ファンタジスタ・キラー・ニンジャ・ブラッド

上野世介

第1話 イグニッション(点火)




『思い……出して…………』


 携帯電話からの枯れそうな声はそこで途切れた。

 東京発の新幹線車内にて、2人の男女が向かい合って座っている。


「だってよ。なんか死んだわ、多分」


 電話を閉じたジャケット姿の女性 ── キリル。ローズピンク色のポニーテールで、ガタイが良く、キリッとした表情をしている。


「なんかじゃなく、明白な意味を考えたらどうだ」


 男のほうは長身の中国系アメリカ人 ── ハーディ。オールバックの黒髪と整った顔が色気を出している。ラフな格好はキリルとは対照的だ。


 2人は殺し屋である。世界各国を回り、ただただ死者を増やして去る死神たち。

 彼らが乗車したのは東京発長野行、北陸新幹線。東京から長野へ進む弾丸列車。終着地でを暗殺するのが彼らの旅行目的だ。


「知るかよ」


 不機嫌そうにキリルは吐き捨てた。窓の外を見つめ、流れるだけの景色に意識を飛ばした。

 彼女の顔を伺いつつ、ハーディは静かに話し出す。


「日本人の案内役が逝った。私たちじゃなく案内役がだ。しかも日本に入った日に……」


 日本で合流する予定だった案内役こと情報屋が死に、2人の情報網はほぼ断たれてしまった。ターゲットの現在位置や周辺情報が更新されなくなったのだ。


 その損害を思い浮かべ、キリルはため息をつく。


「……良いんじゃねーの、オレたちが生きてんなら」

「それな」

「何ソレ」

「日本の俗語スラングらしい」


 ハーディはいつでも自信を持ち、そうやってキリルの調子を良い意味で崩してくる。


「ハッ、オメーは観光目的かよ」

「そのフリはしてる。この仕事には綿密さが必要不可欠だからね。年単位での備えは勿論……」

「次の日に『ご愁傷様です』と言える完璧さも要求される、だろ?耳タコだわ」


 キリルはハーディのことなら詳しいつもりだ。

 新進気鋭の殺し屋であるキリルはある日、ハーディに助けられたのを機にバディを組んだ。だから彼を厚く信頼し、なんなら結婚してもいいと思っている。


 一方のハーディは常に理性的で思慮深い。中国のスラム街で生まれ育ち、全てを見通している風格がある。


「私は、この仕事が終わったら一度故郷に帰る」

「また子供か?何年捜してんだよ」

「明日で6年。大切な忘れ物さ」

「オレにはねぇな……そんな大層なもん」

「ちなみに日本では、大仕事の前に思いをせることをフラグと言うらしい。直後に死ぬからだと」

「じゃあ言うな」


 頬杖をつき、キリルは少し笑った。


 長野県に入った頃。寒空はまだ午前を示し、朝に弱いキリルのあくびを誘った。終着駅まで残り20分ほどとはいえ、油断をしてはならない。キリルは案内役が殺されたことをボンヤリ考えていた。


 平穏で目に優しい車内。ハーディがコーヒーを飲む一方で、キリルはアイスクリームを食べる。

 異様に固いアイスクリームに苦戦していると、勢い余ってスプーンを落としてしまう。藍色の床から軽い音が響いた。


「おっと……」


 日本はキレイだと聞いているが、床に落ちた食器はさすがにアウトか。そう思ってスプーンに手を伸ばしたとき、事は突如として動き出す。

 殺し屋は突如というものに慣れている。それを創り、それを迎える立場にあるからだ。だから殺し屋が動揺することは滅多に無い。


 キリルは気づいた。通路に一人のが立っている。

 脚から顔面へ、キリルが顔を上げる。目の前の男はタコ壺に入った駅弁をほおばっており、目が合った。


「ねえ、ちょっといいかな?」


 男はいきなり話しかけてくる。殺し屋2人の殺意の眼光など気にも止めない。

 若い男だ。日本語とマッシュスタイルの白髪でパッと見、日本人かとも思ったが、ワシ鼻と大きな青い目からしてゲルマン系のようだ。


「僕が考えるに、『案内役殺人事件』の犯人はキミ、そっちのキミじゃないかな。どう?」


 男は箸を持ったままハーディを指差した。 


「キミはこだわる性格に見えるけど、靴に土が……ついてないね。でも土の匂いがするし、こすって落とした形跡も見える。血の匂いも……うわ、2人ともするよ。鼻が曲がりすぎて取れそう」


 話し方からして胡散臭いし、声も常に浮わついている。表情も同様、服装も詐欺師のよう。


「違う?違ったら謝るよ。日本には土下座があるからね。知ってる?土下座」

「誰だテメーは!!!」


 キリルは怒号を上げて詰め寄った。他の乗客のことなど全く気にしない。相棒を疑われ、黙っていられなかっただけだ。


「落ち着けキリル、この男……だ」

「はァ……?」


 ハーディになだめられ、キリルはなんとか気持ちを抑えた。しかし驚かざるをえない。今の事態が前代未聞であることに変わりはないのだ。

 ハーディの言う『探偵』とは通称。本名は依頼を受けたキリルたちにすら分からない。一つ分かるのは、探偵こそが殺害対象ターゲットということ。


「コイツが今回のターゲット……?いやでも、なんでここに……てか、コイツが案内役をやったんだろ!」


 キリルはそう思い込んでいた。それが普通だ。

 今にもナイフで刺したいが、ここは新幹線車内。さすがにこの場で殺し屋稼業を全うするわけにはいかない。

 眉間にシワを寄せ、キリルは小声で尋ねる。


「探偵……マジで……!?」

「その呼び方、ホラーだね。ここにいると僕の弁当が血生臭くなる」


 探偵はタコ壺を持ったまま立ち上がった。今度は大人びた表情をしていた。


「雑に撃たないでよ、日本に全米ライフル協会は無いから」


 そしてゆっくりとその場を離れる。

 殺し屋2人は目を合わせたのち、探偵の後を付いていく。キリルは無意識のうちにハーディを先に行かせていた。

 見て見ぬフリで殺し屋の身分を隠すという選択肢もあったが、探偵が頭のキレる男である以上、監視が得策だ。


 探偵は悠々と歩いた。キリルたちがいたのはグリーン車の11号車。下り方面に向かう際は数字が多いほうが先頭車両になるため、最後尾が1号車だ。


 探偵はどこで止まったかと言うと、2号車だった。

 結局250メートルほど歩いた。3人は2号車後方のデッキにたまり、同時に深呼吸をする。何事も無いことは良いことだ。

 だからといって探偵が再び駅弁を食べ出したことには我慢ならず、キリルは彼の胸ぐらを掴む。


「テメーなぁ……!」

 

 モグモグと口を動かす探偵を睨みつけ、キリルは手を離した。それはハーディに「よせ」と言われたからで彼女の意思ではない。

 3分後、駅弁もあと少しとなったので、探偵はハーディに頼む。


「ね、水買ってきてくれない?申し訳ないけど」


 分断作戦か何かとも考えたが、探偵には仲間がいないと案内役が言っていたのを思い出し、ハーディは水を買いにいった。


 探偵は小さなおしぼりで口を拭い、ただのタコ壺となった駅弁を片手に持つ。探偵の「この弁当の食レポの仕事したいな」という雑談をキリルが無視し続けていると、探偵の表情がさっきの推理中と同じ、浮わついた表情になった。


「ところでさっきの電話、『思い出して』って最後に聞こえたけど、当たってる?」


 予想以上に長いこと盗み聞きしていたとわかり、キリルの声のトーンは低くなる。


「は?……いつの話してんだよ」

「当たってるね。で、その意味は?」

「何を思い出すのかって?」

「そう」

「箸の持ち方とかじゃねぇの」

「……キミが思い付かないんなら、何でもないんだろう。誰かに脅されていたとしても抽象的すぎて意味不明。となると……だ」


 探偵は虚空を見つめ、口を半開きにする。絶賛推理中といったところか。探偵というネーミングは他にないほどに的を射ているなと、キリルは呆れた。

 すぐに探偵は口を閉じ、恍惚とした笑顔で言う。


「これは『思い出して』、つまりリメンバーではない。『重い、出して』、ゲット・ミー・アウトだったんだよ!」

「はぁ……?」

「そうすれば人間を土の下に生き埋めにする男の姿が思い浮かんでくる!」


 探偵は顔を近づけ、堂々と言い放った。直接的な名前は口にしなかったものの、キリルは彼の言いたいことがわかってしまった。


「そりゃねぇだろ、ハハ……」


 にわかには信じがたい探偵の推理にキリルは力が抜けていく。出会ったばかりのこの男よりも相棒を信じることは不自然ではない。だというのにキリルは割りきれない、そんな自分に困惑していた。


 だんだんキリルの鼓動が速くなる。そんな中、探偵は追い討ちをかけるようにキリルに尋ねる。


「キミ、彼のこと理性的だと思ってる?」

「あ?…………まあ、多分、そんな感じだろーな」

「じゃあ逃げたほうがいい。これでも人を見る目はあるつもりだよ。どうやらキミは、ブッ飛んだ怪物に目をつけられたお姫様だ」


 ケラケラと笑い、探偵はタコ壺に入れていた割り箸をデッキのゴミ箱に捨てた。


「理性で人は殺せない。彼はおかしい。もう少し楽しく生きないとね」


 その言葉を聞き、確かに、とキリルは思った。ハーディの今までを振り返って、積もり積もった違和感が繋がった気がした。

 探偵がターゲットであることさえ失念し、キリルは一つの疑問をぶつける。


「でもよ……金のためとか、それこそオレたちみたいに仕事でやってる人間は理性で殺すってのもあるだろ。何度もやってるとそうなるんじゃねぇのか?ニンジャとかさ」

「ニンジャ?……ああ、殺しすぎて世界中の犯罪組織が調べてるっていう、あのオモシロ都市伝説ね。キミの言う通り、理性で仕事を受けて、理性で計画を練ることはあるだろうけど、トドメを刺すのは感情って話だよ」


 探偵は真面目な顔になり、キリルから目線を外した。窓の外では山と薄汚れた街並みが流れていく。


「人殺しなんてしてたらいずれ殺される。感情的な他人か自分の感情か、そのどちらかに。後者を潰せる人間がいたら、それは人類の夜明けに違いない」


 何か知っているような探偵の口振りに気圧され、キリルは黙る。殺人心理を説かれるのは初めてだった。

 考えたこともなかった、とキリルが思い悩み始めたとき、「あ」と探偵が声を漏らす。


「言い忘れてたけど、この車両には車内販売も自動販売機も無いよ」

「……は?」

「だから、いいのかい?後ろ」


 探偵はキリルではなくその後ろに目をやった。


「え」


 ガンッ!── 金槌かなづちがキリルのこめかみにめり込む。脳が揺れ、頭がガンガンし始める。


「なッ……!」


 力が入らず、キリルは棒のように倒れた。

 武器の持ち主をキリルは知っている。金槌を持ってきたのはハーディだ。


『まもなく上田です。しなの鉄道、上田電鉄はお乗り換えです』


 昭和のCMみたいな声をした車内アナウンスがそう告げる。上田は終点長野の一駅前。

 痛みに嘆くキリルの脳内にアナウンスが響く。そのせいで誰かの声を拾いそびれた。


「ご愁傷様だ、キリル」


 至近距離からの声だったが、キリルには聞き取れなかった。いつも彼女をクールダウンさせてくれる声が悪魔の囁きに変わった。それが信じられなかった。

 ハーディは何食わぬ顔で金槌を振り上げ、追加で2発、倒れたキリルの頭を殴る。それを見て探偵の顔がひきつる。


「うーわ、ホントに?すごいね……」


 ハーディが「次はお前だ」と言わんばかりの顔を向けるも、その顔はなんだかイビツだった。


「それ泣き顔?ウソだぁ、それで泣いてるの?」


 相変わらず探偵はよくわからない場面で笑う。


「にしても、そこまでしなくてよかったんじゃない?彼女はまだキミを信じていたよ」

「信頼は愛の付属品さ」

「……それが消えかけていたから、と?」


 原因を探るための探偵の問いにハーディは答えない。顔も合わせず、ハーディはキリルの体を整えていた。


 沈黙のうちに新幹線の鼻先が上田駅に入る。

 走行音は次第に緩やかになり、ホームに入るにつれて反響が増えていく。景色のほうも板を並べただけの無機質なホームによって隠される。


 停車した。終着駅の一つ前のため、乗る客も降りる客もいないのが幸いだ。

 キリルの小鼻を血液が伝い、それをハーディが舐めとる。そしてハーディはキリルの脇を掴んで体を引きずり、ちょうど開いたドアからキリルを投げる。


「うっ……!」


 黄色い線の内側、固い地面に落ちた衝撃でキリルの意識は蓋を開けた。浅い眠りから覚めるように、重苦しさを伴いながら徐々に光を取り戻す。

 キリルはパチッと目を開き、体を起こした。頭が痛い気もするが、しょせんはだ。払ってやればなんとでもなる。


 その時、新幹線のドアが閉まる。ゴー、という重厚な音はキリルの目覚めきっていない体を反射的に立ち上がらせた。


 新幹線は別れの挨拶をしてくれない。キリルを置き去りにし、勝手に発車する。お前は最初からいなかった、そう言われた気がした。


 荒々しく呼吸をして、キリルは一歩一歩、黄色い線の外側で前進を始める。やがてスピードを上げ、地面をえぐるような脚力で走り出す。

 それでもなお新幹線はキリルを抜かしていく。2号車に抜かされ、1号車も横を過ぎようとする。

 ここを逃せば二度とハーディには会えないだろう。途方に暮れる予定はない。まだ言いたいことがある。


「待てやオラァァァァァァア!!!!」


 キリルは跳んだ。全身全霊の力を込め、走り出したばかりの新幹線の最後尾に跳びかかった。


 ムチャクチャだということは一目でわかる。

 最高時速260kmの新幹線にしがみつき、フロントガラスを殴る。何度も何度も、指が痛くても殴り続けた。



 *



 結論、キリルが戻ってきた。

 ボロボロの血まみれ姿で、ハーディと探偵の前に立っている。


「よォ……!オレの忘れ物、あったぜ……!!」


 息も絶え絶えで満身創痍。そんな彼女を見てハーディと探偵は驚いていた、というより引いていた。

 アドレナリンがドバドバのうちにと、キリルはナイフを突きつける。愛する相棒を殺すタイミングは、細かい事を無視している今しかない。

 決意を果たす覚悟のために、高らかに叫ぶ。


「地獄にテメーを連れていかねェとなァー!!!」

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