幸せ貯金

横山佳美

第1話 人生のどん底

 息することさえ辛い。人生のどん底だ。

僕はどこに向かって歩いているのだろうか。

汚れ腐った飲み屋街の空気は、吸うと吐きそうだ。


今日は、金曜日。だったはず。。。

久しぶりに参加した会社の飲み会。つい飲みすぎてしまった。

こんなオッサンでも、一人で帰る俺を心配してくれるヤツがいるのにさ、

「酔いを覚ますために、歩いて帰るよ。」

「大丈夫、大丈夫。じゃぁ。」と、

全然、大丈夫じゃないのに、

優しさを拒んで、立ち去った数分前の俺を恨んでいる。


 グラン、グランと地面が波打つように揺れ、

どこに向かって歩いているのか、さっぱりわからない。

とりあえず、気持ちが悪い。どこかに座って休むべきだろうか。

いや、座ってしまったら、今夜はもう家には帰れないだろう。


神様は、俺を不幸のどん底に落として嘲笑ってでもいるのか。

自分が惨めで笑いが出てくるよ。


「は、は、はは、、、ひでーな。」


 3ヶ月前に母が亡くなった。

10年も続いた長い闘病生活は、母も俺も苛立ちのぶつけ合いで、

ただ優しく母を支えられなかった僕は、

あの強くて、優しい母の息子でいる価値がなかった。


苦しんでる母の姿を見ているのが辛かった。無力な自分が辛かった。

全ての痛みから解放されて、さっさと楽になった方が、

母は幸せなんじゃないかと思うことさえあった。

それでも、どんな状態でもいいから、やっぱり生きてて欲しかった。

元気になったら、旅行に行ったり、

好きなもの買ってあげたり、親孝行をもっとさせて欲しかった。


「孫の顔を見るまでは、死なないからね!早く彼女ぐらい作りなさいよ。」と

俺をからかう母の笑顔を思い出す。

孫も結婚相手も見せることが出来なくて、安心して死ねなかったんじゃないかな。

本当に、親不孝者だな。「すまん、母さん。」


それでも、仕事は頑張ってたよな?

俺が3歳の時に父と母は離婚して、母は女手一つで育ててくれた。

母が病気になって、働けなくなった母の代わりに医療費、生活費、

全て俺が世話をした。

「母さんは何も心配しなくていいから、体がよくなることだけを考えて。」と、

まだ21歳の俺が一丁前に『自立した立派な男』になろう決めた。


上司から認められるように、

残業も、理不尽な仕事も全て請け負って、がむしゃらに働いた。

働いて、働いて、働くことで承認欲求を満たしていたし、

俺の存在価値は、仕事の結果が教えてくれていた。


それなのに、母を亡くし働く理由を失った俺は、

張り詰めた糸がプッツンと途切れたように、

働く意欲がなくなってしまったのだ。

会社に行くことが、とにかく辛くてしょうがない。


 周りを見渡せば、家庭や子供をもっている奴ら、

会社や事業を興した奴らばかりじゃないか。

どんどん次のステージに進み、自分なりの幸せを手に入れてる。

俺だって、会社の高い地位につけるように、

周りと争いながらも階段を一歩一歩登っていた。

だから何なんだ?その肩書きが手に入ったら、俺は幸せになれるか?


 毎日こんなにしんどい思いをしながら、

会社に行く事が本当に俺がしたいことなのか?

体調が悪くても気分が乗らなくても、

一生懸命に働くことが俺のしたいことなのか?


こんな人生でいいのか?

このまま生きている価値はあるのか?


どうしよう、母さん。不幸のループを抜け出せなくなっているよ。

あー、不幸だ。最後に幸せを感じたのは、いつだったかな。


こうやって、心の中で亡くなった母に話しかけるのが、俺の日常になっていた。


*****


「あー、疲れた。」

いくら歩いても家には着かない。一体、どこまで歩いて来てしまったのだろうか。

フラフラする体を電柱で休ませながら、ポケットからスマホを取り出した。


『午後11時59分』


飲み屋を出たのは、何時だったのだろう。

随分、長い時間歩いているような気がする。


「どこだ、ここ?」

革靴の音がどこまでも響き渡り、恐ろしいほどに静かな住宅街に来てしまった。

スマホの地図で居場所を確認しようとした、その時。

突然、背後からきた自転車が、右肩に豪快にぶつかってきた。


「痛って。」

体がグルンと180度スピンする。

自転車の奴は、俺に見向きもせずに、暗闇に消えていった。


「なんだ、あの奴、わざとぶつかりやがって。

人がいることが見えてなかったのか?」


手に持っていたスマホが数メートル先で、青白く光っている。

左手を右肩に置き、首をぐるっと回しながら、

スマホを取りに行き、拾い上げると、

何件か先に、火の灯った赤い提灯が、道路沿いに吊るされていた。


「こんなところに居酒屋でもあるのか?」


すっかり酔いが覚めた足取りで、スタスタと歩いていくと、

『幸せ銀行』と書かれた提灯がぶら下がっていた。

その奥には、こんな住宅街には似合わない、ガラス張りのオフィスがあった。

店内の電気は、煌々とついており、オフィスの中は外から丸見えだ。

こんな夜中だというのに、数人の客がいる。

客の間は、パーテーションで仕切られていて、

それぞれ、銀行員の女性と向かい合うように座って話していた。


母が残したわずかな財産をどうするべきか悩んでいたし、

僕は怪しさを全く疑うことなく店内に入っていった。


「いらっしゃいませ、こちらにお掛けください」と、

机の向こう側にいた女性が立ち上がり、彼女の目の前の席をさした。


女性は、僕が座るとすぐにパンフレットを目の前に置き、こういった。

「幸せ銀行にお越しくださいまして、ありがとうございます。

えーっと、三浦 遼太郎様は、

現在こちらの、旧式、掛け流し『幸せメーター』をご利用になられていますね。」と

パンフレットをトントンと人差し指で叩いた。

まだ酔っ払っているのだろうか?それとも、夢を見ているのだろうか?

全く理解できない。それなのに、

「なんで、僕の名前知ってるんですか?」とつい口走ってしまった。


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