてベルレに語った。

 話の途中、石鹸とブラシを持ったシェルリがやってきて容赦なく洗われる。

 緊張したけど洗っていく手付きになんか特有の慣れがあって、安心してお任せしてしまった。いっそ職業的な実践経験を感じるというか……例えば看護師さんみたいな。

 弟妹か、子供がいるのかな。それで慣れてるとか。もしくは犬か。


「成程。そうなると選択肢は三つか。

一つ、その開拓村に戻る。戻ってどうなるかは村長次第だな。

二つ、町の孤児院へ行く。多分その町はセルバだろう。この街道の先にある。

三つ、その筋肉護衛の策に乗って森で死んだことにして自由に生きる」


 自由に生きる。かっこいいなそれ。

 そりゃあ望めるならせっかく異世界にいるんだし自由に色んなところを回って観光したい。

 魔法も使ってみたい。グルメも楽しみたい。

 冒険ってやつがしたいじゃん?


 でも何の力もなければ親もいない、無一文の孤児になにができるんだろう。

 生きていくだけで精一杯だわ。

 孤児院に戻るのが一番生存率高いのかな。戻るといってもまったく記憶にないんだけど。この世界の孤児院がどんなところか判らないけどさすがに屋根はあるよね。屋根の下で眠れるならなんとかなるか。


「頭を洗う」


 現実を見ながらしょぼくれている私に構わず桶を持ったシェルリが宣言する。

 すっかり観念していたので大人しく項垂れたポーズで頭を差し出した。

 桶の湯(多分この桶もマジックアイテムだ)で頭全体を丁寧に濡らし、石鹸を泡立てた手で髪を撫でるように汚れを落としていく。私の髪はおばさんが適当に切った散切り頭なので長い髪がもつれて大変ということはない。


 あっ、だから男の子だと思われたのかな?

 まさか今も? そりゃないか。


 何度も繰り返してやっと泡立ち始めると、シェルリの長い指がまんべんなく地肌を撫でて揉みほぐしていく。

 ……正直申し上げてめちゃくちゃ気持ちいいです。

 すっごいスッキリする。風呂大事! 夢はベッドで寝て風呂に入れる生活をすること。これだ。あと魔法使いたい。何度でも言う。

 どういう身分にまで成り上がればいいんだろう。


「選択肢はともかく、アレアはやりたいことがあるか?」

「ベッド寝る、風呂入る、うまいもの食う、全て見る、魔法使う」


 キリッ。欲望をありのままに述べたぜ。夢を見るだけなら自由だ。


「全て見る?」


 ええと、なんて言えばいいのかな。


「風景やモノ、ざっくり世界を見てみたいってことだろう」

「それ! ベルレ正しい。私、見たい、いろいろ」

「そうか」


 綺麗なお湯で仕上げ濯ぎをされる。そういえば桶から新しいお湯がじゃんじゃん注ぎ足されているのに、盥からお湯が溢れる様子がない。

 そういう機能なのかな。なんでもありだな魔法。素晴らしい。


「なら、しばらく私達と一緒に行くか? どのみち孤児院に行くとしたらセルバに着くまでは一緒だ」


 はーーーーーーーーー?!

 なにそれそんな都合のいい展開あっていいんですかやはり天使かよお願いします連れていってください何でもしますからいや本当に!


「行く! 私よく働く! 体、丈夫。役立つ!」

「まずは言葉だな」


 ベルレがふーっと紫煙を吐き出し、吸い殻を空中に指でピンと弾き飛ばした。

 あっポイ捨てだと思ったら吸い殻から小さな炎が吹き出て跡形もなく灰になり、その灰すら燃え尽きて消える。

 本当に魔法便利だな!


「魔法も!」

「言葉の後にな」


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