第2話 言葉遣いが怪しい令嬢

 俺は奇妙な姿をした少女へ問い掛ける。 


「お前は誰だ? その格好は? コスプレか?」

「シオン様?」



 少女は俺を窺うように見つめて、『シオン様』と呼んだ。

 何を言っているんだろうか、こいつは?

 それともシオン様と呼ばれた奴がすぐ近くに?

 俺はぼやける視界をはっきりさせるために何度かまばたきをしてから辺りを見回す。



「なっ!?」


 靄掛もやかかっていた視界が開けると、周囲の状況は一変していた。

 俺は寒々とした灰色のコンクリートに挟まれたビルの隙間に身を隠していたはず。

 しかし、いま俺の瞳に映っているのは、暖かな新緑の森に囲まれた崖下。

 柔らかな草が覆いつくす地面。

 肌を優しく包み込む春の日差し。


「おいおい、どうなってやがんだ、こいつはっ?」

「あの、シオン様……?」


 再び、耳のとんがったメイドの少女からシオン様と呼ぶ声を聞いた。

「お前、さっきから誰のことを言ってるんだ?」

「え? 誰って……その……」


 メイドは震える指先を俺へ向けた。

 その意味がわからず、今度は俺がメイドへ指先を向けて、さらに疑問を重ねようとしたところで、異変に気付く。



「お前は一体何を――って、この指……女?」


 指先が異様に白く、細い。

 いや、指だけじゃない。手首も細く、弱弱しい。

 俺は瞳を動かして自身の体を観察する。

 青で統一されたドレス。

 多様なフリルがあり、きめ細やかな刺繍まである。

 そして、俺には絶対あり得ない、二つのふくらみ……。

 

 そいつを右手で触れて、そっと握る。

「柔らかい。胸? 女? どういうことだ!? おい、お前! いったい何があったんだ!?」

「あの、覚えて……いらっしゃらないのですか?」

「ああ、状況がよくわかんねぇから尋ねているんだよ!!」

「えっと、その……シオン様は……あそこの崖から……」



 メイドはたどたどしく言葉を漏らし、指先を崖上に向けた。

 それはちょうど俺の真上。

 彼女の動作と反応。そして、今いる場所から一部だけだがなんとなく理解ができた。


「崖から落ちたってことか?」

 この問いにメイドの少女は一瞬眉をひそめる。そして、軽く首を捻って何か考え事をする素振りを見せたが、それもまた一瞬の間で言葉を返してくる。


「…………はい。シオンお嬢様、本当に何も?」

「ああ、全然わからねぇ。そもそも、なんで女の姿でお前からお嬢様呼ばわりされてるのかも……」



――ここで、靄の少女の言葉が頭を過ぎる。


『あなたの命を救えます。私の全てを託すことで』


 この言葉……つまり、俺は依頼を受けることと引き換えに、シオンと名乗るお嬢様の肉体を得たというわけか?

 お嬢様の方は自分の命を犠牲にすることで、俺に復讐とやらを依頼することができた……ということだろうか?



 あり得ない――だが、現実に起こっちまったことを否定しても仕方がない。


(なんてこった。こんなことが起こるなんてな。しかしよ、『命を救えます』が俺の肉体じゃなくて他人の体かよ! いや、不満をぶつけても意味がない。今は命があるだけ良しとしよう)



 気を取り直してメイドへ話しかける。

「なんとなく状況は掴めた。さっきも尋ねたが、俺は崖から落ちたんだな? それは事故か?」

「えっと……」


 メイドの瞳が泳ぐ。この様子は……?

「もしかして、自ら飛び降りたのか?」

「あ、そ、その……」


 言い淀み、泳いでいた瞳が忙しない動きを見せ始めた。どうやら当たりのようだ。

 つまり、俺は高い崖から飛び降りたのに無傷でいるわけだ。

 彼女から見ればパニックに陥って当然。俺もまた今の状況に混乱しているが、とりあえず話を進めることにする。

「とにかく、俺は崖から落ちて、心配したお前がここへやってきた。そうだな?」

「は、はい」

 


 メイドの少女は何度も崖上と俺をチラ見する。

 崖の高さは50m以上。そこから飛び降りて無傷ってのは驚くだろう。

 しかし、容態はというと、多少背中に痛みが残っているだけで騒ぐほどではない。


「よし、少し落ち着いてきたぞ。だが、これからどうするか?」

「あの、ひとまず、お屋敷にお戻りになり、専属医師のマーシャル先生に診てもらっては?」

「医者か。それも悪くない。そのお屋敷ってのは俺の?」


「ええ、そうですが――ハッ!? シオンお嬢様、私の後ろへ!」



 突然、メイドは身構えて森の茂みを睨みつけた。

 するとそこから、頭に一本角を付けた大型な野犬のようなものが五匹も出てくる。


(なんだ、あの動物は? 犬のようだが犬じゃない。くそ、油断していたとはいえ獣の殺気も察知できないとは情けねぇ。だが……)



 メイドの少女の勘はとても鋭いようで、いち早くそれを察知し、拳を構えて臨戦態勢を取っている。

「すぐに追い払いますから、シオンお嬢様は動かないでくださいね」

「ああ。しかし、お前ひとりで大丈夫か?」

「問題ありません。すぐに終わりますから――」


 そう言葉を終えると、次の瞬間には目の前に立っていたメイドの姿が消えて、野犬もどきの一匹の前に現われる。

 そして、野犬の首筋を片手で掴むとそのまま森の茂みへと放り投げた。

 その動きに俺は絶句する。


(な、なんてスピードだ! こいつは達人マスタークラスの動きじゃねぇか!)



 殺し屋だった俺はいわゆる達人と言われる連中を何度も見てきた。

 このメイド、見た目は少女でありながら地球で達人と呼ばれる連中に匹敵する動きを見せる。


 残った野犬たちが怯むことなくメイドへ襲い掛かろうとするが相手にならない。

 メイド少女は残った野犬も最初の一匹同様、首筋を掴んで森の茂みにポイポイっと投げ捨てていった。


「ふう、あの子たち、あまりお腹が減ってなかったようですね。おかげで追い払うだけで済みました。できるだけ命は奪いたくないから」

 メイドは一仕事終えたとばかりに両手をパンパンと叩いてこちらへ振り向く。


「シオンお嬢様、大丈夫ですか?」

「シオン? ああ、俺のことか。こちらは問題なしだ。しかし驚いたな、強いんだな、お前」

「一応、護衛の任も任されてますから……あの、シオンお嬢様。一つよろしいでしょうか?」

「ん、なんだ?」


「やはり、どこか具合が悪いのでは? 先程から雰囲気も言葉遣いも……その、荒いですし」

「荒い、だと?」

「あ、その、申し訳ございません。メイドの分際でお嬢様に物申すなど!!」



 つい先ほどまで圧倒的な強さを見せていたメイドの少女が、体全身を震わせて怯えた様子を見せる。 

 この様子からして、シオンという存在はこれほどの強者を屈服させることのできる立場であり、このどこだかわからない世界は相当な身分差別があると見える。

 しかし、俺はそんなもんに興味がないので、彼女へなるべく柔らかな言葉を渡す。


「いや、別に怒っていない。そうだな、俺が妙なのは~」

 崖上をちらり。

(ベタだが、落ちたショックで記憶喪失でいいか)


「どうやら、崖から落ちたショックで記憶を失ってしまったようだ」

「え!?」

「それと、言葉遣いだが……変か?」

「はい、まぁ……」



 たしかに、お嬢様姿で荒くたいおっさん口調だと誰もが驚くだろう。

 この姿に合わせて口調をお嬢様に変えなければ……とは言っても、お嬢様言葉なんぞ全然わからねぇ。

 ともかく、ですわよとでも言ってればいいだろ。


「ゴホン、わかったわ。言葉遣いを改めましょう。ともかく、お屋敷へ戻るとしましょうか? どう、この言葉遣いならば、問題ありませんわよね?」

「はい、先程から比べれば……」

「ふふ、それは良かったわ」

「では、シオンお嬢様。今からお屋敷へお戻りに?」


 殺し屋の俺は、いえ、令嬢であるわたくしは可憐なお嬢様言葉でこう返す。


「ええ、そうわよ」

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