7話  志乃布と多須奈

 尼さまの寺へ、多須奈たすながやってきた。

志乃布しのぶさんと話したいのですが」


 尼さまは、わかったという顔で、お茶の時間に志乃布しのぶを呼び出した。


志乃布しのぶさんとはらの子は、鞍作くらつくりの里で面倒見させてください」

 多須奈たすなは、きっちりと志乃布しのぶに向かい合った。


「はぁ」

 このままだと、はらの子は〈ててなし子〉になる。

 鞍作くらつくりの里に行くということは、父親は多須奈たすなだと一族が認めるということだろう。でも。

多須奈たすなさんは出家するんですよね」


「……いずれは」

 言いにくそうに、多須奈たすなは。

「いよいよ、僧が必要なのです。そのために寺を建立しておるところです」


「おり(私)は仏さんのことは、ようわからんので。海の向こうの国神くにつかみさんのようなもんですか」


 この尼さまの寺には弥勒みろくの石像が安置してある。

 かつて、チェからカフカのおみが持ち帰ったもので、ソガさまが請い受けたと云う。


「ソガさまが、帰化人きかじんの娘を、まず尼にしたのは、おそらくは。得体のしれない異国の仏教というものを、この国に根付かせるにあたり、政治的仇敵きゅうてきどものをやわらかくするため。もしや、失敗したときも帰化人の私たちを切り捨てればよいだけなのですから」

 尼さまは静かに微笑んだ。


 なにやら、駆け引きというものなのだろうか。


「ともかくも、今日は鞍作くらつくりの里へ行きましょう」

 多須奈たすなは、また生真面目な顔で志乃布しのぶを見てくる。



 鞍作くらつくりの里までは歩いて行く。

 天気も良かった。道も平坦だ。

 ヒダの山育ちの志乃布しのぶにとっては、見るものすべてがめずらしいから、道のりを遠いとも思わなかった。

 

「……歩くの、早いですね」

 多須奈たすなが言う。

「そう、ですか」

 志乃布しのぶは気持ちがはやるせいか、先へ先へと歩いてしまったらしい。

 

「元気で、何よりです」

「……」

 

 志乃布しのぶは歩く速度を落としてみた。

 多須奈たすなより一歩さがって歩くと、目の高さに男の肩があった。

 ふわりと木の香が立ちのぼったような気がした。今でも、その背にかじりつきたいような思いが、ある。


(――あの多須奈たすなは、この多須奈たすなとちがう男であったが)


多須奈たすな

 思い切って、志乃布しのぶは呼んだ。ヒダでは、そう呼んでいた。

 目の前の多須奈たすなは、ちょっと、ぴくんとした。


多須奈たすなに、も一回会いたいのですが。多須奈たすなさん」


「ご要望に応えられるかはわかりません」

 返事が固い。


「……やっぱり、あなたの方は、なーんにも覚えていないんで?」


「気がつくと夢を見ていたような。そんな感じで」

 実感がないのだろう。


 今、そばにいる女が自分の子をはらんでいるなど。




 鞍作くらつくりの里に着くと、志乃布しのぶを待っていたのは予想以上の歓迎だった。


「なんだー。里でいちばんの不細工というから、覚悟しとったに。かわいいでないかー。なー、みんな」

 いきなりぶちかましてきたのが、おさであるらしい。つまり、多須奈たすなの父か。


「うん。うん」

 周りの者がうなずいている。

「いや、なかなかの不細工じゃ」

 見覚えのある老人が皆のうしろから言いよった。ヒダから、いっしょに都へ来た工人だ。

 こいつが、言いふらしたにちがいない。


(絶対、復讐してやる)

 志乃布しのぶは、再び誓う。


「子は、いつ産まれる?」

「あと三月みつきぐらいかと」

まじなばぁに聞いてみよう」


 鞍作くらつくりには、何度も赤子をとりあげている女がいた。とりあげばぁとか、『よい子が授かるように』と祈ったりするので、まじなばぁとか呼ばれている。



 その日のうちに志乃布しのぶには、工人長屋こうじんながやの部屋があてがわれた。

 夜になっても多須奈たすなは、そばにいる。


「もう、お帰りになっても」そう、志乃布が言うと、

「私の部屋でもあるので」と、多須奈たすなが、すまなさそうな顔をした。

「あなたは、私の妻ですので」


「い、いつの間にっ」


いつの間にか、いろいろすっ飛ばして夫婦めおとになっていたらしい。


「――あなたにとっての多須奈たすなでなくて申し訳ないのですが」


「え、と」

 志乃布しのぶは、うまく言えない。


「それで、勝手なお願いですが、そのはらの子は鞍作くらつくりの一族として迎えたい。志乃布しのぶさんの居場所ができたのを見届けて、私は出家いたします」


「出家するってところは変わらんのですね」

「そうです」

 せめてもの、ってことなのだろう。


「わかりました」

 志乃布しのぶも決めたので、迷わない。


「では、それまでは、そばにいてくだせえ」

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