第36話

 4月18日水曜日、午後1時50分。


ほぼいつもの時間に美保さんが訪ねて来る。


「こんにちは和馬君。

今日も宜しくね」


「お待ちしてました、美保さん。

どうぞ中へ」


ダンジョンに行く前に着替える彼女に、ハーブティーを出す。


「有り難う。

・・理沙の件、彼女から直接聴いたわ。

御免ね、また君の手を煩わせて」


着替えながら、彼女がそう切り出してくる。


『もう一緒にお風呂にすら入ってるんだから』、そう言われて、彼女が着替える最中でも、俺を退席させてはくれない。


「僕も理沙さんには少し鍛えて貰いたかったので構いませんが、美保さんて、そんなにあちらの方が凄いんですか?」


苦笑いをしつつ、彼女に尋ねてみる。


「フフッ、何なら実際に試してみる?」


「遠慮しておきます」


「・・ああしていれば、負けず嫌いの理沙の事だから、きっと君に泣きつくと思ったのよ。

少し前に相談に来た依頼者の夫がね、かなり酷い男でさ、事務所にも一度怒鳴り込みに来たの。

その時は私が居たからさっさと追い出したけれど、私だって常に理沙の側にいる訳じゃないから、彼女にもある程度は強くなって欲しくて・・。

まあ、理沙が悶える姿を見るのも、役得ではあるしね」


「やっぱりそんな所ですか。

こう言っては失礼かもしれませんが、理沙さんは少し頑固な面がありますからね。

一度こうと決めたら、それをくつがえすのはかなり難しいので・・」


「そうね。

意志が強いのは長所だけど、意固地になる面は短所よね」


「理沙さんの強化ですが、美保さんとは別の日にしますか?」


「お互いの都合がつけば、同じ日で良いわ。

理沙とは喧嘩している訳ではないし、今もちゃんと愛を重ねているもの。

彼女だって薄々は分っているのよ。

ただ、負けず嫌いの感情が、それに納得できていないだけ」


「分りました。

では武器と防護服はこちらでご用意します。

それから、探索後のお風呂に共に入るのは、理沙さんがご一緒の際は止めておきますね」


「あら、それは気にしないでも平気よ。

理沙も納得している事だし、彼女も君と一緒に入るそうよ」


「え?」


「理沙にとっても、君は子供を作っても良いくらいの存在なのよ?

弟のようにも感じているから、一緒にお風呂に入るくらいなら何の問題もないの」


「・・もしかして、僕は、理沙さん達が意識するような男性としては見られていないのでしょうか?」


「フフフッ、まさか。

確かに肌がとても奇麗で、体毛も、余計な場所には全くないけど、君のシンボルを見れば嫌でも意識してしまうわよ。

だって凄く立派なんだもの」


「・・・」


「私は君のしか見た事ないけど、きっとそのはずよ」


「・・やはり不快ですか?」


「そんな訳ないでしょ。

もしそうだったら、君の子供が欲しいなんて言わないよ?

さ、そろそろ探索に行きましょ」


「はい」



 4月26日、木曜日。


「和馬様、お待ち致しておりました。

今回もいつも通りで宜しいですか?」


「ええ。

宜しくお願いします」


吉永さんの店で、ゆっくりとエステとマッサージをして貰う。


垢すりは、もう数か月に一度でも問題なさそうなくらい、効果が薄れてきた。


能力値の上昇は依然として続いているが、内臓を含めた身体の全組織が、再生作業を終えつつあるようだ。


以前は少しずつ生えてはいた髭が、今では全く生えなくなった。


頭髪に関しては、目立たない場所で少し実験してみたのだが、切ればある一定の長さまでは伸びるものの、それ以上は決して伸びない。


それと同時に、普段の洗髪などで抜け落ちていたものが見られなくなり、髪型がほぼ固定化した。


爪も伸びなくなった。


顔は元から少し大人びているので、16歳の今でも18歳くらいに見られるが、毎日鏡で確認していても、それ以上老化する要素が見られない。


ここまで来れば、以前俺の立てた仮説が立証されたに等しいだろう。


あとはできるだけ生き延びて、不老不死まで有り得るのかを検証するだけだ。


「差し支えなければで結構ですが、吉永さんはご家族と同居しているのですか?」


施術の間に話を振ってみる。


「いいえ。

私に家族はおりません。

父は7年前、ダンジョンで亡くなりました。

一流企業の部長職をリストラされて自棄やけになった父は、よく知りもしない人とパーティーを組んで、それきり帰って来ませんでした。

母は専業主婦でしたが、家計を支えるために働きに出た水商売先で、客だった男性と夜逃げしました。

その男性は、会社のお金を横領していたらしく、2年後に、無理心中の形で殺されたそうです。

新聞記事に、そう書かれていました」


もう心の整理が付いているらしく、その口調は淡々としたものだ。


「ではそれからずっと一人暮らしを?」


「はい。

幸い、通っていた専門学校で、きちんとしたマッサージ師の資格を取ることができまして、そういった店でアルバイトをしながら、エステのお店で働かせていただいておりました。

自分の店を持ちたいと考えてからは、例のスパで、バイトを掛け持ちしていましたが・・」


「失礼ですが、現在お付き合いをされている方はおりますか?」


「いいえ、おりません。

和馬様にご援助頂くまでは、暮らしていくのに精一杯で、そんな余裕はありませんでした。

それに、仕事先で頻繁に例のお誘いを受けておりましたから、男性に対する視線がかなり厳しいものになっておりましたので・・」


「今のお住まいは賃貸ですか?」


「はい。

6畳の1DKです。

和馬様のお陰で、もう少し良い所に住めますので、近々引っ越しを考えております」


不躾ぶしつけな質問をして済みませんでした。

実はですね、僕は最近、マンションを1棟丸ごと購入致しまして、そこは1フロアごとの部屋数は2つと少ないのですが、1つ1つの物件はかなり広いのです。

その物件は、僕の大切な方々にしかお貸ししないので、隣に変な奴が入居してくる事はありません。

お付き合いの有無をお尋ねしたのは、ここまでしてしまうと、その方から、僕が吉永さんを囲っているように思われてしまうからです。

物件の広さは、1部屋で約165平米、つまり50坪くらいですね。

目黒にあるので、ここからそう遠くはありません。

売りに出す前にその不動産会社が潰れ、破産管財人が1棟丸ごと買い取ってくれる相手を探していたので、まだ誰も住んではおりません。

新築と同じようなものです。

如何でしょう、お住みになりませんか?

賃料や共益費の類は、僕の会社の経費で落とすので無料です。

僕は是非、吉永さんにも住んで貰いたい」


「・・・。

和馬様は、一体私を何処まで甘やかしてくださるのでしょう。

もう本当に、あなた様の愛人としてお仕えしましょうか?

私は、こんな歳ではありますが、男性経験がありません。

・・あなただけの女になりますよ?」


「いえいえ!

そこまでしてくださらなくても結構です!

・・僕はただ、自分の大切な人には、良い暮らしを送って欲しいだけなのです。

何不自由なく、人生を謳歌して欲しい。

僕の大事な、本当に大切だった人達の分まで、笑っていて欲しいんです。

僕の自己満足でしかない、あなた方には寧ろご負担に思われるような振る舞いかもしれませんが、どうか僕を軽蔑なさらないでください。

お嫌でしたら、勿論お断りくださって構いませんから」


「・・和馬様、少し失礼致します」


仰向けでオイルマッサージを受けていた俺の目元にタオルを載せ、吉永さんが、ゆっくりと唇を重ねてくる。


僅かに香るラベンダーの香りに包まれて、視界を塞がれた分、彼女の舌の動きがより鮮烈に感じられる。


数分後、頬に優しく添えられた温かな手と共に、彼女の匂いが離れていく。


「・・申し訳ありません。

何かいちじるしい勘違いをなさっておいででしたので、こうした方が、より私の気持ちをお伝えできると思いまして。

・・あなたを軽蔑するなんて、とんでもありません。

私はいつも、和馬様に感謝しています。

どんな時でもあなた様に恥じない自分でいようと、必死に己を磨き上げている最中なのです。

あなた様の、和馬様だけの女でありたい。

それは私の本心です。

ですが、和馬様には既に沢山の、魅力に溢れた女性達がいる。

ですから私は、あなた様の陰の女としてお仕えしようと、ああ述べたに過ぎません」


やっと目元を覆っていたタオルが取り除かれる。


「・・吉永さんが、そうお思いになってくれていて、とても嬉しいです。

ですが、僕には既に将来を約束した相手がおりますので・・」


「美冬さんですよね」


「はい」


「今から話す事は、彼女には内緒でお願いします。

・・先日、美冬さんがこの店にいらした際、施術を行っていた私に言ったのです。

『もし和馬に気があるのなら、どうか私達と一緒に支えてやって欲しいの』、と。

驚く私に、彼女はこう続けました。

『和馬には、未だに忘れられない辛い過去がある。そしてその過去からは、どうやら逃れることはできないみたいなの。普段はあんなに優しいのに、一度ひとたびそのトラウマが発動すると、まるで人が変わったようになる。自分の大事な者を護るためなら、他の事は一切考えなくなるの』

正直な所、何を言われているのか分りませんでした。

彼女は更に続けました。

『そうなってしまった時、暗闇の中で、虚ろな目をした和馬を元の状態に戻せるのは、彼が心から大事にしている、親しい私達しかいないの。だからあなたの手も借りたい』と。

私には、和馬様にそこまで思われている自信は、まだありません。

お優しい和馬様が、困窮していた私に手を差し伸べてくださっているだけ。

そう思い込もうとしていました。

ですが、もしそうでないなら、私は幾らでもあなたにお仕えします。

微力ではありますが、和馬様をお支えする一員としてお役に立ちたい。

・・いつまでもお待ちしています。

私が必要であれば、遠慮なくご希望を仰ってください」


「・・本当にそんな我儘を言っても良いんですか?」


「はい」


「後悔しませんね?」


「勿論です」


「ではこれから、お店の定休日に、2、3時間でも構わないので僕とダンジョンに入ってください。

僕の不安を取り除くため、吉永さんにも身体を強化して貰います。

・・お父様の件がありますが、大丈夫ですか?」


「頑張ります」


「有り難うございます。

吉永さんのやる気が増すかは分りませんが、取って置きの情報をお教えしますね。

仲間内以外では秘密にしてください。

・・ダンジョンで能力値を上げ続けると、老化が止まるんです」


「!!!」


「それから、お引っ越しのご希望日を、決まり次第お知らせください。

見られたくない物を終う以外は、何もなさらなくて結構です。

全部やってくれる業者さんをお送りしますので」

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