第4話
私の名前を叫びながら、隣の奥さんが家に飛び込んできたのは、夕食の支度をはじめようとしていた時だった。
「大変だよ!恵子ちゃんが!」
青ざめた奥さんの顔。一気に湧き上がってくる不安に言葉が出てこなかった。そして実際に聞いても頭に入ってこなかった。
呆然と立ち尽くす私の名前を奥さんが何度も呼んでいたのは覚えている。
だいたいの流れはこうだ。
やはりというかお店で友達と会った恵子は、買い物をした後、友達と遊びながらあるいていた。
その途中で猫を見かけたという。友達とその猫を追いかけているうちに、足を滑らせ用水路に落ちてしまった。
ここ数日の雨で増水していた用水路で恵子はあっという間に流されてしまった。残された友達はどうしていいのかわからず、ただ泣いていたという。
少ししてから通りかかった人に声を掛けられ、恵子の事を話したそうだ。
その時点で、恵子が流されてからどのくらいの時間がたっていたのかも分からなかった。
「今ね、消防団や警察で恵子ちゃんをさがしているのよ」
そうしている間に話を聞いたのか、近所の人がどんどん集まってきて大騒ぎを始めた。
正直言って田舎の嫌なところだ。あの日、集まってきた人の中で本気で恵子の事を心配していたのは何人いたのだろうか。最初に来てくれた隣の奥さんや、恵子の同級生の親たちは別だろうけれど。
誰が連絡したのか、主人もいつもより早く帰ってきていたし、寝ていた貴子もいつの間にか起きていて大勢の大人たちにおびえていた。
「どういうことなんだ」
しがみついてきた貴子を抱き上げ夫は私に尋ねてきた。あらましを説明しても、夫は恵子を一人で出かけさせたことを責めたりはしてこなかった。あの当時は珍しくないことだったから。
いや、それは言い訳かもしれない。私が罪悪感から逃れるための。
恵子が見つかったと連絡があったのは、それから何時間後だったのか。
風邪気味の貴子を隣の奥さんに預けて、夫と共に病院へ向かった。
それからのことはよく覚えていない。
恵子の死を告げられたこと。運ばれてきたときにはすでに、手の施しようがなかったと説明されたような記憶はある。
親戚などに連絡して、慌ただしく葬儀の準備をして悲しむ暇もなかった。
何でこんなことになったのか、考える余裕もなかった。ただ、ただ、目の前のことを必死にこなしていただけだった。
葬儀が終わって静かになった家で初めて、恵子がいなくなったことを実感したのだった。
三人だけの食卓が寂しく感じられ、主人との会話も少なくなっていった。
それが貴子を傷つけていたのにもきづけなかった。
貴子はあの日、自分が熱を出したせいで姉が一人で出かけなければいけなくなり、そのせいで死んだのだとずっと思っていたようだった。
「お母さんとお父さんはお姉ちゃんだけが大事だったんでしょ!」
貴子は高校卒業後、すぐに家を出て行ってしまった。
家を出ていくその日に貴子に言われた言葉だった。会話のない毎日がつらかったと。恵子の命日に毎回、あんたが熱を出して一緒に買い物にいけなかったせいでと言われたのも苦しかったと。
それ以来、恵子は顔を見せることはなかった。今も何しているか分からない。私たちの無神経な言動がそうさせてしまったのだと、いまは謝るしかない。
なにかにつけて恵子がいてくれたら…と貴子に行ってしまっていたのは事実なのだから。
主人も20年前に亡くなって私は今一人。
貴子は幸せにしているだろうか、恵子が生きていたらどんなふうになっているだろう。そんなことを毎日考えていた時に、この子が現れた。
一目見てわかった。 この子は恵子の生まれ変わりだって。 なぜだかは分からない。でも、胸がざわついてしかたがないのだ。
見た目は今時の子らしく、ぱっちりした大きな目が可愛らしくて恵子とは似てもいないのだけれど。
この子、日奈ちゃんは私の話なんて信じてくれないだろう。きっと私の思い込みだと思っているに違いない。
それでも私の長話に嫌な顔をせずに付き合ってくれている。 やっぱり優しい子なのだ。
思い込みと思われてもいい。
生まれ変わった恵子が幸せに生きていてくれるのなら。ご両親も優しい人たちのようだし。もうじき東京の大学に行くと言っていた。
どうか恵子の時にできなかったことを、今の人生で実現していった欲しいと私は心から思った。
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