リンドウの花をあなたへ

雪待ハル

リンドウの花をあなたへ




「・・・だから、どうにかしてこの子を助けてあげられないかなって」


「この子って・・・」


私は目の前の同僚を見やる。

テーブルをはさんで向かい合っている彼女は長く艶やかな黒髪を後頭部にまとめた姿で姿勢よく座席に座っている。

その表情は真剣だ。

本当に心からその子のことを案じているのだろう。

だがしかし。


「・・・その子、怨霊ですけど・・・?」


彼女の肩にかけられた手は真っ黒で、常にボコボコと沸騰しているかのように血が湧き出ている。

手から腕にかけてはやせ細り、今にも折れてしまいそうだ。

腕から胴体、そして――――もはや生前の頃どんな顔つきの人間だったのか分からない、そんな骸骨に皮がかろうじて張り付いただけのような顔をしていた。

その眼球は片方はなく、かつてそこにあったであろう場所は空洞で、片方は顔からはみ出てどろりと垂れ下がっていた。

そんな“怨霊”が同僚の背後にぴったり憑いている。

しかし彼女は言うのだ。


「知ってます」


「うん、まあ見れば分かるか・・・追い払いたい訳じゃなく、助けてあげたいんですね?」


「はい」


「そっか・・・」


私は考え込んだ。

仕事の同僚がまさか私と同じ霊が視えるヒトだとは思いもよらず、驚いたが、一番度肝を抜かれたのは彼女が私を同類だと始めから分かっていた事である。

そうして彼女は今回の件を相談する相手として過たず私を選んだ。「自分は視えるだけで解決する術を持っていないから」と。

まるで私なら解決する術があると思っているかのような口ぶりである。


(正直、私は怨霊よりも彼女の方が怖い)


霊よりも生きている人間の方がおっかない、とはよく言ったものである。

しかし言っている場合ではない。


「赤穂(あこう)さん、その子が憑いてから祟りはありませんでしたか?」


「ありません。この子はただ私と一緒にいるだけです」


「んー・・」


そこに店員が注文の品を運んで来た。「コーヒーと紅茶をお持ちしました」

店員に二人で礼を言う。コーヒーは彼女、紅茶は私の前に置かれる。

私達は湯気の立つそれらを口に含み、一息つく。

まろやかさが欲しいな、と思いミルクピッチャーからミルクを少しだけ紅茶に入れる。

鮮やかな紅色がミルクと混ざってベージュになる。

私はこの色が好きだった。

気持ちを落ち着かせるために、もう一口。――――うん、おいしい。

私は顔を上げて彼女を見た。


「あの。私は霊を祓う力とか、ないんです」


「知ってます」


「・・・・」


知ってるのか。なんで知ってるんだ、怖いな。そう思ったがその前になんで知ってて私に相談してきたのか、という疑問が出てくる。

この人が何を考えているのか全く分からない。

そう思って困惑していたら、その気配を感じ取ったらしく彼女は微笑んだ。

それはそれは美しい笑顔だった。だから私は“ぞわり”と背筋に鳥肌がたった。

なんて――――恐ろしい笑顔。獲物を絶対に逃さないと心に決めたかのような強さを感じた。


(いや、別に逃げたりはしないけどさあ)


だって彼女と一緒にいる霊が心配だ。この霊は一体どんな理由で彼女のそばから離れないのか。

・・・あるいは、離れられないのか。

私は目をすうと細めた。息を吸って、吐いた。

霊になってしまった少女を真っ直ぐに見つめる。目が、合う。


「こんにちは。私は室戸明子(むろとあきこ)。あなたのお名前は?」


少女は「ウウ・・」としばらくうなっていた。上手くしゃべれないのだろう。

だから根気強く待った。すると、


「・・・・・・・・・・モトヤマヤヨイ」


とか細い声がその場に響いた。

静かな喫茶店だから、その音は小さいけれどはっきりと聞こえた。


「そう、ヤヨイちゃんっていうのね。あなたはどうしてこのお姉さんのそばにいるの?」


「コノヒト、ミテナイト」


「・・・・・」


「ジブンニバツヲアタエヨウトスルカラ」


「・・・・・自分に、罰を?」


「コノヒトハナニモワルクナイノニ」


「・・・・・・」


私はいつの間にか無意識に息を止めて聞き入っていた。

今、少女が言った事を頭の中で反芻し、理解してから、ゆっくりと視線を赤穂さんに向ける。

無言で問いかけた。どういう事ですか?と。

美しく恐ろしいと感じていた女性は、ふう、とため息を吐いた。


「・・・詳しい事情を話す気はありません。この子は私の事を心配して、天国へ行けずにいる。貴女に解決して欲しいのはその一点だけです」


「・・・・なるほど」


――――私には霊を成仏させる力なんてない。

けれどこうして対話できる。それは幼い頃からずっと霊としゃべってきて、慣れているから。

霊を怖いものだと思っていないから。

もしかしたら、赤穂さんには私が通りすがりの霊と話しているところを何処かで見られていて、彼女自身には霊と対話する力はないから、それで私に頼みに来たのかもしれない。そう思った。


「ヤヨイさんは、貴女が貴女自身に罰を与えようとする事をやめて欲しいと言っています。貴女は何も悪くない、と」


赤穂さんはそれを聞いて、ゆっくりと瞬いた。ああ、まつ毛長いな。


「・・・そう、ですか。弥生がそう言っていましたか・・・」


彼女はそう言って、しばらく目をきゅっと閉じて何事かを考えているようだった。

そうして、意を決したように目を開く。


「私が私自身に罰を与える事をやめれば、彼女は私から離れられるんですね?」


「・・・恐らく。・・・ヤヨイちゃん、お姉さんはこう言っているよ」


「ウン。ソレナラワタシハオカアサンノトコロヘイケル」


怨霊の姿をした少女をもし何も知らない誰かが見たら、彼女の見た目の異質さに悲鳴を上げて逃げるのかもしれない。

それでも、私は見た。

心優しい少女がにこっと嬉しそうに笑うのを。

生前どんな顔つきだったのか全然分からないのに、それでも彼女の笑顔を、確かに見た気がした。




















本山弥生さんの霊はその後、何処へともなく消えていった。

彼女は天国へ行けたのだろうか。気になったが、それを確かめる術は私にはない。

ないのだが、赤穂さんは「大丈夫ですよ」ときっぱり言っていた。その自信はどこから来るのか。


「本当にありがとうございました」


「いえ・・・私は彼女と話しただけなので」


「それは私にはできない事でした。私には弥生の気持ちが分からなかった。だから、教えてくださってありがとうございます。もうあの子を心配させるような事はしません」


「それなら・・・どういたしまして。私にできる事があってよかったです」


喫茶店で会計を済ませ、外へ出ながら二人で歩き出す。

この人の事が怖いなと思っていたけれど、何となく今は、そんなに怖くない。

赤穂さんと弥生さんはどんな関係なのか。二人の間に何があったのか。

それは私は知らずともいい事だ。そこまで踏み込まなくてもできる事があったから、よかったなあと思う。


「それで、今度お礼をしたくて」


「え?いや、いいですよ。さっき紅茶代を払ってもらっちゃいましたし」


「いいえ、全然足りません。ラーメン、お好きですか?」


「えっ。・・・はい、好きですね」


「じゃあ今度おごります!美味しいラーメンの店知ってるので!」


「いやー、そんな、そこまでして頂かなくても」


「いえいえ!」


この人、押しが強いな!?やっぱりちょっと怖いかもしれないな!?


(でも)


これはカンだが、きっと彼女とはこれから接する機会が増える気がする。

会社の同僚として、そして同じ霊を視る者として。

是非一緒に行きましょう!とやたらぐいぐいくる彼女のきらきらした目を見ながら、私は自分が押し負ける未来を予見した。

・・・やっぱり彼女は、少し苦手だ。





おわり

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

リンドウの花をあなたへ 雪待ハル @yukito_tatibana

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ