第82話

 12月26日、火曜日。


昨夜の食事会で、お仲間さん達とエミリアの顔合わせも済んで、お開きの後は彼女を自宅に招待し、大学を卒業後に住んで貰う部屋を見て貰った。


家の中を一通り見たエミリアは、『・・凄いおうちですね』と絶句していた。


日本の一般的な家よりも少し大きいくらいのイメージしか持っていなかったらしく、部屋の内装や調度品の豪華さに目を見張っていた。


歴史あるオックスフォードに通うだけあって、リビングやダイニングに無造作に置かれている家具の価値を正確に把握していた。


食器棚の大半を占めているマイセンやロイヤルコペンハーゲンのアンティークカップ、古伊万里の皿を目にして、『これを日常でお使いになっているのですか?』と顔を強張らせていた。


それらの中には、オークションに出せば数百万する品もあるので、仕方がないことではある。


『故意でなければ割っても構いません。ストレス発散用の物は、100円ショップで別に用意しますから』と気を遣ったが、その意味を理解しては貰えなかった。


英国には、皿を叩き割ってストレス解消する文化が存在しないのだろうか。


23時を過ぎていたので、『お泊りになってください』と申し出たが、あちらではまだ15時ちょっとだから、彼女は自室に帰ることを選択した。


俺がその後、ダンジョンに入ると教えたからかもしれない。


それとも、クリスマスプレゼントとして渡した、女性用の防護服とブーツ、Aランクの装備品一式を見たからか。


試着の意味を兼ねてそれらを身に付けたエミリアは、驚くほど様になっていた。


俺と美冬の感想に気を良くしたのか、彼女はその姿のまま帰ると言い出し、イギリスのダンジョンまで跳んで、出口へ向かおうとした際、俺の腕をそっと摑んできた。


『復習させてください』


そう口にして、深いキスをしてきた。


これが日本語であったなら、『復讐?・・僕はあなたに、一体何をしてしまいました?』と疑問に思うところだが、英語ではそんな誤解も生まれない。


顔を赤らめながら、じっと見つめてくる彼女に、頷くだけで十分だった。


その10分程の間に、何体かの魔物が寄って来たが、エミリアの舌の動きに応えながら『鎌鼬』を用いるだけで済んだ。


唇を離した彼女に言われた。


『私はまだ、和馬様と一緒にお風呂に入れる訳ではありませんから・・』


敢えて教えなかったが、自宅の浴室を見せた時、普通の家にはないであろうエアマットや、椅子や洗面器の類が複数あることで、それとなく察したのだろう。


エミリアの部屋にある浴室は、2人で使うには狭過ぎるのだ。


『お仕えするようになったら、私もご一緒させてください』


俺の首に回した両腕を解くことなく、間近で見つめながら、彼女はそう言った。


『中世ならともかく、現在でも、メイドの仕事にそういう類のものが存在するのですか?』


そんな軽口がきけるほど、彼女の眼は穏やかではなかった。


まるで、美冬だけでなく、お仲間の皆さん全員とそうしている事を知っているかのように。


『善処します』


その時は、そう言うしかなかった。


気分を変えるため、イギリスのダンジョンで2時間ほど共に魔物を狩る。


臨時パーティーを組み、『人材育成・改』を活用しながら、彼女に武器の扱いを教えた。


探索者免許を今年中に取得すると言う彼女に、俺とのパートナー登録も勧め、長剣と盾の使い方を、弱い魔物と実際に戦って貰う事で身に付けて貰う。


1時間程そうしたら、『状態異常無効』と『魔法耐性(S)』のアイテムを食べて貰い、今度は少し強い魔物の相手をさせた。


俺はエミリアの側で3000円以上の魔物を狩りながら、それ未満の魔物と戦う彼女を見守っていた。


【忠誠】で底上げされた能力と、Aランクの装備を身に付けた彼女には、たとえその技術が拙くても、3000円未満の魔物では相手にならなかった。


イギリスのダンジョン入り口数は、全部で3103個。


この2時間だけで、2人で1200以上の魔物を狩り、エミリアの能力値も結構上がった。


いちいち拾う時間が惜しいので、『アイテムボックス』の自動回収をオンにしていたから、終わった後で、その分のお金を彼女の口座に振り込む事を告げると抵抗されたが、『あなたの母親に、そのお金でクリスマスプレゼントを贈ってください』と言うと、渋々了承してくれた。


装備品も5つドロップしたから、魔宝石の金額込みで1400万円くらいになるが、教えると益々面倒になるので、それは黙っていた。


エミリアを部屋に送り届けた後、俺はブラジルまで跳び、銀箱の回収に精を出す。


日本時間で朝の9時に自宅に戻り、美冬がまだ寝ていたので、1人で珈琲を淹れて飲んだ。



 10時に吉永さんが家にやって来て、彼女の着替えの間、エミリアの話題で盛り上がる。


とは言っても、ほとんど彼女の質問に、俺が答えるだけだった。


『もうキスを済ませたみたいですが、お風呂も一緒に入られたのですか?』


それまで、当たり障りのない話題ばかりだったのに、最後にこんな爆弾を投げてくる。


美冬の奴、喋ったな?


吉永さんは、美冬とかなり仲が良い。


個人的にチャットもしているらしい。


『当然、まだですよ』


そう答えながら、今度、美冬の部屋に朝6時にセットした目覚まし時計を置いておこうと考える俺だった。


物凄く音の大きいやつをな。



 吉永さんを鹿児島に送った後、相も変わらずブラジルへ。


ここの銀箱も、その中身は貴金属やAとBランクの装備品がほとんどだから、無理して回収しなくても良いのだが、何処でどう役に立つか分らないから、取り敢えず頑張るしかない。


回収速度が更に増してきた事だけを希望に、夕方6時まで、7時間程を費やす。


それから吉永さんを迎えに行き、共に自宅の浴室へ。


最後の1枚を芸術的に脱ぎ捨てた彼女は、我慢できないと言わんばかりに俺を抱き締め、唇を貪ってくる。


脱衣所にもエアコンが効いているので、冬に裸で5分や10分過ごしていても、全く問題がない。


少し落ち着いた彼女は、俺の手を引き、並んでシャワーを浴びた後、エアマットを敷いて施術の準備に入る。


そこからの時間は、お互いほぼ無言だ。


お湯で温められたローションと、吉永さんの肌と体温を感じながら、目を閉じて、彼女の息遣いと動きにだけ集中する。


今日はいつもより過激だった気がする。


約90分の間に、2回も摂取された。


先に湯船に浸かっていた俺の対面に、後始末を終えた吉永さんが入って来る。


「済みません」


何だか気まずそうだ。


「何故謝るのですか?」


「つい感情的になってしまいました」


「感情的?」


「あれ程までにお綺麗なエミリアさんを見て、卒業後は和馬様と同じ家で暮らせるのだと知って、立場も弁えずに嫉妬してしまいました。

申し訳ありません」


アップにまとめた髪から、その一房を垂らしながら、俺に頭を下げてくる。


「気にしていませんよ。

寧ろ、謝るのはこちらの方ですから。

本当なら、僕がお仲間の皆さん全員で住めるような家を建てるべきなのです。

それを、両親との思い出が詰まったこの家に居続けたいばかりに、皆さんにご不便をお掛けしている訳ですからね」


「不便だなんて、考えた事もありません。

夢のような暮らしをさせていただいております。

毎日が楽しくて仕方ありません。

・・でも、ほんの少しだけ、寂しいと感じる瞬間があるだけですから」


俯きながら、最後の言葉は呟くように口にした彼女。


「そんな時、僕にどうして欲しいですか?

どうすれば、それを感じずに済みますか?」


見ていて心が痛むので、そう尋ねる。


「私に触れてください。

この身体を堪能してください。

今はまだ最後までできなくても、強く抱き締めてくれるだけで良いんです。

優しく撫でて貰えるだけで、幸せなんです」


そう告げてくる彼女を抱き寄せ、膝の上に載せて、しっかりと抱き締める。


すがるように首筋に絡みつく、彼女の両腕。


その抱擁は、美冬が気を利かせたせいもあり、浴槽の湯が完全に冷めるまで続いた。



 ふう。


沙織さんとの30分に及ぶチャットを終え、壁にもたれていた姿勢から、ベッドに横になって寝る態勢に入る。


和馬とエミリアさんの事を、沙織さんにだけこっそり教えたせいで、彼女が焼餅を焼いてしまった。


お仲間さん達の中で、和馬以外のパートナーがいないのは、私と沙織さんだけ。


仁科さんと落合さんもいないけど、あの2人は実質的にはパートナーに近い関係だと思う。


【分析】を使って覗いてみても、お互いを『戦友』とか『親友以上』としか認識していないようだけど、それだけでは理解できない事をしている。


『親愛』と表示される2人の間の感情に、理沙さん達や南さん達に近いものを感じるのは、和馬を軸にした特殊な関係だからかもしれない。


その点、私と沙織さんの2人は、和馬と2人だけで入浴する事からも分る通り、他にパートナーがいない。


同性とじゃれ合う事はできても、それ以上の気持ちは持てない。


大切にはできても、性欲の対象として見ることまではできないのだ。


だから、現状では週に1度くらいしか和馬に会えない沙織さんが、将来的には一緒に暮らせるエミリアさんを羨むのは仕方がないと思う。


今夜のチャットでは、私が知らせた内容を和馬に口にしてしまった事を詫びられ、彼から大事に扱って貰えた喜びを延々と告げられ、私が気を利かせた事に対して、丁寧にお礼を述べられた。


料理を温め直すくらい何てことないのに、どんなに親しくなっても、彼女が必要だと感じた礼儀は払ってくる。


いつも穏やかで優しい彼女が、冷酷な仮面を被る唯一の事例は、街でナンパされる時である。


『人除けのお守り』があり、必要ならたとえ街中でも『結界』を使う私と違って、彼女は普段、普通に歩いている。


あれだけ綺麗で、スタイルも私とそう変わらない彼女がそんな事をすれば、当然愚かで軽薄な男達が寄って来る。


その中には、口で断っても納得しない、無価値な存在もいる。


以前、私と買い物に行き、私だけ別の店に寄っている間に2人組の男達に絡まれて、その内の1人が、有ろう事か彼女の肩を抱こうとした。


『あっ』と思った時には既に遅かった。


沙織さんが、そいつの手首を握り潰した。


そして、いつもの彼女からは想像もつかないような辛辣な言葉を吐いたのだ。


激痛に泣き叫ぶ男と、何かをわめくその連れの所まで慌てて駆け寄った私は、その時初めて『女帝』を使い、煩い2人組を強制的にダンジョンに入れて証拠を隠滅した。


周囲で騒ぎを見ていた人も何人か居たが、彼らには、その2人組がいきなり何処かに走り出したようにしか見えなかっただろう。


尤も、手首を握り潰された男は、その痛みで陸に走れていなかったけれど。


騒ぎを直ぐに収めた私に、沙織さんが申し訳なさそうに頭を下げて詫びてきたが、彼女は全く悪くないので、『あんな奴ら、ああされて当たり前でしょ』と笑ってあげた。


もしこの場に和馬が居たら、彼らはきっとその場で『洗脳』されて、ダンジョン内に連れ込まれた上、殴り殺されていただろうから。


それに比べれば、『今から直ぐにダンジョンに入って、ゴブリン以外の魔物を10体狩りなさい』と2人に告げた私は、相当優しい。


運が良ければ死なずに済むのだ。


因みに、沙織さんがあの2人に吐いた言葉は、彼らの名誉のために黙っておく。


あれだけの事を、普通の口調でさらっと言われたら、大抵の男性はトラウマになるだろう。


りに選って和馬と比べられたのだから、仕方のない事だ。


過去の出来事を思い出して苦笑いした後、睡魔に身を委ねる。


休日の間は、目覚ましすら必要ないから、存分に寝られる。


今この時も、ダンジョンで頑張っている和馬に、『おやすみ』と囁きながら。



 翌朝、何故か苦い顔で珈琲を口にする和馬が居た。


それとなく【分析】を使って覗いたところ、どうやら私に悪戯をしようとしたらしいが、直前で思い止まったみたいだ。


私の寝顔がかわいかったから?


エッチな事なら、幾らでもして良いよ?

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