3話  多須奈

 男は話を続けた。

 志乃布しのぶは、土間に座り直して神妙に聞く。

 

「あいつは、私が弱っている時に出てきます」

「あいつ……」

「その間の私の記憶はありません」

「……」

「あいつは、あなたに、何か言いましたか」

身体からだれを、治してやると……」

「あぁ、また、そういう、うまいことを」

 男は心の底から、ため息をついたようだ。


「……」

 志乃布しのぶは男の言っていることが、わからなさ過ぎて身体からだがふるえはじめた。

 それを見た男はあわてた。


「お、覚えていないからといって、私に責がないとは言いません。責任はとります」

「せきにん?」

「み、みさおの責任は」

「みさお」

 志乃布しのぶの顔が真っ赤になった。その語句は聞いたことがある。女の子のいちばん大切なものだ。


 その様子に、男は、いよいようろたえた。

「本当に、あいつときたら、手の早い。すいませんすいません。あなたの身体からだれについては、私が最善を尽くします。都に帰って薬を探して、治し方もしらべて参ります」


「み、都人みやこびとなのですか。あなたは」

 ずっとずっと遠いところにあると聞く。宮都きゅうと


多須奈たすなと呼んでください」

多須奈たすな、さんは、どうして、都から」


「都のトヨミケ炊屋姫尊かしきやひめのみことを御存じですか」

「知りません」

 まず、気にかけたことがない。


此度こたび、即位されました女帝にあらせられます。女帝は、まず『三宝興隆さんぽうこうせいみことのり』を発し、仏教を盛んにせよとおっしゃいました。〈三宝さんぽう〉を生きとし生けるもののすべてのり所とし、〈三宝さんぽう〉が興隆こうりゅうすることが、国をべる最も良い方法なのだと。先駆けて、すでに法師寺の創建をはじめておられます。その女帝から、われら、鞍作くらつくりの一族は、新しい寺に安置する仏像を作るめいを受けているのです」


(さんぽ)

 とりあえず、志乃布しのぶは、うなずいておく。


「そのために、私は、この天生あもうの山に、仏像を彫る木を探しに参りました。何人もの杣人そまびとを連れて来て、木を刈り出そうとしたのです。それが、一本の大木におのを入れたとたん、雷鳴とどろき、木からは赤い血が吹き出しました。杣人たちは『たたりだ』と、あわてふためき逃げて行きました。私は独り残され、山で迷ってしまいました」


「大変でしたね」


 この時代の山では、そういうことが起こるのである。


「えぇ、もう。一度出直してこなければ無理ですね」

「行ってしまうのですか」

 志乃布しのぶの目がうるむ。かゆみが増すと、いつものことだ。

 

 また、それを男は誤解する。

「せ、責任は取ります。戻ってきますから」


「……はい」


 この多須奈たすなの誠実ぶりが、志乃布しのぶは、おかしかった。


(逃しちゃいかん)

 志乃布しのぶの脳裏にひらめいたものである。





 一月後、多須奈たすなは約束通り戻ってきた。

 志乃布しのぶとは、山の小屋で落ち合った。


「もしかしたらですけど、日の光で、かぶれているのではないかと薬師くすしの診断でありました」

「お日さんで」

「強い日差しに当たると、れがひどくなりませんか」

「そういえば」

 秋になってから、少し楽な気がする。


「食べ物も、ソバとか香りの強い野菜は、いかんらしいです」

「なるほど」


「これを使ってみてください」

 そして、志乃布しのぶに、大きな合わせ貝の殻に入れた塗り薬をくれた。


 その薬を、に塗ると、少しずつ、少しずつれは引いていくようだった。 


 れが引いてみると、志乃布しのぶは、ただ、くっきりした目鼻立ちの大きな瞳の娘だった。 


「あなたは不細工でも何でもない」

 そう、多須奈たすなは言う。

「おそらくは、あなたの祖先も遠い地から来たのであろう。この辺りの凹凸おうとつのない顔の者たちにすれば、奇異に映るのでしょう。あなたの目は胡桃くるみのようだ。まつ毛は風に揺れるほど濃い」


 そう言う多須奈たすなの髪の色も目の色も、海を渡って来た人のものだと言う。彼らは〈帰化人〉と呼ばれているのだそうだ。

 多須奈たすなの一族は名の通り、はじまりは鞍を作っていた。それが、仏師としても宮都きゅうと大王おおきみに重用された。


「――ブナ、ミズナラ、サワグルミ。シラビソ、オオシラビソ、コメツガ。何とも、ヒダの山の木は多種で、それぞれが美しい」


 木のことを語るとき、多須奈たすな饒舌じょうぜつだった。


「今度は、山の木は切れそうですか」


「はい。ウマヤドノ皇子みこさまが十六歳の時に作られた、自我の仏像三体のうちの一体を授けていただき、山に安置いたしたところ、異変は、ぷっつり収まりました」


「仏像のご利益りやくって、すごいんですね」

「ウマヤドノ皇子みこさまが、すごい方なのです。女帝の摂政せっしょうであらせられます」

 多須奈たすなの話す宮都きゅうとのことは、なにもが、みやびやかで、志乃布しのぶには想像しようとしても限界があって、ぼんやりとした。


 そのうち、志乃布しのぶ身体からだの、は渇いていき、かさぶたとなって、もうすぐ治りそうだ。


 多須奈たすなは満足げにうなずいた。

「辛かったり辛かったり、もうないだろう?」

 座った志乃布しのぶの左腕をとって多須奈たすなは、たしかめる。

 腕の内側を、すっと男の指がなぞったから、「あ」と、志乃布しのぶは小さな声をあげた。


「あ」

 今度は、多須奈たすなが固まった。


「?」

 志乃布しのぶがのぞき込むと、多須奈たすなは声を殺して笑っていた。


「……ごめんな。、ヘタレで」

多須奈たすな

「んー」


 多須奈たすなの目が、さっきより濡れて光っている。


「……オレは多須奈たすなじゃない方の多須奈たすなだ」


 志乃布しのぶには、わかった。


「どっちもオレだよ。なぁ、もう、つらかったり痛かったりはないだろう?」

「ない」


「そぃじゃあさぁ。今度はオレを慰めてくれない?」

 多須奈たすなが膝をついた形で、志乃布しのぶに近づく。


「なんか、つらいところがあるのか?」

「うん」


 多須奈たすなは含み笑った。

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