殺し屋令嬢の伯爵家乗っ取り計画~殺し屋は令嬢に転生するも言葉遣いがわからない~

雪野湯

第一幕

第1話 令嬢からの復讐依頼

 灰色の高い壁に挟まれた隙間に浮かぶ、灰色の空を見上げる。

 乾いた瞳にふわりふわりと揺らめき映る綿雪わたゆき

 真っ白な雪は地面に触れると深紅を吸い上げて溶け消えていく。


 体に残るかすかな熱を無慈悲に奪う、冷たく薄汚れた路地の壁に背を預け、俺は右腹部へ瞳を寄せた。

 止め処なく流れる血はほのかに湯気を纏い、降り積もる雪に染みる。


「あ……こりゃ、駄目だな。まったく、素人がでたらめに撃った銃弾に当たるなんて。やはり、二年前に引退しておくべきだったか」



 二年前、四十になる手前で俺は殺し屋として急激な衰えを感じていた。

 そうだというのに、世話になった組織の幹部の頼みを断れず、ここまでずるずると。

「はぁ、裏の世界に生きる人間が義理立てなんかするもんじゃねぇな」


 虚ろな瞳で血の装飾に濡れた手を見つめる。

「ま、殺し屋稼業なんて終わりはこんなもんか。いや、二流の殺し屋にしては長生きできた方か」


 十三のガキの頃に義理の親父をぶっ殺してから、気が付けばこんな世界に……。

 血と悲鳴と硝煙に彩られた世界――それでも、意外と悪くない人生だったと言える。


「美味い飯は食えてた。上等な女も飽くほど抱いた。後悔があるとしたら、最後が素人の手ってのがなぁ。はは、二流らしい死に様か…………」


 視界が霞み始めた。

 そろそろ死ぬらしい。

(さて、地獄ってのはどんな場所かね? フフ、案外この世ここと似たようなもんかもな)




 視界が黒に染まり、耳から音が消える――いや、誰かの声が聞こえる。

 こいつは、女の声!?


「あなたに、託したい……」

「誰だ?」


 一度は閉じられたまぶたを再び開き、黒に染まったはずの世界を見つめる。

 世界はやはり黒。

 その黒の中に白いもやが浮かんでいる。

 そいつを乾き切った瞳で凝視する。


 もやは少女の形をしていた。

 見目は十五前後。絢爛なドレスを纏い、髪は長い。

 目鼻立ちは整っており、なかなかの美人だが……死の匂いがする。

 あの世からのお迎えか? それとも死の間際の幻か?

 しかし、少女からは死の匂いと絡み合うように命の匂いもまた漂う。匂いの種類は負け犬と絶望と……狂気。

 なんとも気の滅入る匂いだ。



 もう一度、俺は幻に問い掛ける。

「誰だ?」

「うん、道具の効果はばっちり。あの、依頼をしたい。心の強いあなたに私の願いを託したい」

「依頼?」

「私の、私の……私の復讐をあなたに託したい!」

「復讐? なんだかよくわからねぇが、見ての通り、バーゲンもねぇクソッたれな閉店間際なんだ。出血だけは大サービス中だがな」

「え……あ、今のは冗談だったんですね!? 気が付きませんでした」

「こ、こいつ。幻の分際で!」



 黒の世界でもはらわたからは絶えず温もりが抜け落ち続ける。

 痛みだって感じている。

 さっさとこの痛みから解放されたいってのに、下らねぇ幻を見る始末。

(やはり、引退するべきだったな。はは、無様すぎる)


 腹の中で自分をせせら笑い、これ以上靄の少女を相手にすることをやめようとした。しかし、少女は幻の分際でなかなか魅力的な提案をしてくる。


「依頼を受けてくだされば、あなたの命を救えます。私の全てを託すことで」

「命を? は、面白いこと言ってくれるねぇ。ほんとに命が助かるんなら、てめえの依頼ってやつを受けてもいいぜ」

「本当ですか!? ありがとうございます!! では、契約成立ですね!!」



 靄の少女が手を伸ばし、俺の頬に触れた。

 その途端、黒の視界が白に染まり、激しいめまいが襲う。


「うっ、なんだ!?」

「依頼を受けてくれて、ありがとう。私の復讐をあなたに託します。私には、あなたのような心の強い方の力が必要。弱い私では、届かないから……」

「おい、俺に何をした? 何が起こっている? 復讐と言ったが、その内容は? 相手は誰――ぐわっ!?」




 白い光が全身を貫き、内臓の底が抜け落ちたかのような異様な浮遊感を覚える。

 だが、次には急激な重さを感じ、何か柔らかな場所で仰向けに横たわっている感覚が背中に伝わった。

(グッ、一体何が?)


 指先をピクリと動かす。

 伝わる感触は、雪の降り積もった冷たいコンクリートではなく、土と草と暖かな日差し。

 鼻腔に纏わりつく匂いもまた土と草。そして、冷めきった体を優しくくるむ太陽の温もり。

 

 その土と草をそろりそろりと踏みしめて、誰かが近づいてくる。

 敵か――?


 俺は痛みにまみれる体に鞭を打ち、無理やりまぶたを開けて、両手で地面を押し、なんとか上半身を起こすことに成功した。

 痛みが背中に走る。

(なんだ? 撃たれたのは腹部なのに背中が?)



「う、嘘、シオン様……?」

「だ、誰だ!?」


 声が聞こえてきた方へ顔を向ける。

 視界はまだはっきりとせずぼやけていたが、俺の前に立つ少女の姿だけは何となく捉えることができた。

 少女は黒のワンピース姿に白のエプロンを着用をしているクラシカルなメイド服の姿。

 身長は低く、140cmもないだろう。褐色の肌と癖っ毛のある長めの黒髪と黄金の瞳。

 幼い顔立ちからは怯えが見えて……耳はとんがっている?


 

 妙な格好と妙な耳を持つ少女。

 そいつが覗き見るように横たわる俺を見つめていた。

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