第78話

 12月22日、金曜日。


『 親愛なる和馬様へ


 お元気でお過ごしですか?

肌寒い季節になりましたが、体調を崩してなどおりませんか?

私がお側でお仕えするまで、どうかお体には十分にお気を付けくださいね。


 もう直ぐクリスマスですね。

日本のクリスマスは、一体どのような感じなのでしょう。

和馬様、あなたのお側で過ごす時間が、今から楽しみで仕方ありません。


 母も、今は元気に働きに出ています。

その回復を喜んでくださった元の職場に復帰して、これまで以上に熱心に勤めております。

落合さんは言葉を濁しておりましたが、私は、和馬様のお陰だと固く信じております。

あんなタイミングで、不治の病だった母が完治するなんて、他に理由が考えられませんもの。

母も、薄らとではありますが、夢の中で、大きく温かな何かを感じたと申しておりました。

和馬様は非常に優秀な探索者であると、落合さんから聞き及んでおります。

きっと、一般人の私達では思い付きもしないような方法で、母を救ってくださったと思っています。

心から、感謝致します。


 大学での生活は、とても順調です。

十分過ぎるご援助を頂けたお陰で、アルバイトに精を出さずに済み、その分を勉学に充てながら、時々気分転換に散歩を楽しんでおります。

自然史博物館、ため息橋のたもとにある狭い路地から入るパブ、ニューカレッジの庭園、カバードマーケット。

何れも、私のお気に入りのお散歩コースです。

私が通うクライストチャーチからは少し距離がある場所もありますが、主要な交通手段であるバスや自転車にもなるべく頼らず、この大切な時間を足の裏に刻むかのように、てくてく歩いています。

『パイミニスター』のパイを食べ過ぎた翌日は、かなり気合を入れて歩くんですよ?

フフッ、『何時か、和馬様と2人で並んで歩けたら』、そんな事を考えたりもしてます。


 落合さんにそちらのご住所を教えていただき、こうして時々お手紙を書かせていただいておりますが、お返事はくださらなくても結構です。

・・お忙しい和馬様の負担には、なりたくありませんから。

その代わり、4年後、お側にお仕えしたあかつきには、飛切とびきりの笑顔で迎え入れてくださいね。


 あなたのエミリアより 』


ダンジョンから一旦戻ると、自室の机の上に、エアメールが置かれていた。


差出人を確認すると、案の定、エミリアからだった。


封を切って読むと、美しい文字で、彼女の近況などが書かれている。


手紙を貰うのはこれで2通目になるが、最初の手紙に返事を書いたから、それを気にしているみたいだ。


時間を確認すると、午後の7時少し前。


向こうでは、午前11時くらいかな。


少し考えて、美冬に謝りに行く。


「美冬、済まないが、夕食は先に食べていてくれ。

これから少し出かけてくる。

食事は帰ってきてから、自分で温め直すから」


「何処へ行くの?

そんなに時間が掛からないのなら、食べずに待ってるよ?」


「イギリスまで行ってくる。

エミリアさんに会ってくるよ」


「手紙に何か書いてあったの?」


「大した事じゃないけれど、一度、彼女とゆっくり話をしておこうと思って」


「そう。

今度私にも紹介してね。

ここで一緒に暮らす事になるんでしょ?」


「いや、恵比寿か目黒に部屋を与えるつもりだけど」


「でも、メイドさんなんでしょ?

同じ家に住みながら働いて貰わないと、色々と不便だし、向こうだって大変じゃない」


「美冬はそれで良いのか?

以前、何だか怒っていたようだが・・」


「別に怒ってなんかいないわよ。

ただ、私に無用な気を遣ったみたいだから・・。

私は家事が大変だとは思っていないしね」


「・・俺はダンジョンに入るのに忙しくて、ほとんど家事を手伝ってやれないからさ。

美冬とは、今はまだ形式上は雇用関係にあるけど、籍を入れれば対等な夫婦になる訳だから、お前ばかりに家事をさせるのはどうかと思ったんだ。

だから、それを職業にする人を雇おうかと・・」


「子供は作らない方が良いとこの間決めたし、2人なら大した手間じゃないよ。

食事の支度だって、忙しい時は買って来た物で済ませられるから。

でも、帰って来た時、迎えてくれる人が居るのは嬉しいかも。

お掃除なんかも、プロなら私より上手だろうしね。

おまけに凄い美人で、とても優秀なんでしょ?

なら、一緒に暮らしても問題ないよ。

その人に、私達が留守の間は、この家を護って貰おうよ」


にっこり笑うその笑顔には、何の陰りも見えない。


本当に楽しそうに笑っている。


「そう言ってくれると助かる。

彼女も、俺の下で仕事をする事を強く希望しているようだから」


「私達の人生はとても長いようだし、お仲間さんは多いに越した事は無いよ。

じゃあ先に食べてるね。

遅くなりそう?」


「運良く彼女に直ぐ会えるとも限らないし、もし遅くなったら先に寝ていてくれ。

早めに話しておきたい事があるので、なるべく今日中に済ませてくるつもりだから」


「分った。

1時までに帰って来ない場合は、和馬のベッドで寝ちゃうからね」


「了解」



 ダンジョンに入り、『転移』を使ってイギリスへ。


そこからダンジョン内を突っ走り、オックスフォードにある最寄りの出口から外に出る。


お昼時だから、グレートホール付近で待っていれば良いかなと考え、『隠密』を用いて学内に入る。


この大学、部外者が見学できる場所は多いが、その多くは予約制だったり、パスポートの確認を求められたりするようなので、正規の手順で入国していない俺には、何かと都合が悪い。


こっそり入るのは、仕方がない事なのだ。


12時を過ぎた辺りから、学生達もちらほらやって来るが、エミリアの姿は見えない。


高校にさえ通っていない俺は、この大学の関係者がこれ程多いとは考えてもおらず、アポもなしにやって来た事を後悔する。


落合さんはエミリアのスマホのアドレスを知っているから、『念話』で、彼女に連絡を取って貰うようにお願いした。


30分近く経った頃、急ぎ足でこちらに向かって来る彼女を確認する。


『隠密』を解いて待っていると、いきなり抱き付かれた。


「お会いしたかった」


ただそれだけの言葉に、万感の想いが込められているような響き。


食堂付近だから、行き交う多くの人の興味深い視線に晒されながら、数分間耐える。


「場所を移しませんか?」


一向に自分を放そうとしないエミリアに、さすがに恥ずかしくなって、そう告げる。


「・・失礼致しました。

どうしても感情を抑えられなくて・・。

お恥ずかしい限りです」


「お昼は、まだお済みではないですよね?

こちらでと考えておりましたが、もし他が宜しければ、そう致しますが」


「和馬様は、この後お時間がお有りでしょうか?」


腕時計を確認した彼女が、不安げにそう尋ねてくる。


「僕の方は大丈夫です」


「私も今日はこれで帰りますので、もし宜しければ、私のアパートまでいらしてくださいませんか?

ここからだと、歩いても30分くらいです。

この辺りのご案内を兼ねて、如何でしょうか?」


「お一人で住んでいらっしゃるのですか?

もしそうであるなら、僕が1人だけでお伺いするのは不味いのでは?」


「一人暮らしではありますが、和馬様であれば何の問題もございません。

お時間に余裕がございましたら、是非いらしてください」


「では、そうさせていただきますね。

僕の方でも、あなたに内密のお話があるので」


「嬉しい!」


華に溢れる笑顔でそう言われる。


「では、ご案内致しますね」


先導する彼女の斜め後ろに従って、学内を出る。


その間も、実に多くの者達が、エミリアと俺に視線を向けてくる。


彼女、ちょっとお目にかかれない程の美人さんだしな。


美冬や、お仲間の皆さんを見慣れている俺でさえ、彼女が視界に入れば、視線を遣るくらいはするだろう。


石畳の、歴史ある街並みに出ると、エミリアが控え目に腕を組んでくる。


彼女の顔に視線を向けると、やや赤らんだ顔で微笑まれた。


途中にある店先で、ふと足を止める。


バーバリーを扱う店だ。


もう直ぐクリスマスだし、折角だからと立ち寄る事にした。


エミリアが今着ているコートは、よく手入れされた品ではあるが、如何にも学生向きの物だ。


もう1着くらい、普段に着れるコートがあっても問題ないだろう。


「少しだけ、中を見ても良いですか?」


「ええ、勿論。

日本よりもお安く手に入ると思いますよ」


中に入り、店員に挨拶して、女性用のコートが並ぶ場所に行く。


吊るされた品の中で、1つのコートに目を留める。


バーバリーらしい、シンプルで洗練されたデザインと色合い。


エミリア程の美人が着るには、寧ろこういう方が良いだろう。


「これなんか如何ですか?

クリスマスプレゼントとして、あなたにお贈りさせてください」


「え!?

・・いえ、さすがにそれは。

只でさえ多額のご援助を頂いているのに」


「お気になさらず。

このくらいなら、ガムを買うのと同じようなものです」


日本円で、約40万円する品を、そう言ってのける。


そして、口にした後で青くなった。


よく考えたら、今の言葉は、贈られる彼女と、この店の店員さんの双方に失礼だ。


エミリアに対しては、『安物だから買ってやる』と捉えられかねないし、店員さんには、『その程度の店』と聞こえるかもしれない。


元ボッチで、美冬と出会うまで、若い女性と買い物すらした事のなかった俺は、こういう所で経験値の低さを露呈してしまう。


俺の事をよく知る馴染みの店ならともかく、ここはアウェイで、エミリアに接するのはこれが2回目なのだ。


内心で動揺しながらも、何とか言いつくろおうとしていた俺に、彼女が寄り添いながら微笑んでくれる。


「有り難うございます。

とても嬉しいです」


その様子が、まるで初デートに際して、無理して背伸びをした男に、彼女が合わせてくれたようにでも見えたのか、店員さんも、ニコニコした顔で俺達を眺めている。


ほっとして会計を済ませると同時に、りげ無く店員さんにチップを渡すべく、50ポンド紙幣をカウンターに載せ、包装してくれた彼女に微笑んだ。


少し驚いたようだが、こちらの意図は伝わったらしく、丁寧なお辞儀と笑顔で以て、俺達を送り出してくれる。


「お陰で助かりました」


少し歩いてからそう告げると、エミリアは苦笑して言った。


「お気にし過ぎですよ。

あのくらい、プライドの高い貴族なら、よくある事ですよ?

あの金額をガムと同一視できる方は、そういらっしゃらないと思いますが」


その後、再度腕を組まれ、市街地にある彼女のアパートへと案内された。

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