10話  法師寺の建立

 尼さまの出立が近い日、志乃布しのぶ止利とりをおぶって、ご挨拶に向かった。


「おー」

「ひゃー」

「みょー」

 弟子尼たちが歓声をあげて、赤子を迎えてくれた。


「めでたや、めでたや。男子かー。父と兄に似て、女泣かせにならぬとよいなー」

 尼さまが、苦笑いするしかない言祝ことほぎをくださる。



 留学するのは、尼さまと弟子尼、見習い含め、女5人だそうだ。


チェの都は大河と、うつくしい山を見渡す豊かな平野であるそうな」

 尼さまのお心は、早、海の向こうへと飛んでいるようであった。


 志乃布しのぶには、それがまぶしかった。

 恐れも不安も見えない。

「仏を信じると、そのように、つようなれますか」


「さぁなぁ。われはわれのことを強いとは思うておらぬよ。それと同じに、愚かであっても愚かとは思わぬ」

 尼さまは、に、と笑う。


チェまでは船で何日もかかると聞きました」

「そうよぉ」

 尼さまはうなずく。

かぞが来た路を、われは返す。ふしぎな心持ちじゃ。行ってくるよ。そして、帰ってくる。たとえ、それがわれでなくとも、われと同じ気持ちを持った者が帰ってくる。おねえさまは、それを迎えてくれ――」


 あー。止利とりが、尼さまの数珠じゅずをほしがった。

 尼さまは数珠じゅずをふってみせる。

 あふっ、あふっ、ぐぐっ。止利とりは大よろこびだ。


「――で、法師寺の柱が立ちはじめたぞ。見て来るとよい。ソガさまの渾身こんしんの夢の具現じゃ。氏寺ではあるが、ヤマトの国の僧尼そうにを統合する僧正そうじょう僧都そうず律師りっしの住む寺となる。そぉれ。好きか。止利とり数珠じゅずが好きか。父に似たか」


 志乃布しのぶは、尼さまが独り言のように語るのを聞いた。 


「法師寺というのは戒律の道場であるが。仏のお導きは、民の救済にある。薬草を栽培して病気をもつ人に薬を施す施設や、身寄りのない病の者を療養させる施設、困窮した人の飢えを救う施設を作る。あまねく人々を救えば、未来永劫、疫病の苦しみにあうことはないと――。そんな世を、見たいものだ」




 尼さまの寺からの帰り道、志乃布しのぶの足は、法師寺を建てるという場所へ向かっていた。

 

 現場の辺りは、ちょっとした市場のように、にぎわっていた。

 物売りがいて、工人と見ると声をかける。クルミやシリブカガシ(どんぐり)の実を粉にして焼いた平たい堅団子かただんごを売る者がいる。米や塩と交換するのだ。チェからの工人は、めずらしいものを交換してくれると噂になって、押し寄せたものらしい。

 それを目当てに、やってくる老若男女という様子だった。

 中には、いかにも貧しい身なりをした子供が数人集まっていて、様子を見ていると通り過ぎる人々に物乞いをしている。


「おばさん、何かおくれよ」

 早速、志乃布しのぶも、子供に囲まれた。


「なんも持ってねぇ。ごめんよ」

 無視して歩こうとしたが袖をひっぱられ、気がつくと衣の腰帯をほどかれて、かっぱらわれていた。青い縦縞たてじまが手の込んだ品に見えたのか。

「あ、あっ?」

 気がついたが、止利とりを抱いているからどうしようもない。


「どっ、どろぼうっ」

 それでも、志乃布しのぶは、大声をあげて追いかけた。

 止利とりは肩抱きにする。


 うぇぇ、うぇ。

 ゆすられた止利とりは、さすがに泣き出した。志乃布しのぶは子供を追っかけるのをあきらめるしかなかった。

「よしよし。ごめんよ……」

 息も切れたので、その場にかがみこんだ。


ダーいジョぶ大丈夫?」

 変わった抑揚の声にたずねられたのは、そのときだ。


 顔をあげると、青い目の男がいた。

オビ、ガキに、とられたネ、見た。モノゴイしてるだけだから、見逃してたけど。シメてもらわないと、だ、ネ」


「たてる? あっち、休みナ」

 青い目の男は、木蔭を指差した。


オビ、貸そうか」

 男は自分の帯を示したが、志乃布しのぶは頭をふった。

 見知らぬ男の物を借りるわけにはいかない。

 ましてや、帯とは男女の仲を匂わせる物だ。


「くっそぅ」

 かっぱらいの子供を思い出して、志乃布しのぶは小さく悪態をついた。

 あの帯は、かかまの形見のようなものだった。志乃布しのぶがヒダから持って来た唯一のものといえる。


「ダイジなモノ? ちょっ、待てる? あいつらのネジロ、知ってる」

 男は、そう言うと立ち去った。


 

 志乃布しのぶは待てるだけは待とうと思った。

 どうせ、あてもないのに、多須奈たすながそのへんから現われはしないかと、ここへ来たのだ。

 ちぇの工人の世話をしているのなら、現場に出ているかもしれないと。

 多須奈たすなの邪魔をするつもりはなかった。

 遠くから――。ただ、見たかった。

 脳裏に浮かぶ面影でなく、たしかな姿を。


 ぼんやりと、向こうを見ていると多須奈たすなの面影が浮かんだ。

 面影は近づいて来て、「志乃布しのぶ」と呼んだ。


「いけねぇ。日に当たり過ぎたようだ。幻が見える」


 幻が、帯を差し出してきた。青い縦縞たてじまの色あせた帯。志乃布しのぶの帯だ。

白加パクカさまが取り返してくだすった」

 目線を合わさず多須奈たすなが言った。さすがに幻ではないと、志乃布しのぶにもわかった。


 あの青い目の男もいた。

「オレ、返しに行くと言うのに。ヨコドリされた」


志乃布しのぶの帯だとわかったので――」

 むっつりと多須奈たすなは言った。


「ガキには、キツク怒っといタ。今度、シたら出禁デキンだって」

 そうして、多須奈たすなをからかうように見る。

「こーんなワカクサ若草のようなツマほうって、出家したいのー。ゴウだネー」


「……白加パクカさまは仕事に戻ってください」

 ひんやりと多須奈たすなは、その男に言った。


「ハイヨ。多須奈たすなキュウケイ休憩、とってネ。ハタラキ過ぎなりー」

 手のひらを、ひらひら振って青い目の男は去って行った。


「あ、ありがたし!」

 志乃布しのぶは、どうにか、その背に礼を言えた。


「……」

「……」

 あとは無言の二人が残された。


 あー。止利とりが身をそらした。

「っとと」、志乃布しのぶは赤子を落とすまじと、よろける。思わず、多須奈たすな止利とりに手をそえる。

 あー、あ。

 止利とり多須奈たすなを見つめ、小さな手をのばした。


「抱いたこと、ないのに」

 多須奈たすなが口の端をゆがめて、笑うとも泣くとも言えぬ顔をした。


おささまが、よくあやしてくれるで」

 やはり、達等たつと多須奈たすなは似ているのだろう。


 止利とりがむずかり出すのを察して、志乃布しのぶは胸をはだけると乳を出した。


「こっ、こんなところでっ」

 多須奈たすなはあわてて往来から、かくすように、志乃布しのぶを我が身の陰にする。


 んっんっ。ごきげんで止利とりは乳を吸っている。

「……」

「……」

 無言の気まずさに耐えかねたのは、志乃布しのぶ多須奈たすなもだ。


「――あんな青い目の人、はじめて見た」

「あぁ、白加パクカさまはという国の血を引く方だから」

チェから工人が来たと、おささまから聞いた」

「うん。彼らが監督となって、ここに法師寺を建てるんだ」

「尼さまがチェに行くと聞いた」

「うん。ヤマトの僧尼をふやすためだ」

「おり(私)も、ついていこうかな、と思った」

「えっ」

 多須奈たすなが小さな悲鳴をあげた。


「そしたら、なんで多須奈たすなが出家したいのか、わかるかなって」

 気がつかぬうちに、志乃布しのぶは、ぼうぼうと泣いていた。


「いや、だめだ。だめだよ。赤子がいる身で」

「思っただけだよ。おんさ(お前)、止利とりを置いて行った身で、よく言うな」

いろはと、かぞはちがうだろう」


 言っても言っても、とりとめのない言葉になるのは、志乃布しのぶにもわかっていた。

 だから黙った。






※志乃布はヒダの山奥出身 多須奈は渡来人を父に持つ都育ち

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