8話  産み月

多須奈たすなの女房、そろそろじゃねぇか」

「んだな」


 鞍作くらつくりの里では、みなが、いそいそと待ちわびている。

 多須奈たすなの嫁御の出産を。


「よっと」

 志乃布しのぶは大きくなった腹を抱えて、歩く。

 


 工房に行く。

 この頃では、工房の一角に志乃布しのぶの作業台が作ってあった。

 そこで、余った硝子ガラス玉をもらって適当に繋げて、志乃布は首飾りや腕飾りを作りはじめた。

 それを、とある貴人が、なびかぬ女に贈ったところ、めちゃくちゃ、〈いいね〉という反応をもらえたとかで噂が噂を呼び、志乃布しのぶが適当に繋げた硝子ガラス玉の組み合わせは、工房の皆が一目置くようになった。

 もう、志乃布を「醜女しこめ」「不細工」と侮る者は一人もいなかった。

ただ、老工人には「不細工さまさま」と拝まれている。


(復讐してやった。もはや、こいつら、おり(私)なしではいられん)

 志乃布は、にじゃりとほくそ笑んだ。


 それから、チェ式の強飯こわめしの炊き方も習って覚えた。

 かまどに胴長のこしきをかけ、半分くらい水を入れ沸かす。こしきには、かめをはめる。かめの底には穴二つが開けてある。ここから甕の中にある水が沸騰して蒸気が昇って来て、飯を蒸すという仕組みになっている。


 米が足りないときは、アワ、ムギ、ヒエ、大根、イモ、キノコ、ノビルを混ぜる。その配分も、女たちにほめてもらえた。男も子供も、うまいと食べてくれた。

 多須奈たすなも、おかわりをしてくれた。

 それで志乃布しのぶは生まれてはじめて、ここにいていいんだと思えた。



 そうして、はらの子は育っていく。

 しばらくすると、えずくこともなくなった。


 多須奈たすなとは、おだやかに暮らしている。

 職人気質な人で、黙々と工房で働いている。

 その他の時間は、仏の間で読経している。


「へその穴が広がった」

 他愛ないことを、一方的に志乃布しのぶがしゃべった。


「足まで手が、たわんようになった」

 次の日から多須奈たすなは、志乃布しのぶ草履ぞうりを履かせてくれた。


 眠るときは、二人、適度に間を空けて眠っている。

 それが続けば志乃布しのぶとしては、もう、きょうだいのような気持ちにもなろうというものだ。





 うそだ。




 いつも志乃布しのぶに背を向けて眠る多須奈たすな

 その背中を見つめ、志乃布しのぶは眠れない。

 ずっと、その背中を見つめている。


 ある夜。

 志乃布しのぶは多須奈の背に、にじり寄った。その背は、やはり木の香がした。

 多須奈たすなも眠ってはいなかった。ふりむかないままで言う。

「なんか、カン違いしてしまいそうなので――」

 そういうことはしないでくれ、というのであろう。

志乃布しのぶさんが慕っているのは、多須奈でしょう」


「……この、くそぽんこつ」

 志乃布しのぶは、その背に、ぐっと爪をたてた。

多須奈たすなに聞いてみればいい。おり(私)のこと、何て言ってくどいたか」




 それで、とてつもなく久しぶりに多須奈たすなは、多須奈たすなを呼び出した。

 目が覚める前だ。


「赤子が、もうすぐ産まれる」話しかけると、

「楽しみだなぁ」、もう一方の多須奈たすなは目を細めた。


志乃布しのぶさんを何て言って、くどいた? おまえ」


「――」

 答える気がないのかというぐらい、沈黙が開いた。

「ん-と」

 やっと。


多須奈たすなは臆病だし、出家するから、女は抱かない。だけど、オレも多須奈たすなにはちがいない。だから。ねぇ、オレごと愛してもらえねぇかって」


「……」


志乃布しのぶが慕ってんのは、最初から――」



 はっと、多須奈たすなは目を覚ました。

 夜が明ける時刻だった。

 隣りを見ると、寝ているはずの志乃布しのぶがいない。

 多須奈たすなは、あわてて工人長屋を出た。


 鞍作くらつくりの里の裏手に小川が流れている。

 当てずっぽにでも、そちらに行ってみると、果たして、川縁で行水している志乃布しのぶがいた。


 多須奈たすなの踏んだ砂利の音がして、志乃布しのぶがふりかえった。 

 ぱんと張った腹の上で、ぷるりと乳房がゆれて、大きな瞳が多須奈たすなへと見開かれている。


「早う、着て」

 目のやり場に困って、多須奈たすなは、志乃布しのぶが脱ぎ捨てていた衣を拾う。

「いや。見んにゃええだろ?」と、志乃布しのぶは口をとがらせた。


「……多須奈たすなに聞いた」


「……」

 志乃布は黙って衣を受け取る。

 衣のえりを合わせ、しゅるんと帯を腹に巻く。

 もう、帯は二回りできず、端っこは適当に腰と帯の間に突っ込んだ。

 


「どっちも多須奈たすなだ。おり(私)にとっては」

 志乃布しのぶは照れて、ふにょりと笑う。


「おりは多須奈たすなの全部が――」


 最後まで言えなかった。

 男の腕に、ぐいと引き寄せられた。






 おりは多須奈たすなの全部が好きだ。

 だから、多須奈たすなの好きにしろ。

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