月の子のトリ ~伝承重視版~

ミコト楚良

1話  〈ヲホド歴16年〉 渡来人の達等

 かの国にやまとと、さげすみの文字を持ってして呼ばれた国、ヤマトの男大迹王をほどのおおきみの治世16年、冬だった。



「あぁ……」

 まだ、足元が揺れているようだ。

 達等たつとは、奈尓波津なにわづの港の風景を楽しむ余裕もなく、薄ぼんやりと歩んでいた。

 そこから川をさかのぼる。また、舟だ。



「船酔い?」

 幼なじみが隣で、かすかにわらっている。

「それとも、失恋の痛手?」


「黙れ。クソ」

 少年は吐き気を抑えて、どうにか言い返した。


 3年、好きだった子にフラれた。

『異国に一生とか有り得ない』


 確かに、胸の痛みは残っている。

 長い船旅は、感傷的な旅センチメンタルジャーニーとなった。


 チェ武寧王ムリョンワンはヤマトの国と手を結ぶことを望んだ。

  

 ゆえに、このたびの船団のメンバーは、工人たくみびとを中心に組まれた。

 いずれ、ヤマトの国に仏教寺院を作るという計画のために。


 ヤマトの大王おおきみが仏教を受け入れるのかは、確信がない。

 臣下たちが受容派と拒絶派に分かれ、対立することになるだろうことは予測できる。


 達等たつとらができることは、草の根レベルで仏教を浸透させていくことだ。

 そのためにはヤマトに帰化する。一生、故郷へは帰れない。


(フラれても仕方ない……)


 達等たつとは未練がましく、初恋の人の面影を浮かべた。



 

 さて、大王おおきみのおわす弟国宮おとくにのみやに着くと、すぐに謁見となる。

 男大迹王をほどのおおきみは、慈しみ深く孝行篤い人格いい人であるという。噂だが。

 チェからの工人たくみびとをも歓待してくれる、だろうか。



 チェの外交官を先頭に、達等たつとたちは宮の広間へと進む。


 広間の上座には大王おおきみその人と、皇后、それから〈八ノ妃やはしらのひめ〉が控えていた。いずれの妃も良き日を占いでえらび、さだめたとされる妃たちだ。


 勾玉まがたま瑪瑙めのうの丸玉、碧玉へきぎょくの管玉、水晶の切子玉、銀製中空の空玉うつろだま。それに、銀製の梔子玉くちなしだま、トンボ玉。紺、青、緑、淡い紫、黄色、赤。色とりどりの装身具を身に着けた女たちは、大王おおきみに対して、総じて若い。


 オワリノ連草香むらじのくさかの娘、メノコひめだけは大王おおきみが18歳の時の最初の妃だというから、それなりの年だろう。


 あとは、ミオノ角折君つのおりのきみの妹、ワカコひめ

 サカタノ大跨王おおまたのおおきみの娘、ヒロひめ

 オキナガ真手王まてのおおきみの娘、オミノ娘子いらつめ

 マンダノ連小望むらじのおもちの娘、セキひめ

 ミオノ君堅楲きみかたかいの娘のヤマトひめ

 ワニノ臣河内おみかわちの娘、ハエひめ

 ネおうの娘、ヒロひめ


 

 これを、達等たつとはそらんじて見せた。渡航の前に前もって、父に事前資料として聞かされていた。


「すっげ」

 幼なじみは目を丸くした。


「なんか女の名だけは一回で覚えられるんだ」

 一種の才能である。


 ふわふわとした女共の衣装を見ている内に、達等たつとの気分の悪さは散っていった。




 達等たつとら一族は、都の郊外の坂田原さかたはらというところに住まいをあてがわれた。

 達等たつとの父は、鞍作村主くらつくりのすぐりと名乗ることにした。

 一族は、まちがいなく馬の鞍を造っていた一族であったから。

 父は、金工、鋳造ちゅうぞう、木工、繍工しゅうこう革工かくこうをも含めた技術者を統括する。その名は、いずれ達等たつとが継ぐ。

 そういう一族だ。




 さて、達等たつとら工人たちが暮らす村は、そのまま鞍作くらつくりの里と呼ばれる。

 ヤマトびとは、女子供には〈近づいてはいけない場所〉と教えたらしい。


「けったくそ悪い。こっちは、わざわざ、来てやってるっていうのによ」

 達等たつとは毒づく。


「はい。仏壇の方を向く~」

 達等たつとの父が、軽く注意を手向けた。

 朝の祈りの時間だ。


 チェびとは人型をした神をまつる。その仏像も、チェ工人たくみびとの手によるものだ。仏像は、達等たつとらと同じ船に乗って、やってきた。


 手首からひじまでくらいの高さの、小さめの立像。

 天衣をまとい、左手に宝瓶ほうひんを持った観音は、腰をひねり右脚をを若干上げた〈三曲法トリバンガの姿勢〉を取る。

 首周りにはゆったりと瓔珞ようらく(元々インドの貴族が真珠や宝玉などを糸に通して作った装身具)をつけた様子を細工している。





 ある日、それをヤマトの少女だろうか、たましいを抜かれたように見ていた。

 誰ぞ大人について来て、仏間に入り込んだものか。

 達等たつとは、カタコトのヤマト言葉でちょっかいを出す。


大唐ダイトウの神サマ、珍シ?」


 少女が、振り向いた。

「キレイ、ダカラ」

 チェの言葉だった。

 チェ語彙ごいは、ヤマトのそれと似たところがある。それにしても。


チェの言葉」

 達等は思わず、チェの言葉で。

 『話せるのか』は、口の前で右の手のひらを閉じたり開いたりしてみせた。


 少女は、うなずく。


「へぇ、スゴいネ」


 達等たつとは素直に感心した。


「ナマエ、何ての?」

「……」


「なまえ、ん-と」

 達等たつとは、自分の右の手のひらを左手の人差し指でつっついて、

「手」と言った。

 次に左手の人差し指で自分を指し、

「たつと」と言った。


 次に、少女を指差した。


「……」

 

 通じなかったみたいだ。

 ぷいっと、少女は向こうに行ってしまった。


 入れ替わりにやってきたのは、達等たつとの父とヤマトの大臣おおおみだった。達等たつとを見て大臣は、

鞍作くらつくりの息子か」と、気さくに声をかけてきた。


 たしか、四代の大王おおきみに仕えたという一族。父の事前資料にあった。


(いけねぇ。男は覚えらんねぇ)


「ソガさま。息子の達等たつとにございます」

 達等たつとの父がさりげなく助け舟を出してきた。


達等たつとでございます」

 神妙に配下の礼を取る。


 そうだ。ソガ氏。


 ソガ氏は多くの渡来系集団を従えている。

 このソガ一族には、大王おおきみでさえも一目置いているという。 





 それから、ソガ氏が工房に立ち寄るたび、あの少女も来た。

 召使いという身分でもなさそうだ。気ままに、工房内を散歩している。


 達等たつとを見かけると、にっこりと笑ってもくれたから、少女を見つけるたび達等たつとは話しかけてみた。


「ノコギリ」手に持って指し示す。「たつと」自分を指す。


 その繰り返し。


「ノミ」「たつと」


「チョウナ」「たつと」


「炭」「たつと」


「ヤリガンナ」「たつと」


「イモ」「たつと」


「――」



 ある日のことだ。

 少女が、くっくっと笑いはじめた。


 そして、自分を指差して言った。

「とよめ」


 それから、達等たつとを指して。

「たつと」と。






 それから、何べんか春が巡った。


 達等たつとは一人前の工人たくみびととなり、父の跡を継いでいた。

 工房から少し離れたおさの家に帰ると、すぐに妻を呼ぶ。


「――豊女とよめ


「はぁい」

 外の方から、こもれびのように返事が返ってきた。

 彼の妻は濡縁ぬれえんに座って、地面にかがみ込んでいる幼子を見ている。


「何、してんだ。多須奈たすなは」

「ずーーっと、ああしてありを見てる」




 達等たつとは故郷の夢を、あまり見なくなった。

 チェにいた時間より、このヤマトにいる時間が超えた時、まぁ、故郷なんてどこでもいいと思えるようになるのかもしれない。



 少なくともオレが帰るところは、ここだ。

 妻と子がいる、ここだ。






〈1話 渡来人の達等〉 了

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