第3話 今日からアレア!

 天使かな?

 お迎えがきたのかな。

 まずそう思った。


 この世界で初めて見たかもしれない、輝くような真っ白の服。

 ローブ? コート? ケープがついた、インバネスコートみたいな形。

 袖のカフス部分のフチや身ごろ正面に青い帯状の飾りがあって、その青も鉱物的な鮮やかさだ。

 細長いシルエット。背が高い。髪は薄い金色。白い顔、薄い青の瞳。

 全体的に色素の薄い天使だな。

 下から見上げてお胸の盛り上がりがないので男性天使だろうか。いや単に貧乳かもしれん。白いズボンに、白い靴下に皮ベルトのサンダル。いやベルト飾りの付いた白いブーツかもしれんけど。こういうサンダルもこの世界で初めて見た。


 お顔は……善良そうだった。

 美形とかイケメンとかそういう強い印象ではなく、田舎の優しいお兄さんという感じで、なんだかとても安心できる雰囲気がある。いやお姉さんかもしれないけど。ちょっと性別の判定は自信持てない。判らん。

 でもなるほどー、これが天使か。納得したわあ。

 神様ありがとう。いま会いにゆきます。


「助けが必要か?」


 天使が言った。

 これといった特徴やクセがなく、高くも低くもない、聞き取りやすい声だ。


「……できれば、天国に、行きたい」


 図々しいだろうか。でもこの世界の私は毎日一生懸命働いて、悪いことはなんにもしてないから資格はあると思うんだ。ロバの墓も作ったし。


 天使は首を傾げた。そんな様子も善良そうだなオイ。あれもしかしてこの世界では「天国」じゃないのかな。楽園? 極楽浄土? 

 というかこの世界の宗教観ってどうなってるんだろう。今更だけど。

 村で犠牲者を埋葬した時も村長がお悔やみの定型文みたいなことを言ってみんなで黙祷しただけで、聖職者っぽい人はいなかった気がする。

 おっさんもおばさんもお祈りなんてしてなかった。

 私の想定するお祈りの形を取ってなかったのなら判らないが。


「……どうしてもという決意があるなら仕方ないが、そうではないなら考え直してはどうだろうか」


 そう言って天使は私を実に軽々と持ち上げると、雑巾ラグの隣に既に敷いてあった絨毯のようなものの上に寝かせた。


 柔らかい!

 なんだこれ超柔らかい! ふかふか! マジふかふか!

 今世最高の柔らかさ!


 ふおお……と全身で感動を味わっている私を見て天使は頷き、離れていった。

 いや待って、絨毯くれて終わりなんです??

 飛び起きると、そこには幌馬車が一台止まっていた。


 荷台は大きく、繋がれている馬も大きい。

 いや本当に大きいな、ばん馬かな。

 桶からもしゃもしゃ草食ってる。さっきの天使が荷台に乗り込んでいく。


 もしや。

 もしや超常現象だったり上位存在だったりする天使ではない?

 通りすがりの親切な人? マジで?

 様子を見て交渉するまでもなくお助けいただけそう?

 助けてくださいお願いしますなんでもしますから!

 いやホントに。


 私が幸運に食らいつかんとして立ち上がった時、再び天使が荷台から現れた。

 私はふかふか絨毯を素早く丸め、両腕に抱いて必死に駆け寄る。


「考え直したか?」

「した! 助けほしい! です!」


 ……これな。

 村長宅で他の子供と喋るまで実感なかったんだけど、私はこの世界の言葉がまだちゃんと身についてないらしい。家ではろくに喋ってなかったし、頭の中ではどうやら前世の言語で考えていたから、いざ喋ろうとしたら語彙が出てこなくてショックだった。あとおそらく字も読めない。かなりヤバいのだ。


「判った」


 天使、ではなかったけれど。

 舞い降りた救いという点で天使に匹敵する人に連れられ、私は天国ではなく幌馬車の荷台へと上った。



◇ ◇ ◇



 馬車の中は……実にごった返していた。

 大小の樽や木箱、積み上がったなにかの毛皮、布袋、木材の切れ端、布に巻かれた壺、丸めた絨毯、細長い布包み等々。

 天使(仮)は箱の隙間に毛布を押し込んだスペースに私を案内した。簡易ソファなそこに私が尻を落ち着けると、硬い物が入った布袋を差し出す。

 受け取ると、それっきり特になにも言わず、床に敷いてあるくたびれた毛皮の上にごろりと寝転がった。

 枕元の隙間から瓶を引き抜き、グイと煽る。アルコールの匂いがした。

 そして瓶はまた適当に荷物の間に差し込んで――寝た。


 酒飲んで寝ちゃったよこの人! 私どうするんだよ!


 しばらくポカーンとしていたけど、起こすのも何なのでまず渡された布袋を開いた。くれるってことだよね?

 中に水筒らしきデカめの金属の筒があり、開けるとやっぱり水だった。

 これ飲んでいいんだよね。渡してくれたってことは、そうだよね?

 違うと言われても我慢できない。ありがたくいただくことにする。

 毒とか眠り薬とか色々考えたけどもう今更だし我慢できない。天使(仮)を信じる自分を信じて口を付けた。

 一晩ぶりの水はめちゃくちゃ美味しかった。夢中で飲んだ。

 何度か休みながら飲み、ついに水筒を飲み干した。人心地つくとはこのことか。今猛烈に「助かったー!」って魂が叫んでる。


 水を飲んで、とりあえず安全な場所に落ち着いて。

 心に余裕が出てきた。


 布袋の中には他に緑色の瓶があった。蓋代わりなのか深緑色の清潔そうな布が押し込んである。鼻を寄せるとハーブっぽい爽やかな匂いがした。

 布を引き抜くと、中には細長い葉っぱでひとつひとつ包まれた小さい塊がいくつか入っていた。一個出して剥いてみると薄茶色の結晶がころりと出てくる。

 飴かな? 匂いは特にない。

 恐る恐る口に入れると、優しい甘味が口中に広がった。

 うん、飴だろう。砂糖とも蜂蜜とも違う、サラサラとした甘さ。

 泣けるほどおいしい。今世でお菓子とか初めてでは?!

 つか本当に涙出てきた。

 ただ、一個がちょっとデカい……。


 飴で口一杯になりながら他にすることもないので馬車の中を眺めた。

 ちなみに馬車はとっくに走り出している。

 旅商人なんだろうか。だったら随分取り扱い幅の広い雑貨屋さんだ。

 御者台にいるもう一人は、背中の一部しか見えない。

 天使(仮)と同じぐらいのサイズ感だけど、御者氏の方が筋肉はありそう。マント越しに見える肩に厚みを感じる。

 視線を移して床に長々と伸びている天使(仮)を見下ろす。首から上は木箱の陰になって私のところからは角度的に見えない。この人は細くはないけど、なんか薄い感じがする。胴回りとか。じっくり見たらやっぱり男かなという気はするけど、間違った時がおっかねえので保留だ。しかし足なげーな……。

 天使(仮)が商人で、御者氏が護衛かな。

 私は飴をゴリゴリ削りながら観察を続けた。



 馬車は順調に歩み続け、昼を少し回った頃に止まった。

 私は木箱に挟まったまま安らかに寝たお陰でだいぶ回復していた。

 というかまた寝ていた。寝落ち癖ヤバいな。


 馬車が止まったのは街道脇の広場で、昨日の野営地と違って広く、整地してあった。たぶん昨日の野営地と違ってこっちは街道の正式な休憩場所なんだろう。


 馬車が停止すると天使(仮)はむくりと起き上がり、荷台から身軽に飛び降りた。そして私の為に梯子を設置してくれる。こういう当たり前の気遣いに人間扱いされてることを感じて感動した。

 私はぺこりと頭を下げた。村長宅での短い滞在期間での知見だけどこの世界、お辞儀の文化はある。が、汎用的ではない。

 なのでこういう時は会釈じゃなくて言葉で「ありがとう!」とか可愛く言うべきなんだろうな。努力項目だ……。


 御者氏は既に降りていて、馬を馬車から外していた。

 馬車から解放された馬はブルルッと体を震わせるとがっぽがっぽと道の方へ歩き――突然走り出した。


「えっ」


 今来た方でなくこれから行く方に向けて爆走していく。速ッ!

 馬は砂煙を上げてあっという間に見えなくなった……。

 あれいいの?!

 私はバッと天使(仮)を振り仰いだが、「?」という顔をする。

 しばらくして察したのか、


「気が済んだら帰ってくる」


と、当然のことのように言った。そうなの……。


 御者氏と天使(仮)は固まった体を解すようにしばらく伸びをして、馬車から野営道具らしき品を色々と下ろし始めた。

 私も手伝うアピールをして持てそうなものを自主的に運ぶ。

 正直、初対面の子供がチョロチョロしてもむしろ邪魔だとは思うんだけど、お世話になるのになんもしないってのはいたたまれないし、あと働く気構えも能力もありますぜ! という主張をしておきたい。

 もしかしたら売らずにこのまま小間使いとして採用されるかもしれないし、どっか縁のあるところに紹介してもらえるかもしれないじゃん。

 売り飛ばされるのだけは勘弁だ。せめて孤児院に戻してくれ。


 二人は火を焚く場所を決め、道具を配置して私を手招きした。


「私はシェルリ。あっちがベルレ」


 天使(仮)――シェルリが自身を指し、それから御者氏を指して言った。

 埃よけのマントを外した御者氏ことベルレは、身長はシェルリと同じぐらいだがやっぱり厚みが違った。いかにもマッチョというほどではないけれど何かで鍛えてますってオーラが漂ってる。腕とか肉のスジがグリッと盛り上がって筋肉が自ら主張してくる。殴られたら死ぬなと素で思う。

 黒みが強い焦げ茶の髪、濃いグレーのシャツに黒いズボン、黒皮のブーツと、シェルリと対照的に全体が黒っぽい。

 瞳は薄い茶色だけど光の加減で金色にも見える。

 そしてお顔がだな……柔和で薄味な印象のシェルリと違い、強烈に存在感のあるワイルドめのハンサムだった。

 ハンサムだイケメンだと言っても人によって好みってもんがあるし、それこそ民族や人種でも基準は変わる。でもそういうのを超越して万人が認めざるを得ないパワーのある顔面だった。

 そのハンサムは軽く手を挙げて挨拶すると、後はちまちまと石を並べて今夜のかまどを作っている。


「わ、私は……」


 私の名前は……判らん。


 そう!

 おっさんにもおばさんにも名前を呼ばれた記憶がないのである!

 マジかよ。マジだよ。


 村長宅では「ピエドラんとこの子」と呼ばれていたので、おっさんかおばさんの名前もしくは家名がピエドラであろうという推測は成り立つんだが、私の名前は不明なままだった。あのままだとピエドラにされていたかもしれん。


 社会と隔離された場所で集団の構成員が小数だと名前っていらないんだよね。あの家に私以外にも奴隷なり使用人なりがいたら区別する必要性が出たけど、私だけだったし。

 オイとかコラとかガキとかチビとかで済んでしまう。それって私のことです? みたいなリアクションすると蹴りで正解を教えられたしな。


 名前かあ。



「……アレア」


 浮かんだ名前は、前世の名前を少しもじったものだった。

 呼ばれて反応できるのはそっちだろうし。


 よし、今日から私はアレアだ!


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る