第2話 ウォークライ(鬨)
『緊急停止いたします』
今度は車掌によるアナウンスが響いた。
上田駅を発車して1分も経たないうちに、新幹線は緊急事態に見舞われた。
石や鳥ぐらいでは破れないハズの1号車のフロントガラスが割れた。しかも1号車は最後尾。石や鳥がぶつかるにしては奇妙だ。
車掌やその他大勢の駅員が1号車であたふたしている。割った犯人がすぐそこにいることを知らずに。
キリル、ハーディ、探偵の3人は2号車の端で横並びに座っていた。探偵を殺し屋2人が挟んでいる形だ。これはターゲットである探偵を逃がさないための座り方ではなく、キリルがハーディに噛みつかないための座り方だ。
「殺す……殺す……殺す……殺す……」
キリルはブツブツと呪文を唱えている。ケガを隠すためにブランケットを被ってはいるが、その手にはナイフが握られていた。
真横でその様を見せられ、キリルに刺されそうな気がした探偵は焦り出す。
「キミ、ハーディだっけ?相棒が壊れてるんだけど」
探偵がハーディの肩を叩いた。
まったく見向きもしないままハーディが言う。
「キリルは精神にショックを受けている。今は安静にしておく他ない」
「それキミが言う?」
「君が言いたかったのか?」
探偵は「いや」と小さく言いながら、ハーディの異様な落ち着きっぷりに感心していた。気まずいという感覚をブックオフにでも売り払ったのだろうか。
ハーディが一瞬、タコ壺を見た。いつまで持っているんだと目で訴えていた。
探偵はタコ壺を抱え込んでハーディから離す。大切な物として扱っているわけだが、離したら離したでキリルのナイフに当たりそうで怖い。
「見ててもあげないよ、日本のお土産だからね。洗って使うんだ」
探偵が半笑いでそう言うと、ハーディは違和感を感じた。
「土産?どこかに帰るのか」
「まあね。日本には忘れ物を取りにきただけ」
それを聞いたハーディは何かを察する。なんとなく持っていた謎が一気に解消された。
その時、2人の駅員が小走りで彼らの横を通過していく。先頭車両のほうへ向かったようだ。ということは何かが動くに違いない。
そうハーディが気を構えたとたん、案の定、探偵がからかってくる。
「2人で降りたらどう?仲直りできるよ、きっと」
「それなら仲介が必要だ。手を挙げてみるか?」
「うーん、降りたら僕は死ぬだろうね。断固としてここを動かないよ」
探偵が座席に深く座り直した。その直後、車掌からのアナウンスが入る。
『お客様にお知らせします。現在、1号車でのガラス破損の影響で停車しております。運転再開は未定です。お手数をおかけいたしますが、ご乗車の皆様は1号車および2号車デッキより降車をお願いいたします』
*
「ウオオオオオオオオオオオ!!!!」
探偵は悲鳴を上げながら走っていた。タコ壺を脇に抱え、アメフト選手を彷彿とさせる。
探偵だけではない。まるで新幹線から出る速さを競うように、探偵がハーディに、ハーディがキリルに全速力で追われている。
「お客様ぁ!走らないでぇ!」
乗務員はそう言ってくるが、こっちの事情も考えてほしいと探偵は思った。打開策が見つからないこの状況で降車させるとは、なんたる鬼畜か。
降車を余儀なくされた3人は新幹線を出る。
ハーディはふと気づく。探偵が消えた。
「意外と身軽だな」
だがハーディは迷うことなく探偵を見つけた。
新幹線の上だ。探偵は4mはある新幹線の側面をよじ登り、身を隠そうとしている。
後ろからのキリルのナイフを適当にいなし、ハーディは探偵の後を追う。
駅員が車両内に集中しているのをいいことに、一息で新幹線の屋根に上がった。
ハーディはコンコンと、直線でしかない屋根を歩いていく。たまにあるパンタグラフを避け、ハーディはすぐに探偵の背中に迫った。
「うわっ!」
襟を掴まれ、探偵が転ぶ。タコ壺は死守した。
それと同時に掴みかかるキリルをハーディが受け流し、探偵の横に転がす。
やはりこの場ではハーディが最強だ。彼の眼に見下ろされるとそう感じる。
「ちょ、ちょっと休憩……!」
息を切らしながら探偵が待ったをかけた。一連のあっけらかんとした攻撃に、ハーディの冷血っぷりを感じとったからだ。
「こんな朝っぱらに本気?ハハハ……」
「探偵、君は後回しだ。先にキリルを殺す」
ハーディはキリルを殴った金槌よりも一回り大きいハンマーを取り出した。
探偵は固まる。本来の目的は自分ではないのかと不審に思ったからで、ハンマーは見ていなかった。
ハーディは右手で軽々とハンマーを振る。
キリルは屈んで避けたが、流れ弾で探偵に当たった。
「間違え……てはないか」
線路上に落ちた探偵を横目に、ハーディはナイフを突き出すキリルの手を払いのける。
キリルの初手の反応は良かったが、低い姿勢のままに攻撃してきたのは愚行だった。おかげでハーディの蹴りをモロに食らってしまう。
「ぐあッ!」
キリルは屋根を転がり、ふちの一歩手前で落ちそうになる。おまけにナイフも手放してしまった。
すかさずハーディがハンマーを投げ、キリルの
「がはっ……」
息が苦しくなり、キリルは腹を押さえて悶えた。
そもそもキリルは既に傷だらけで、経験値もハーディに劣る。さらに根本的な男女差もある。勝てる見込みは皆無だ。
「まだ終わりじゃないだろう、キリル」
ハーディがじりじりと歩み寄る。探偵そっちのけで、眼中には立ち上がるキリルしかいない。
「こんのッ……クソ野郎がァアッ!!!」
キリルは地面を蹴り、がむしゃらに飛び蹴りをかました。その
だがキリルにとってはギリギリ想定内。彼女は落ちていたナイフを拾い上げる。
「行くぜテメー!」
キリルの眼光が鋭くなる。
逆手にナイフを構え、ハーディに攻めかかった。
斜め、切り返し、幾度となく振り下ろされるナイフをハーディは避ける。
それだけではない。ハーディはキリルのナイフを持っているほうの腕をグルっと捻り、もう片方の手で下から打撃を与えた。
「くそッ!」
ナイフが手を離れ、上空へ打ち上がる。それにキリルが気を取られた一瞬、懐へ入ったハーディが肘を一発食らわせた。
そしてハーディはクルクルと回りながら落ちてくるナイフの
ただえさえ厄介な凶器がハーディの手に渡ったとなると、キリルも攻撃どころではない。まずはせめて素手と素手の戦いに持ち込まなければ。
一回、二回、三回と振られるナイフをキリルは間一髪でかわし、水平に振り切られたナイフが再び逆方向へと振られるその瞬間、ハーディの手を蹴り上げた。
「ほう」
ハーディは目を見張る。ナイフが横方向へ吹っ飛んでいった。
ならばこれはどうだ、と言わんばかりにハーディは一発、二発とパンチを出す。
これは彼が前に教えてくれたなとキリルは思い出し、ハーディの腕の内側に手を通してガードする。そのまま流れるようにハーディの腕をとり、一本背負いで投げた。
だがキリルは投げきれなかった。ハーディが空中で止まったように感じ、キリルは舌を巻く。
ハーディは両足で着地していた。キリルに腕を掴まれたままなので背中が浮いている。
息をつく暇も無い。今度はハーディが超人的な筋力で体を起き上がらせ、逆にキリルを投げ飛ばした。
「マジかよ!うおおおお!!」
あの体勢から、マトリックスの弾を避けるシーンのような体勢からハーディに投げられた。
キリルは宙を舞いながら、ハーディの底知れぬ実力に恐怖した。元から体術に秀でた男ではあったが、ここまでメチャクチャとは思わなかったからだ。
なんとかキリルは着地に成功し、地面を滑って止まる。素早く顔を上げると、すぐ目の前にハーディが迫っていた。
「嘘だろ……!」
一発、キリルのアゴを強い衝撃が襲う。
ハンマーだ。ハンマーによるアッパーがキリルを宙に浮かせた。
高速で視界が縦回転する。体が完全に浮いた間だけスローモーションに感じ、その後はドサッと重力に従う。
受け身もとれず、キリルは背中から固い地面に落ちた。
「あぁっ……はぁ…………はぐぁっ……!」
呼吸ができない。血の味しかしない。
キリルはその場にうずくまった。理不尽な激痛が後を追ってじんわりと到来し、車に轢かれたほうがまだマシだと思える苦しみが彼女を包む。
ハーディは膝をつき、いつもの表情でキリルの顔に手を添える。手も金属のように冷たい。
「悲しいんだよ、キリル。本当はまだ殺すつもりじゃなかったんだ」
「はぁっ……はぁっ……!」
「君を失うことで初めて感じる。失わないと感じられないものを」
「はぁっ…………何を……言ってやがる……!」
「君はずっと相棒だ、これからも」
彼の一言一言がキリルの脳内を駆け巡る。減衰することなく心を絞めつけている。
キリルはハーディの手を払い、震える声で怒る。
「ざけんなよテメー……人がどんな想いで相棒やってたかわかってんのかよ……!」
見上げた先にいるハーディは薄曇りの空と同じ面にいるような、遠ざかっていく感じがした。キリルが何故だろうと考えていると、ハーディはスッと立ち上がる。
「キリル、君の横顔は美しい。化粧では誤魔化せない素晴らしさがある」
ハーディは振り返って距離をとり、上着の内側に手を入れる。
「愛する人を殺したら、何かわかるかもしれない」
彼の目はひどく真剣に見えた。
あぁ、と諦めながら納得し、キリルは言葉を失う。彼は最初から持っていなかった、人としての普通が欠如していた。
「それだけだ」
黒光りする拳銃が姿を見せる。この場で撃つつもりだ。銃口がキリルを向いている。
拳銃のことは教えてくれなかった。キリルの頬に冷たい粒がポツリと落ちる。それはすぐに溶け、水滴となって頬から下へと落ちていった。
「雪……」
キリルが空を見上げると、目を丸くした。
いつから雪のための空になったのか、いつからソイツがいたのか、わからない。白い空から降り注ぐ雪に一つだけ混じる黒い点。
目が離せなくなると同時に悪寒が走る。ハーディに殺されること以上の恐怖がやって来る。
「あ」
バサッ ── マントのようなものがキリルの視界を覆った。
遥か頭上から男が一人、降り立った。
黒いコートと黒いシャツ、黒いスラックス、黒い革靴。黒い瞳に揺れる黒髪。彫刻のような仏頂面。
その男からは着地の音がしない。それだけで誰も近づこうとしなかった。
男は指を立て、静寂を作り出す。
「シー………………」
男が呼吸しているのかすら分からず、本物の死神ではないかと錯覚させる空気が漂う。この雰囲気、まさに肩書きの通り。
誰かが言った。四大ヒットマンとは影を歩き、煙から現れる者のことだと。暗殺という二文字にふさわしく、どこであろうと彼らは明るさを感じさせない。
次に男がどう動くのか予想がつかない。男が顔を上げただけでキリルとハーディは思わず息を飲み、拳に力を込めた。
そしてゆっくりと、冷酷に、男は口を開く。
「殺してやるよ」
その男はニンジャ。世界最強の殺し屋。
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