第49話

 7月27日、木曜日、午後12時15分。


理沙さんから紹介して貰った不動産鑑定士の女性と、ランチを兼ねて、彼女の勤務先の側に在るレストランで会った。


「初めまして。

理沙さんのご紹介でやって参りました、仁科純子と申します」


先に席に着いて待っていた俺は、彼女の来店と共に立ち上がり、挨拶を返す。


「初めまして。

有限会社『久遠寺商会』社長の、久遠寺和馬です」


理沙さんは彼女に、俺の年齢や容姿については一切伝えていないと言っていた。


にも拘らず、初対面でまだ16歳の俺を見て、顔の表情を変えずにきちんと挨拶できる時点で、取り敢えず話をするだけの価値が有る。


お互い席に着き、彼女に好きなメニューを注文させてから、話を始める。


「先ず確認しておきたいのですが、理沙さんからはどのようなお話を伺っておりますか?」


「あなたが不動産鑑定士をお探しになっていること、お気に召せば、相当な好待遇で迎えてくださること、潤沢な予算で活躍の場を与えてくださること、この3点です」


「仁科さんご自身は、今の勤務先をお辞めになっても良いとお考えなのですね?」


「はい。

今の職場は未だに男尊女卑の傾向が強く、年功序列も蔓延はびこっていて、どんなに仕事で成果を上げてもほとんど評価されません。

ある程度の実務経験が必要なのは分かりますが、そんなものは本人のやる気と機会さえあれば、数年で十分です。

実際、私がした仕事の功績を上司に横取りされる事もあり、正直な所、今の会社ではもう働く意欲が涌いてきません。

転職を考えておりました時に、以前仕事でご協力させていただいた理沙さんから今回のお話を頂戴して、喜んで参った次第です」


ふむ。


俺の眼には、今の彼女が青く映るし、理沙さんに事前に話を通して貰った際、助手は無理があったので、こっそり美冬を別な席に座らせて【分析】を使って貰ったが、彼女も『全く問題ないよ』と言っていた。


「失礼ですが、今の年収がどのくらいかお尋ねしても?」


「額面で600万円くらいです」


「は?

・・600万!?」


「はい」


マジかよ。


そう言えば理沙さんも、俺に会うまでは国選弁護人なんかで食いつないでいたらしいから、月収は確か20万円くらいだったな。


美保さんが会計事務所でアルバイトをしながら支えていたみたいだが、それでも大赤字で、預金を切り崩していたと聴いた。


『あのまま和馬君に出会わなければ、お互いの両親に土下座して、借金するところだったわ』


2人きりの浴槽の中で、俺の膝の上に跨った美保さんはそう昔話をして、濃厚なキスをしてきたのだ。


因みに今、そのご両親達は彼女達からそれまでの学費を利息を含めて返して貰い、何不自由なく暮らしているそうだ。


しかし、仮にも日本の三大国家試験の1つとも言われているのに、その額は一体何なのだろう。


司法試験の場合は、法務省の大馬鹿が、一時期、勉強したての学生に、短答式に合格すれば最難関の論文試験をほぼ免除するような事をしたので修習生の質が大幅に落ちて、陸な知識もない法曹を大量に生み、更に年3000人合格の目標を立てて、それまでの3倍の数の弁護士を量産したので、コネも実力もない弁護士が、仕事にあぶれて顧客のお金に手を付けるような不祥事が多発した。


今も時々、電車の車内広告なんかにあるでしょう。


グレーゾーンが半ば公然と認められていた時代に、多重債務者自身が支払った、金利の過払い分を回収しますみたいなやつが。


たとえあれで100万円を超える金額を取り返せても、通常より高い実費や手数料を請求されて、債務者自身に入って来るお金は、数万円か、下手をすれば赤字。


ああいうのは、被害者の救済目的としてあるのではなくて、弁護士や司法書士の金儲けのために存在すると知っておいた方が良いですよ。


そんな訳で、司法試験の受験者数がどんどん落ち込んでも、老害が残す汚点のせいで、あの業界は今一つ精彩を欠くのだが、まさか不動産鑑定士までそんな事になっているとはね。


「もしうちに来てくださる場合、ご希望の年収額はどのくらいになりますか?」


「額面で850万は欲しいですね。

私は将来、個人事務所を持って独立したいので・・」


「お任せしたい仕事は、田舎の土地や建物の買い付けが多いので、結構出張が多いです。

その辺りは大丈夫ですか?」


「はい。

私は一人暮らしで、交際中でもありませんから、土日や祝日も自由に動けます」


「最後に、あなたご自身は、探索者という職業をどう思われますか?」


「はい?

探索者ですか?」


「ええ」


「・・ちまたでは色々と酷い事を言う人もいますが、私は好きですね。

自身の力と能力だけで世界中を探索できるのです。

上手くすれば莫大な富さえ得られると聞きました。

もし私に力があったなら、そちらの道を選んだかもしれません」


「そのおっしゃり方ですと、もしかしてダンジョンに入ったご経験がお有りで?」


「はい。

18歳の時、もしかしたら固有能力があるかもしれないと、一度足を踏み入れました。

結果は、・・能力値を含めて散々でしたが」


「差し支えなければで結構ですが、その時の生命力か精神力の値をお教え願えませんか?

実は僕も探索者なのです」


「ああ、それでなのですね。

とてもご立派なお身体をしていらっしゃるので・・。

ええと、・・確か生命力が320で、精神力は158くらいでした」


「一般人にしては高いじゃないですか。

何かスポーツを?」


「高2まで陸上の選手でした。

高1の時、インターハイで優勝した事があります。

でも、胸が大きいせいでよく男子達から厭らしい目で見られていて、それが嫌で止めたんです」


料理が運ばれてくる。


「どうぞ食べながらお聴きください。

こちらの採用条件をお話しします。

先ず待遇ですが、僕個人の不動産鑑定士の顧問。

顧問料は年に5000万円です」


ガチャン。


仁科さんが、フォークをお皿の上に落とした。


「5000万!?」


「ええ。

やっていただく仕事を考えれば、そのくらいはお支払いしないといけません。

仕事内容は先程もお伝えした通り、田舎の土地の買収、及び買い占め。

あとは首都圏や海外の不動産で、資産価値の相当高い物件を幾つか購入していただきます。

土地の買収で大事なのは、必ず一筆の土地になること。

虫食い状態では駄目です。

期限は特に設けません。

耕作放棄地や相続放棄地を、どんどん安値で買い取ってください。

年間予算は1兆円くらいです」


ガシャ。


彼女が今度はナイフをお皿に落とす。


「い、・・1兆円!?」


「そうです。

先ずは東北地方や新潟の土地を、3分の1くらいは取得したいので」


「年間って、毎年その額が使えるのですか!?」


「はい。

足りなければ2兆まで出します」


「・・・」


「ただ、無駄遣いする気は全く無いので、できるだけ安く買い取ってください。

どうせ自治体にはお荷物の土地なので、最終的には3分の1くらいなら買い取れると踏んでいます」


「何故そのような無価値の土地を買い占めるのですか?」


「国や自治体に、今後無駄に税金を使わせないためです」


「・・まさか本気で仰っているのですか?

世界一の大富豪の総資産に匹敵するような額を、毎年、そんな理由で?」


「使ったお金は、また他から回収すれば良いだけです。

何もしないと、税金でガバガバ持っていかれるだけなのでね」


「・・どうか私を、あなたの下で働かせてください。

どんな仕事でも精一杯頑張ります。

必死で勉強して成果を出します。

結婚や出産すら視野に入れず、我武者羅がむしゃらに働きますから・・。

だからどうか、私を今の職場から引き上げてください。

私は、久遠寺様のような方と働きたい。

あなたの、部下になりたいです」


「う~ん、1つだけ問題がありますね。

うちはホワイト企業なので、従業員の私生活は大事にしたいのです。

週休2日に、夏季と冬季の長期休暇もありますので、プライベートは大切になさってくださいね?

仁科純子さん、あなたを採用致します」



 『仁科、これ明日までにやっといて』


『仁科、この間の資料、もうできた?』


『仁科、飲み会やるから場所探しておいて』


毎回毎回、こちらの都合も考えず、本来は自分がやるべき仕事を丸投げしてくる上司や同僚の男性達。


『部長、何故彼が主任になって、私は平のままなのですか?

あの案件を成功させたのは、私ですよね?』


『それは君が女性だからだよ。

同じ仕事をしても、女性は男性の半分も評価されない。

そういうものなんだ』


『社長にお話があります。

先日の仕事を我が社に齎したのは私です。

私が休日を潰して何度も先方のゴルフに付き合ってあげたから、あの仕事が貰えたのです。

それなのに何故私は今回、一切評価されないのですか?』


『・・君はただ、ゴルフを共にしただけではないか。

他の皆は、その間資料を集め、現地調査に精を出していたんだよ?』


『その資料を作成したのも私なんです。

彼は定時で帰っていましたから。

それに、あの現地調査に意味などないじゃありませんか。

視察や調査とは名ばかりで、温泉に浸かって、皆にお土産を買って来ただけでしょう?』


『あの彼には家庭があって、家族サービスも必要なのだよ。

恋人もいない君とは働き方に差が出て当然だろう。

君はまだ若いのだから、今は色んな経験を積む時なんだ。

暫くは我慢してくれ』


同じ仕事どころか、他人の倍以上の仕事量をこなして、その上華々しい成果まで上げたのに、返って来るのはそんな戯言たわごとばかり。


入社した当時は、周囲の男性社員が煩わしい程に寄って来たのに、こちらが見向きもしないと分ると、露骨に態度を変えてきた。


この仕事は、資格を取っただけではほとんど食べていけない。


実務経験を積んで、自治体や大企業などの美味しい得意先に人脈を作らなければ、独立しても成功は難しいのだ。


それに昨今、AIの急速な進歩により、この職種は大分脅かされている。


データを集め、単に現在の資産価値を弾き出し、今後の展望を予測するだけなら既にコンピュータでも可能なのだ。


そういった事情から、私が簡単には辞められない事を見越して、やりたい放題、言いたい放題の状況になっていた。


私はこんな状況を甘受するために、難関と言われる試験に合格した訳ではない。


思い描いていた世界とはまるで違う。


辞表を書こうかどうか迷っていた時、最近になって、とある仕事で関りを持った弁護士さんからとても良いお話を頂いた。


その方の雇い主が、女性の不動産鑑定士を探していること。


やる気と能力があれば、十分な報酬と待遇で応えてくれること。


何故女性の鑑定士を探しているのかと言うと、その方の周囲は皆若い女性ばかりだから、男性を雇って無駄なトラブルを起こしたくないという事をお聴きした。


『もし気に入られれば、あなたの未来は劇的に変わる。

運命とも言える扉が開かれるわ。

でも安心して。

決して女性を粗雑に扱うような人ではないから』


そのお言葉に背中を押され、本日、約束の場所を訪れてみると・・。


凛々しくてカッコ良い少年が、まるで貴婦人を迎えてくれるかのように、椅子から立ち上がって待ってくれた。


うちの会社は勿論、お得意先にもこんな事をしてくれる人は誰も居ない。


人としてのオーラが違い過ぎる。


夏だから、その逞しい肉体を完全に隠し切るような服装ではないが、一目でオーダーの高級品だと想像がつく衣装に身を包み、洗練された動作と爽やかな笑顔が育ちの良さを伝えてくれる。


お話を聴く前に、私はもう、彼の下で働きたい気持ちで一杯だった。


あちらの条件を耳にして、ナイフやフォークを落とすこと2回。


顧問料が年5000万円!?


それって、普通のサラリーマンが定年まで働いた退職金の倍近いのでは?


年間予算が1兆円!?


毎年国の大プロジェクトでもなさるおつもりなのですか?


これまでとは規模が違い過ぎる。


桁が大き過ぎる。


正に、生きる世界が全然異なる。


でもこの後、更に驚かされるのですよ。


採用したばかりの平社員に、2億円もする物件を無償で貸し与えて、『お好きに使ってください』なんて普通なら有り得ない。


え?


何時の間に採用されたのかですって?


そんなの、敢えて言うまでもないじゃありませんか。


お断りするなんて、そんな人がいるはずないでしょ。


彼の側に居るだけで、人が持つ本来の余裕と優しさを、自然に取り戻せるのだから。

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