第2話 旧式 幸せメーター

銀行員の女性は、俺の質問には答えてはくれず、

「上着や靴を脱いでリラックスして頂いていいですからね。」と微笑んだ。


疲れ切った足は、さっきから革靴の中で悲鳴をあげていたんだ。

「じゃあ、お言葉に甘えて。」

革靴の紐を解き、ムレた靴を「匂いそうだ」と思いながらも、

ゆっくり脱ぎ始めると、女性は、微笑んだ表情のままで話し始めた。


「三浦様が現在ご利用になられている

『旧式 掛け流し 幸せメーター』の説明からさせていただきますね。

こちらをご覧ください。」と、右手を俺の目のかざした。

一瞬にして、目が開けていられないほどの強い光が、

手のひらから放射線状に広がった。


今までいたオフィスの跡形はなく、

天井も床も壁も、一面真っ白な部屋に変わり、

部屋の一角にポツンと寂しそうに置かれていたのは、ウチの浴槽。

そして、なぜか、俺は裸で、風呂に浸かっている。


この理解不能な状況にも、全く動揺していないのは、なぜだろう。

蛇口からは、勢いよくお湯がザーッと、大量に出続けているのだが、

浴槽は、一向に満たされる様子はない。


湯量を測るものなのか、

車のガソリンメーターのようなものが浴槽の淵に置かれている。

固定された針の下の部分を軸に、針が扇状に動く。

左が「空」、右は「満タン」を示す、典型的なメーターだ。

これは、俺の風呂にはついてない。やはり、ここは、俺の家の風呂ではないのか。


女性は、浴槽の横に膝立ちになり、

タバコの箱サイズのメーターを右手で持ち上げ、左手を下に添えた。

「こちらが『幸せメーター』です。

これは、浴槽にたまる水量を計り、同時にあなたの『幸福度数』を示しています。

水量が空になる程、不幸と感じ、

いっぱいになる程、幸せと感じているという事です。

お風呂好きの三浦様には、私の言っている意味がお分かりですよね。

肩までゆっくりと浸かるお風呂は、最高のリラックスと幸福感を感じます。


このメーターで測っている幸福度数は、『世間的な価値』を基準に決めています。

例えば、肩書き、地位、経歴、経済力、年齢、性別、人種、容姿、

最近で言うとSNSのフォローワー数などの物質的な物ですね。

えーっと、あとは、他人任せにしたあなたの価値、

評価などの『世間的な価値』です。

そんな、世間的に認められることも、お風呂のように幸福感に浸れますね。


お気づきにはなられましたでしょうか?

先ほどから、蛇口からは、大量のお湯が出続けているのに、

お湯が一向に、いっぱいになる気配が、ありませんね。

それは、掛け流しですので、浴槽の栓が抜けたまま、

と言いますか、栓が元から付いていません。

ということは、結果を出し、「あなたは、素晴らしい」と評価され続ければ、

お湯は蛇口から出続けますが、

反対に、結果を残せなければ、または、失敗してしまえば、

お湯は止まり、浴槽はすぐに空になってしまうのです。


この旧式のメリットは、「幸せ」「不幸せ」の二極しかないので、

とてもわかりやすい。誰からみてもわかりやすい。

あなたが思う『ポジティブな評価』で、大量のお湯がでる。

逆に、あなたが思う『ネガティブな評価』で、お湯は止まる。


だから、あなたが思う『ポジティブな評価』される事を、

世間の目を気にしながらやり続けたらいいだけのこと。

それだけです。シンプルですね。


デメリットは、浴槽が空にならないように、

常に、人の目、人からの評価を気にしながら、

ずっと頑張り続けなければいけないところです。

それも、同じ仕事をしてては、評価されませんからね。

さらに、「いいものを」「さらにいい仕事を」と

終わりなき努力を常にしなければお湯は出続けないところです。


このメーターは、

世間一般的に言われる幸せ像や、三浦様が勝手に作り上げた想像上の幸せ像、

その虚像にあなたの幸せの指針を無理やり合わせて、幸福度を測っています。

はっきり言って、勘違いメーターと呼んでもおかしくないですね。


このメーターを持ってると、

自分の価値、評価が自分の幸せに直結ですから、

他人が付けたクソみたいな価値でさえ捨てるのが怖くなるんです。

あ、、、、すいません。

昔を思い出して、つい。。。


もう何年も前に別れた夫のことなんですけどね。

『妻は主人より必ず早く起きて、

3品以上のおかずがある朝ごはんを作らなければ、妻としての価値がない。』

『ワイシャツにシワを残すようでは、妻としての価値がない。』

『主人の欲を満たさないのであれば、妻の価値がない。』


そんな、理不尽すぎる、妻としての価値。

バカみたいだけど、当時、私は、

「そんな価値しかなくても、せっかく私に付けてくれた価値を全うしなければ」と

思い込み、クソみたいな価値でさえ、捨てられずにいたんです。

あ、、、すいません。また口が悪くなってしまいました。

でも、私も彼に価値をつけていましたし、

私も彼も、価値をつけあうことが幸せであり、愛であると勘違いしていた訳です。


一つ勘違いして欲しくないのは、肩書き、学歴、世間的な地位、他人からの評価、

そういうこと自体が問題だと言っているわけではなくて、

それは、人生を生きる上で向上心につながると思うし、必要なことなんですよ。

だけど、それが、幸せと不幸に直結していることが問題だったんです。


ですから、今回、三浦様にご紹介したいのは、

最新式 循環『豊かな池』プランです。」


そういって、銀行員の女性が僕の目の前に左手を差し出すと、

また、一瞬にして眩しい光が広がった。


風呂に浸かっていたはずの俺は、また、どういうわけか、

スーツを着て、真っ白の部屋の真ん中に立っている。


『カコン』と部屋中に響きわてる音にビックリして、振り返ると

そこには、日本庭園でよく見かける、

石造の池と、名前はわからないが『カコン』と音を鳴らしながら

水を落とす竹があった。

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