第4話  巨王

 山脈の西にある山々の中で一番高く、頂上に一際大きい杉の木が生えた山。


 狼たちの領域から見えたから、すぐに着くものとばかり思っていたが……私らしくもないな。距離感を見誤るとは。

 一週間歩いてようやく、とは……。


 それほど、その杉の木が大きかったのだ。


 ……そもそも、あれは杉なのか?

 杉はいろんな世界に存在する代表的な針葉樹だし、この世界でも確認済みだ。

 見た目は確かに、杉そのものだが…………。




 その杉の木の麓に、私は一匹の狼を伴って来ていた。


『東からのお客人……何をしになさった?』


 杉の木に寄りかかって座っていたのは、杉が普通サイズに見えるほどの巨大な猿だった。座っていても、高さは優に三メートルを超えている。

 手足が異常に長く、体は茶色と白色の毛皮に覆われていた。


 杉の木には、人の背丈ほどの猿が、何十匹とぶら下がっていた。

 目の前の巨大猿……巨王を何重周りも小さくしたようなものだった。眷属だろう。


 巨王は落ち着いた声で話しかけてきた。

 銀狼と違い、声にあまり魔力が乗っていない。だが、かろうじて乗っているおかげで、言語は理解できる。器用だな。

 巨王との会話で、言語の基本は習得できそうだ。


『単刀直入に――』

『――ふむ。名を名乗るのが先だろう? 人の子よ?』

『失礼。しかし、私には名がない。故に名乗れないことを許してほしい』


 これまでの(記憶にある)九十六の人生では、名を付けられた。

 今世の私にも、名を与えられたはずだ。

 しかし、私はそれを――理解できていなかっただけかもしれないが――聞いていない。


『ふむ、であれば仕方がない。……で、用件はなんだ?』

『次回の隊商の護衛。それを私にやらせていただきたい』

『ほう……お前に得があるようには思えんが……』


 想定通りの質問だ。

 だが、問題プレゼンテーションはこれからだ。

 だが、この時点で成功率は八割とみていいだろう。巨王が、ヒトと同じ感性を持っていれば、だが。


『私は人の世に出たい。そのための第一段階に、私の存在を知らしめる必要がある。だからこそ、だ』

『ふむ。理解した。だが、お前が山賊相手に勝てるか? お前は生後十……? いや、もっと若いか? いや、老けて……?』


 ほう……。巨王は私の身体年齢と実年齢の差を漠然ながらも、感じ取ったようだ。精神年齢は六千年は超えているがな。

 六千割る九十六は……ちょうど六十二と二分の一。六十二歳半。

 強さゆえに生き永らえられたからな。平均寿命六十歳前後。うむ、そんなものか。


『ふむ。年は関係ないか。では、試練にお主が勝てば、次回の盗賊の相手は譲ろう』

『ほう……。試練とは? 何をすればいい?』

『ふふっ。我が配下五人と戦え』

『それは大分サービスしたな』

『ふっ。お主のようなちびの相手なぞ、これで十分だ』

『そうか。なら、更にルールを課そう。――私はここから一歩も動かない』


 私はここ……今立っているこの場から、一歩も動かない。

 これぐらいのハンデをやらねば、呆気なく終わってしまうからな。


『ほう。良いのか?』

『ああ、ここから私を一歩でも動かすことができたなら、そちらの勝ちで構わん。私が負けたら……好きにするといい』

『ふぅむ。なかなか興味深い。いいだろう。我らが勝利した暁には、お主を貰う。いいな?』

『好きにしろと言ったはずだ』

『ふむ……成ったな。お前たち、行け!』


 杉の木から、五匹の猿が下りてくる。

 それぞれ、枝を一本ずつ所持している。枝が魔力を帯びているな。ふむ……なるほど。

 この木は、魔力を含んだ木――魔樹か。


 この世界の魔樹は大したことがないものかと思っていたが、なかなか興味深い。

 木そのものは魔力を軽く帯びている低級品だが、樹から離れた枝に強い魔力が宿るとは。

 しかも、折れてもすぐに再生するのか。根城にされているだけのことはある。


『ふう……準備はいいか?』

『いつでも構わん』

『ふむ。では……やれ』


 五匹の猿は、枝を振り上げて迫って来た。

 とりあえず、これで様子見といこう。実験開始だ!


 私は手を叩く。

 そこに〈衝撃ショック〉の魔法を乗せる。魔力のある世界共通の、低級魔法だ。

 それだけに、威力は控えめだ。

 だが、私は全身全霊の魔力を込めてその魔法を放つ。


 しかし、これしきで吹っ飛ぶとはな。

 ふむ。骨も何本か折れたか。こいつらが特別脆いという可能性も考慮しておく必要がある、か。


『どうした? もう終いか?』


 そう煽ってやると、猿たちは再び向かってきた。

 しかし先ほどと比べ、その攻撃には……


『どうした? 何を迷っている? 殺す気で来い。このようにな!』


 私は再び手を叩いた。

 今度は猿たちの近くで爆発が起きた。魔法と呼ぶには惜しい、程度の低いものだ。

 

『……ふ~む……やめだ。お主の勝ちだ』


 巨王が敗北を宣言した。

 私の勝利か。さて、傷ぐらいは治してやろう……と言いたいが、治癒系魔法は世界毎に波長が大きく違う。

 こちらの世界での回復魔法を目にしない限り、治せない。


『傷を治してやりたいところだが、すまんな。私はこの世界の治癒系魔術を修めておらん』

『心配は無用だ。――〈治癒ヒール〉』


 巨王がそう唱えると、たちまちに猿たちの傷が癒えた。回復魔法か。

 なるほど。大体の波長は認識できた。

 あとは少しずつ試していけばいい。


『ふむ、では山賊の相手はお前に任せる。しかし、万が一を考慮し、配下を何人か付けさせる。いいな?』

『構わん。巻き込まれないように注意してくれたら、な。山賊は殺しても問題ないな?』

『ふぅ……。やつらは隙あらばこの樹を狙ってくる卑しい連中だ。構わん』

『契約成立だな』

『ふむ』


 私と巨王は握手を交わした。私の小さな手は、巨王の手の中に収まっているがな。

 同盟の証だ。


『それで、隊商が来るのはいつだ?』

『ふむ。――明日だ』


 巨王との一連の会話のおかげで、私は言語を(ある程度)習得した。

 会話には困らないだろう。足りていない単語は……まあ、造作もない。習わずとも、一を聞いて十、百、千と知ればいい。

 まったくのゼロからのスタートじゃないからな。今は素材が足りていないだけだ。




 …………明日!?




 

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