4話  宮都へ

 それから、冬を越し春になった。

 誰の目から見ても志乃布しのぶは、みごもっていた。


 志乃布しのぶの父、黒足くろたりは、いきり立った。

父親てておやは、どこのどいつだっ」


「わからんのです」

 志乃布しのぶは、すっとぼけた。

「おり(私)は、満月の映った川の水を飲んだのです。そのとき、みごもったとしか考えられん」


「……大概にせぇよ」


 都から天命を受けた一隊が、天生あもうの山に、木を刈りに来たのは知っていた。

 子供の父親は、その中の誰かに違いない。

 工人たくみびとは〈帰化人きかじん〉だ。帰化人は、ほぼ無休で働く、そういう身分だ。


 たとい、黒足くろたり水呑みずの百姓びゃくしょうとしてもだ。


 山里の結束は固い。

 余所者よそものの血が混じることを、よしとしない。

 まずは、長老たちにお伺いを立てるところからだ。


 死んだ志乃布しのぶの母も余所者よそものだったが、女だから許された。

 男の種とは、意味合いが違う。


「家を出て行け。恥知らず」

 黒足くろたり志乃布しのぶに背を向けた。




 志乃布しのぶは逃げるように、一時、山の小屋に身を寄せた。


 父、黒足くろたりの気持ちも分からないではない。

 婿むこも来ない娘に、ほとほと愛想が尽きていたところに、余所者よそものの種で身ごもったなどど、里の者に顔向けできぬというところだろう。


(だがなぁ。そういう体裁ていさいより、おり(私)の身を案じるとか……)

 志乃布しのぶは暗い瞳で、雨がこずえをたたく音を聞いていた。 

(ないか)


 すぐに結論に行き当ってしまったので、もう父のことは考えるのはやめることにした。それよりも我が身だ。どうする。このまま山小屋で暮らすのか。夏のうちはいい。でも、そのうち冬が来るぞ。はらは大きくなっていく。一人で、産むのか。育てるのか。ヒダは冬、雪でおおわれる。

 

(どこかへ行かんならん)


 志乃布しのぶは、ごそごそとわらの寝床の中から、木の鳥を取り出した。

 それは、川に来た水鳥を見て、多須奈たすなが手なぐさみにノミで彫った、手のひらに乗るほどのものだ。

 木片が多須奈たすなの手にかかると、あっと云う間にブナの木切れが、鳥の形になった。


「器用だね~」、心から感心する志乃布しのぶに、

「だてに鞍作くらつくりの息子じゃねえよ」と、多須奈たすなは、まんざらでもなく笑った。


 それから、多須奈たすな宮都きゅうとに戻って行った。

 それきりだ。



多須奈たすなに会いたい)

 そう思った時、〈都へ〉という思いがわいた。


(『はらの子など知らん』と突っぱねられるかも)


 でも、あの多須奈たすななら。

 真面目な方の多須奈たすなの顔を思い浮かべた。

 だが、すぐに。

 自分に近づいたのは、チャラい方だったと志乃布しのぶは気づいて青ざめ、ついでに、えずいた。




 そうと決めたら、すぐに動かなくてはならない。

 



 雨が上がると、志乃布しのぶおのの音を頼りに杣人そまびとを探した。


 意外と早く見つけた。

「じさ(じいさん)」

 志乃布しのぶが話しかけると、老人は、

「おぉ。醜女しこめ志乃布しのぶさんかい」

 と、こっちを向いた。


醜女しこめ志乃布しのぶ〉って通り名は、どこまで広がってるんだろう。


「山の神さんは女だぁ。嫉妬するで、みだりに女が山へ入ってはいかん」

 杣人そまびとにとっての山神は女神だ。


「女神さんが、おり(わたし)になんぞ嫉妬するわけなかろう」

「そやな」

 納得が早い。早過ぎ。


鞍作多須奈くらつくりのたすなを探しとる」

鞍作くらつくりの一族は都だな」

「あんたらは、都へ?」

「そろそろ、行く」

「ちょうど、ええ。おり(わたし)を、いっしょに都へ連れて行ってくれ」

「造作もないが」




 宮都きゅうとへは、十四日の道のりだという。

 杣人そまびとたちは川を使って帰る。

 伐り出したヒノキ材をいかだに組み、川から川を経由する。

 河港かこうで材木は陸揚げされて、そこからは材木を荷車にのせるか、綱でひいて、宮都きゅうとまで運ぶのだ。


 杣人そまびとたちは、柱の端に縄をかける〈えつり穴〉を彫るところを、志乃布しのぶに見せてくれた。


「さ、のれ」

「さすがに……」

 川に浮かべたいかだを前に志乃布しのぶは、しり込みした。


「女は読経どきょう

「おそらくちがう」

「これから都へ行って、ハラの子、認知してもらうんだろ。いかだにもまたがれねぇで、どうする!」


 きびしい。


「のるよ。のりゃいいんだろっ」


旦那だんなにしがみつく要領じゃ!」

 ドッと杣人そまびとらは下卑げびた笑い声をあげた。

 丸太に真剣にしがみつく志乃布しのぶの姿を見て、いよいよ笑う。


(おんのれらぁ、覚えてろよ!)

 志乃布しのぶ宮都きゅうとに着いたら、絶対、何らかの復讐をしてやると誓った。


 


 急流を抜けたら、川は、ゆうるりと広くなっていった。

 今、いかだ河港かこうにたどり着いた。


「しこめさん」

 杣人そまびとの老人が。

志乃布しのぶです」


ハラの子は、しっかりつかまっとったようだな」

木屋きやで風呂をあがれる。体をあたためてこ(こい)」

 他の杣人そまびとたちも。


 きゅん。

 なんだ、この杣人そまびとたちは。全員、突き放しといて抱き寄せる奴らつんでれかい。 

 



 河港から材木は陸路を行く。日雇い労働者が集められ、材木を二人一組で引きずって行く。

 杣人そまびとたちは、都まで野宿でしのぐ。時々は小屋などがあてがわれる。

 行く先々で、志乃布しのぶは、

むらでいちばんの醜女しこめの志乃布さんが来たよ」と声をかけられた。


 先んじて、杣人そまびとたちが、志乃布しのぶのことを頼んでくれているらしいが。


(どういう紹介)

 さらに。


「不細工のうえに、渡来人の若いのに捨てられて、それを追っかけて都へ行くってよ」と、話に尾ひれがついている。


、捨てられたわけじゃ」

「まだ」


(しまった……。捨てられる前提を自分で認めちまった)


 杣人そまびとと日雇いの間で、 

「しのぶぅ。捨てられるのか」

鞍作くらつくりの。意外と迎え入れるんじゃないか」

 賭けまで、し出した。



(おみゃあら(お前ら)、絶対、何らかの形で復讐する)

 志乃布しのぶは暗い目をして、夕餉ゆうげの飯に食らいついた。

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