第87話

 2月13日、火曜日。


今日は朝から丸1日を吉永さんの為に充てる。


11日の日曜が誕生日だった彼女だが、やはり受験真っ只中の美冬に気を遣い、お仲間を集めての食事会は固辞された。


なので店が定休日であるこの日に、俺だけで持て成す事にした。


新たに雇い入れた2人との顔合わせも済み、前の勤務先を退職した磯部さんは、来月から働き始める。


顔合わせに店を訪れた2人は、その内装や設備の豪華さに驚き、赤字当然の経営方針に唖然としていた。


利益追求が目的ではなく、俺のお仲間さん達に最高の施術を提供する場であって、猶且なおかつ大きな赤字を生む事で俺の節税も兼ねていると説明したら、乾いた笑顔で納得してくれた。


また、勤務まで少し間がある磯部さんには、柏木さんのマッサージへ通い詰め、指圧の技術をなるべく吸収しておくようにも言ってある。


2週間、ほぼ連日のように通わせ、簡単な知識も伝授して貰うから、柏木さんにはその分、100万円の報酬を渡してある。


渋谷から電車で約40分の場所に住む磯部さんの為に、新たにマンションを購入することにした。


これまでのような億ションではなく、分譲マンションとして購入すれば4500万円程度の部屋が複数ある物件を仁科さんに探して貰い、現在建造中で6月に完成する部屋数20の物件を、正式に売り出す前に交渉して1棟買いした。


場所は井の頭線の池ノ上で、5階建て、1部屋約40坪、敷地面積は250坪で、購入価格は約25億だった。


その1部屋に、店で働く間は家賃不要で住んでも良いと告げられた磯部さんは、『私、定年までお世話になります』と言って俺を喜ばせた。


俺はエステだからといって、技術はあるのに年齢だけで解雇なんてしない。


勿論、ある程度の身だしなみや節制を要求はするが、定年は60歳だ。


因みに、緒方さんにも入居の意思を確認したところ、『是非お願いします!』と即答だった。


若い女性は特に、夢見がちな傾向にある。


住みたい町ランキングでは、都会で華やかなイメージのある場所が上位を占める。


けれども、そういう場所は概して家賃が高く、物価も高い。


まだ低収入の若者が住むには大変なのだ。


その点、年収1000万を約束されながらも実利を取った彼女達2人は、地に足が着いている。


『渋谷まで3駅なんですから、何の問題もありませんよ』と緒方さんは笑った。


よく分っていらっしゃる。


そんな事を仁科さんに話したら、『勤務先に近く、普通に借りれば家賃20万はする新築のマンションに無償で住める。これを断る人なんて、そういませんよ』と呆れられた。


どうやら、世間知らずなのは俺の方だったみたいだ。


皆、ちゃんと憧れと現実の区別はしてるんだね。


吉永さんへのお持て成しだが、夕方までは一緒にダンジョンを巡る事にした。


彼女の希望だからだ。


先ずは家で各能力値を上げる品を食べて貰い、それから共にアフリカへと向かう。


銀箱を開けて回る俺の側で、彼女にはその邪魔となる魔物を狩って貰う。


既に、アフリカ大陸にある金箱は全て回収していた。


最後の『ダンジョン内転移』を回収した時、俺の中で2つの事が起きた。


1つ目は、『ダンジョン内転移・改』の特殊能力の表示が単純な『転移』へと切り替わり、一度行った場所なら通常の世界でも自由に転移できるようになった事だ。


これまでは、一旦ダンジョンに入ってから、目的地付近のダンジョン内までしか跳べなかったけれど、今後は直に家とダンジョンを往復できる上、通常の世界でも好きに移動できる。


移動に使う時間的なロスが、完全になくなった訳だ。


2つ目は、『地図作成・改』の表示が『地図作成・完』へと変化し、通常の世界でもマッピングが可能になった事である。


これは、通常の世界でも転移が可能になった事の副次的な効果だと思われる。


これにより、今まではオンにしっぱなしだった『地図作成』を、ダンジョンから出た際に、オフへと切り替える手間が生じた。


魔物も宝箱も存在しない場所で、頭の片隅に地図を表示させておく意味などないから。


アフリカの魔物は、総じて他より強い。


宝箱を開ける僅かな時間といえども、その周囲にいる魔物を狩り尽くす作業は、もう少しで各能力値が2万に届く吉永さんの良い練習台となる。


午前10時から夕方5時までの7時間で、約5000体の魔物を狩った彼女は、帰宅後に足りない能力値のアイテムを食べ増した事で、到頭5人目の2万台へと突入した。


彼女も以後、トイレとは無縁の存在となり、どんなに食べても月に1、2回の垢すりで済むようになる。


探索を切り上げた後は、吉永さんの家に行き、共に入浴しながら施術もして貰う。


3回も摂取されたお返しに、俺も彼女の垢すりをしてやる。


彼女は酷く恥ずかしがったが、『美冬にも時々してあげている』と教えると、渋々やらせてくれた。


換気扇を止めた浴室内に2時間以上も居るから、幾ら広いとはいえ、常に湯を出して室温を高めていれば、冬でも十分に汗が出て、垢すりに適した状態になる。


強度はあるが繊細な彼女の肌を傷つけないように、丁寧に施してやった。


入り始めて3時間以上経ってから、ようやく浴室を後にする。


美冬は今日も試験日で、俺が吉永さんを接待すると告げると『夕食は外で取るから』と気を利かせてくれたので、そのあと2人だけで食事をする。


予め用意しておいた料理やお酒をアイテムボックスから取り出し、談笑しながらゆっくりと頂く。


美冬から、『沙織さんに』と渡された、茹でタンの塊も堪能する。


2キロ分はあるそれを、山葵醬油を付けながら、たった2人で完食してしまった。


パーカーポイントが90点以上の赤ワインを2本空け、デザートと珈琲を楽しむ。


時刻が23時を過ぎた頃、吉永さんに手を引かれて、彼女の寝室まで足を運ぶ。


薄暗い照明の中、身に付けていたバスローブとトランクスを脱がされ、彼女も全裸になる。


キングサイズに買い替えたベッドに押し倒され、無言で唇を貪られ、本番行為以外のあらゆる愛撫を受け入れる。


彼女の吐息が全身に降り懸り、唇と舌が身体を這い回り、その指先と肢体が皮膚を刺激していく。


普段の彼女からは想像もできないほど、妖艶な顔と、情欲の籠った瞳で見つめられる。


午前4時。


俺の腕枕から顔を上げた彼女は、アイテムボックスから一欠片ひとかけらのチョコレートを取り出すと、それを口に含んだ。


そしてそのまま、俺の口を塞いでくる。


舌でこじ開けられた口内に、彼女の唾液と共に、溶けかけのチョコレートが侵入してくる。


それを受けた舌が、彼女の舌によってからめ捕られ、チョコが完全に溶ける。


深く重なったままの唇を離してくれないので、飲み込む時、彼女の舌が喉の奥まで入る。


俺の表情を、至近距離から目を開けたままで眺めていた彼女は、その後やっと唇を離した。


「愛しています。

心の底から、私の全てで以て。

・・重婚制度が整ったら、何番目でも良いですから、私とも結婚してください」


穏やかな眼で、そう告げられる。


「本当にそれで良いのですか?

僕は独占欲が強い上、美冬以外には秘密にしている事もありますよ?」


「あなた以外には、もう誰も異性としては愛せないから。

あなたでないと心が壊れるし、この身体も受け入れてはくれない。

あなたが良いし、あなたでないと嫌。

・・だから、どうか私と結婚してください」


「4月以降にするつもりの、僕の話を聴いてからにした方が良いのでは?」


「結婚してください」


「僕は・・」


「結婚してください」


「・・分りました」


「嬉しい!」


再度唇を塞がれる。


その背を撫でていると、おもむろに顔を上げた彼女に詫びられる。


「済みません。

和馬様を『あなた』とお呼びしてしまうなんて・・。

まだ数年先ですよね、フフフッ」


「言い忘れておりましたが、吉永さんへの誕生日プレゼントは、山形の土地20万坪です。

既に『耕作』を施してはありますが、未だ更地です。

何か植えますか?」


照れ臭いので、別の話題を振る。


「・・緒方さんと相談して、取り敢えずハーブでも植えようと思います。

もし他に必要な物ができましたら、遠慮なく仰ってくださいね」


「分りました。

・・シャワーをお借りしますね。

そろそろ帰らないと」


「私がお流し致します」


浴室で、さっと自身の身体をお湯で流した吉永さんが、その後、俺の身体を石鹸で丁寧に洗ってくれる。


帰り際、彼女が、奇麗にラッピングされた平たい箱を差し出してくる。


「?」


「今日はバレンタインデーですから」


「ああ、そういえば・・」


「キスの際に使ったのは市販の物ですが、これは私の手作りです。

変な物は入っておりませんから、ご安心ください」


「変な物?」


「もし結婚の申し出を断られていたら・・今度いらっしゃった時、こちらの媚薬入りのチョコを食べていただいたかもしれませんね。

フフフッ。

美冬に相談したら、『沙織さんの求婚を断るようなら、遠慮なく食べちゃって。私もその前に頂いちゃうから』と許可を得ましたので」


アイテムボックスから、もう1つ、色違いの箱を取り出しながらそう告げる彼女。


「・・・」


「因みに、頂くのはチョコじゃないですよ?」


「残念ですが、そのチョコ、僕達には効きませんよ?

『毒耐性(S)』は、たとえ身体に有害な毒でなくても、体調に変化を齎す成分を無効化しますからね。

強いお酒を飲んでも酔わないでしょう?」


「・・忘れてました」


どうやら、以前百合さんが行っていた行為は、杞憂ではなかったらしい。


「それに、僕には【真実の瞳】がありますから、危ないと思えばその成分を確かめる事もできますので」


「・・本気で実行しようなんて、考えていませんでしたから。

お断りされたら、愛人で納得しようと思っておりましたし・・。

この媚薬入りのは、勇気を出して和馬様に求婚するための道具でしたから」


「・・吉永さんは、結婚指輪に使う宝石は何が宜しいですか?」


「え?」


「美冬には、ピンクダイヤの原石を使います。

あなたのご希望はどの宝石でしょう?」


「もし可能でしたら、美冬とお揃いの物をくださると嬉しいです」


その声が少し震えている。


「了解致しました」


そう告げた途端、彼女の瞳から大粒の涙が零れ落ちる。


家に帰るのが、約20分遅れた。

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