2話 〈トヨミケ歴2年〉 天生の山
そもそも、ヒダの国はヤマトの都から遠く離れた地である。
貴人の
そのヒダの
『山の神は
そう、
また、山は死者の霊の休まるところであるから、山の神は子孫を守護する祖霊でもある。
夏の祭りの夜であった。
一年の半分を雪に閉ざされて過ごす里人にとっては、一年に一度のハレの日。
誰もが心浮き立つ、その夜に、娘が一人、山の中へ歩いていた。
ブナの古木の間を、
上に着ているのは、穴を開けたところに頭を通す簡素な衣だ。
フジの
上の衣は短めで、まくれて腹が出ないように腰を細い
今夜の祭りは豊穣を願う祭り。しいては、男と女を結ぶ祭り。
まぶたや唇が腫れ、腕や背中に、じくじくと
年頃になったが、
だから、この夜も、できるだけ祭り
我ながら、暗いと思う。ひがみ根性がすごいと思う。
山を入って、すぐのところに小川があり、側には小屋がある。
山菜を取りに入った時など、休息に使えるように、
その小屋に入ろうとしたときだ。いきなり何か踏んだ。
先客がいて、その者を踏んだ。
「ぐっへぇ」と、おしつぶされた声がした。
「あ? え」
倒れると、下で、
「きっつぅ」
誰かが転がっている。
「すまん。すいません」
とりあえず、あやまっておく。
「人がおるとは思わんで」
「娘か」
うれしそうな男の声がした。
「一人寝が寂しかったところじゃ」
「ご冗談」
「
「嘘こけ」
そもそも、山神は女神だ。
「……冗談はさて置き。お前が踏んだところ、折れた」
男は脇腹をかかえて身を起こした。
「う、
月の光が小屋の辺りを照らしている。
男の輪郭を月明かりが映し出す。
崩し加減の下げ
髪は薄い色で、瞳の色も薄い。
襟と胸のところを紐を結び合わせている、生成りの上着。
ここらの男ではない。
「
凝りていない。右の手で、ぐっと
左の手で、
「
腕のできものがすれて、つぶれた。
男は、まじまじと
月明かりの中。
「ん-と。
男に指摘されて、カッと、
『くさい、きたない、くっさい、きたないシノブ』
里の者の
だから、男は
「ん-と」
男は、急に、てきぱきと
ばっと、
「できものは全身か」
(ぎゃああああ)
びっくりし過ぎて、逆に声が出ていない。
「背中、見してみ」
うつ伏せにひっくり返され、
「ん-と。お前、これ、
「とっとっと」
「オレの持ってる薬が効くかわからんが、使ってみるか」
男が、ごそごそしだす。
「その前に、川で水を浴びて来い」
「き、きれいにしてから、やらしいことをしようと……」
「……とりあえず、
男は覚めた様子で言った。
「治るのか! これ」
「ん-と。治せる。
たしかに、薄い髪の色と、その目は、天から降りて来た者のようだったから。
「ん-と……」
急に男が、頭を抱えて、うつむいた。そして、ガクンと
男の体は熱かった。
男の熱が下がるまでに三日かかった。その間、
日の光の下で見る男は、思ったより若かった。
すんなりと若木のような四肢をして、よい生地の衣をまとっている。
たしかに、この辺りの山の者ではない。
その日はクヌギの
(病人には、まだ食べづらいかな)
コトリ。背中の小さな物音に振り向くと、男が
「――あなたさまは」
男は、まだ覚めやらぬという風情で、
「
「
「はい」
「わしは助けてもろうたのですか」
男は推察した。
「はい。まぁ。食べますか? キノコ汁」
「いただきます」
男に先に、さじを渡す。「あ」男が、さじを取り落とした。
「力が入りませんか」
男の膝の上に落ちたさじを拾ってから、
汁をひとすくい、さじで、ひとすくい、「あーん」と、男の口に近づけた。
男は言うなりに、さじを口に含んだ。
「……おいしぃ」
「ゆっくり、食べてくだせ」
何とはなく、面はゆいような、こそばいような気持ちに
こそばいのは、
男というものに、こんなに近寄ったことはなかった。
弱っている男というのも、はじめてだった。
何か世話をせなばならぬような、きゅっとした気持ちになった。
「……こんなに、ご親切にしてくださるということは」
男が汁を、おかわりして言った。
「また、あいつが、あなたの
「へ?」
「あいつが……」
「あいつ、とは」
「
「あんたさまは?」
「
「どっちも?」
「
わけがわからない。
※〈下げ美豆良〉 髪を頭の中央で左右に分け両耳のあたりで束ねて
肩まで垂らしたもの
この世界は禁止令が出るまでは男も左前の上着着用
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