第35話
4月8日、日曜日、22時45分。
「明日から美冬も高3だね。
クラス替えとかあるの?」
「ないよ。
2年の時と同じクラス」
神奈川のダンジョンで美冬の能力値を上げていた時、それは起きた。
「!!!」
頭の中に、ある映像が浮かんで来る。
「どうしたの?」
夜、物陰で刃物を持った男が、俺のよく知っている建物の側で、誰かを待っている。
そこに近付いて来る、車のランプ。
その車種とナンバーが映った瞬間、その映像が途切れる。
いきなり誰かに抱き付かれた。
無言で、力一杯抱き締めてくる。
視線を向けると、美冬だった。
「・・・」
数分後、彼女が恐る恐る抱擁を解く。
俺の顔をじっと見てから、強張った口を開いた。
「帰りましょう」
俺の手を強く握り、そう促す。
ほとんど何も考える事なく、それに従う。
家の側の入り口付近まで転移して、そこから無言で歩き、自宅に着くと、彼女は直ぐに俺を浴室まで連れて行き、浴槽に湯を溜めている間、自分の服を脱ぎ、そして俺の服を脱がせた。
熱いシャワーを浴びている間、美冬はずっと俺を抱き締め、浴槽に湯が溜まると、腕を引っ張ってそこに入らせる。
お互いが湯に浸かると、俺の頭を自らの胸の中に抱えて、じっとしたまま動かない。
どれくらい時間が経っただろうか。
汗ばんだ彼女の胸から出る良い香りが、俺の
そして今度は、唇を自身のそれで塞いできた。
舌が強引に入り込んできて、慣れない動きで丹念に口内を
そうしながら、やがて彼女は涙を流し始めた。
温かなその雫が顔に掛かり、じわりと俺の心の時を動かしていく。
一方的だった、彼女の舌の動きに応えるだけのゆとりが生まれる。
「・・御免な。
もう大丈夫だ」
美冬の息が荒くなり、その身体にこれまでとは異なる熱を帯び始めた頃、彼女の後頭部を優しく撫でながら、唇を離す。
「・・良かった。
やっと戻って来た。
どうして良いか分らなくて、必死だったの」
大粒の涙をぼろぼろ溢しながら、抱き付いてくる。
その背中にしっかりと腕を回し、彼女の大きな胸が潰れるくらいに抱き返した。
「怖かった。
突然君が無表情になって、瞳から生気が消えていった。
『分析』を使ったら、黒のゲージが振り切れそうで・・。
このままでは大変な事になる。
でも、一体どうしたら良いか分らなくて・・」
しゃくり上げながら、どうにかそれだけを伝えてくる。
「・・・」
その後、美冬が泣き止むまでずっと彼女を抱き締めて、風呂から出た後は、彼女の要望で、俺の部屋で一緒に寝た。
勿論、何もしない。
ただ肩を寄せ合って、お互いの体温を感じているだけだ。
「・・一体何があったの?」
「ん?
・・僕の能力には、『未来視』というものがあるんだ。
あの時、初めてそれが見えた。
詳しくは話せないが、僕の大事な人を傷つけようとする馬鹿がいたんだ。
だから・・」
「その人は大丈夫なんだよね?」
俺の大事な人と言うからには、自分の知り合いである可能性が高い。
美冬が不安な顔をするのも当然だ。
「当たり前だろ。
『未来視』は、少なくとも数日先の出来事を警告してくる。
僕が絶対にそんな事はさせない。
安心して良いよ」
「うん」
「でもさ、僕、そこまで危ない感じだった?」
「そんな言葉では表現できない。
善悪を示すゲージが黒一色になろうとした時は、世界が滅亡するかもしれないと思った。
だって、それだけ憎悪を
「ははっ、
「君はあの時の自分の顔を見ていないからそう言えるの。
私、呼吸が止まりそうだった」
「・・迷惑をかけて御免」
「迷惑だなんて思ってない。
そんな悲しい事を言わないで。
私は君の親友で心の友、将来の伴侶。
何があっても、どんな時でも私は君の味方。
和馬だけの味方。
私になら、何をしても良い。
どんな顔を見せても大丈夫。
私は決して君の側を離れないから」
俺は彼女に背を向けて、泣き顔を見せまいとする。
そんな俺を、美冬が後ろから抱き締めてくる。
「今夜はこのまま寝よう。
フフッ、大きな抱き枕が手に入った」
その夜、俺は懐かしい夢を見た。
まだほんの小さな子供だった頃、母に抱かれながら子守唄を歌われていた、幸せな当時の夢を。
4月10日、火曜日、21時10分。
「早く帰って来い。
生意気な奴め。
弁護士だか何だか知らねえが、俺とあいつの事にいちいち口を挿みやがって。
ぶっ殺してやる」
神泉にある、片瀬法律事務所付近の駐車場の陰に隠れて、その男は小声で悪態を吐いていた。
右手には、果物ナイフを持っている。
現在理沙が受けている、DV被害に関する依頼人の夫だった。
別居しても
何度も警察から警告を受けはしたが、所詮警察は民事不介入。
実際に刑事事件に発展するまでは手を出してこない事を、この男はよく理解していた。
なのに、ある日突然妻の弁護人を名乗る女がしゃしゃり出て来て、彼にはよく理解できない事ばかり言ってくる。
挙句の果てに、妻を何処かに
許せない。
妻の代わりにぶっ殺す。
育ちの悪い低能特有の
「あのさ、そこで何やってんの?」
イライラしていた自分に、誰かが声をかけてくる。
よく見ると、背は高いがまだ10代のガキだった。
「アアッ!?
てめえには関係ねえだろ?」
「あんた馬鹿なの?
暗闇でナイフ持ってる奴を、見過ごすとでも思ってんの?
最近の貧民は、お金だけじゃなくて、常識すら持ってないの?」
「何だとてめえ!」
「弱い女性にしか虚勢を張れないごみが粋がるなよ。
それに、低能だから語彙が貧困なのか、貧民だから語彙すら持たないのか、どっちなんだ?」
「死ね!」
俺の突き出したナイフを難なく避けたガキは、『正当防衛ね』と言いながら、腹に拳を突き入れた。
「おい、いい加減に起きろよ」
いつまでも気を失っている男に、俺は
「うあっ」
間抜けな声を出しながら、男が目を覚ます。
「てめえはさっきの!
・・ここは何処だ?」
自分の居る場所が、先程の駐車場ではない事に気付く男。
「ダンジョンの中に入ったことないのか?」
「ダンジョン!?」
「ここは凄く良い所だぞ。
何せ無法地帯だ。
人を殺しても、罪にならない」
「ひっ!」
俺が男に向けた目を見て、そいつが
「お前のナイフさ、安物の金属製だから、ここに持ち込めなかったぞ?
どうやって俺と戦うんだ?」
そう言いながら、愛用の長剣を取り出した。
「う、うわあーっ!」
馬鹿だから、周囲をよく確認もせずに逃げ出す。
『隠密』を用いて男をダンジョン内まで連れ込んだ後、一時的にパーティーを組んで、転移でロシアまで跳んで来た。
意識がない相手なら、本人の承諾なしに仮のパーティーが組めるのだ。
男が逃げた直ぐ先には、魔宝石1万円クラスの魔物が複数いる。
案の定、奴の悲鳴が聞こえてきたが、あっという間に静かになる。
「さて、それじゃあ俺も探索に戻るか。
あいつのせいで、かなり時間を食ったしな」
その日は気分転換も兼ねて、宝箱回収は程々に、魔物を狩りまくった。
翌朝7時に俺が帰宅すると、歯を磨き終えた美冬が顔を出す。
「おかえり。
・・どうやら済んだみたいね」
俺の顔を見るなり、ほっとしたように笑う。
「・・何かお礼するよ。
今回、美冬には大分迷惑を掛けたからさ」
「あ、また言った。
君ってさ、家族も所詮は他人の集まりだと考えてるの?」
「そんな訳ないだろ!」
つい口調がきつくなってしまった。
「だったら私を家族だと思ってないの?」
「それも違う」
「なら、今後はそんな事気にしないで。
私だって、君に沢山助けて貰ってるんだよ?」
「・・有り難う」
「そう。
その言葉だけで良いの」
それから数日、俺はどうやって理沙さんをダンジョン探索に引き入れるかで悩んでいた。
今回の件で、やはり彼女自身も多少は強くなっていた方が良いと実感したからだ。
なのにその悩みは、思いも寄らなかった理由で、実にあっさりと解決した。
仕事の後、俺に相談があると家に来た理沙さんが、こう言ったのだ。
「今度から私も、暇な時に少しずつダンジョンに入るから、手伝ってくれない?」
「喜んでお手伝いします。
でも、一体どういう風の吹きまわしですか?
これまでずっと嫌がっていたのに・・」
「・・美保がね、時々、意地悪で憎たらしいの。
私がもう駄目って言っているのに、それでも執拗に攻めてくるの。
私のことを虐めて楽しんでるのよ。
だから私もダンジョンで強くなって、彼女に仕返ししてやろうと思って」
「・・それってつまり、そういう場面のお話なんですか?」
「・・ええ。
夜の営みのね」
「・・・」
「だって悔しいんだもの。
・・こんな理由じゃ駄目?」
「いえ、別に構わないですけど・・」
まあ、お二人の仲が良いに越した事は無いよな。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます