雪の朝
夕が目を覚ますと、藤はもう腕の中にはいなかった。
華奢な後ろ姿は窓辺にあり、じっと窓枠に腕をついて、外の雪景色を眺めているようだった。
夕はその姿にしばらく見とれていた。飛び抜けてうつくしい人は、やはり後ろ姿すらうつくしい。
「……藤。」
名を呼ぶと、一瞬躊躇うような間があった後、彼はくるりと首をめぐらした。
「……寝てないのか。」
両目が、赤い。
問うた後、夕は後悔した。
寝ていないのか、泣いていたのか。どちらにしろ、尋ねて楽しい返事は返ってこない。
「さっきまで、寝ていましたよ。」
その返事を夕は、嘘だと思った。
藤は、眠れなかったのだ。
夕が眠った後も、一人起きていたのだ。じっと、舞い散る雪を眺めながら。
絶望した夕の目を見つめたまま、藤は薄い唇に微笑を浮かべた。
「私を、送ってくださいますか?」
「……どこに?」
「海です。昨日、あなたが私を見つけてくださった、海です。」
「……なぜ?」
「だって……だって、あなたとはもういられないから……。」
藤の声は控えめで、雪の降る微かな音にすら掻き消されてしまいそうだった。
夕は布団から跳ね起き、藤の目の前まで迫ると、その肩を掴んで揺さぶった。
「なんでだよ。なんで、そんなこと言うんだ?」
あなたとはもういられない。
藤が一晩かけて出した答えがそれだとは、思いたくもなかった。
夕とはもういられないから、あの海へ帰る。あの、寂しい港町へ。
「だって……あなたは、幸せになれる人ですよ。お屋敷に帰って、可愛いお嬢さんと結婚して、子供にも恵まれて、永遠に、幸せに。」
私がいれば、その幸せは叶わなくなってしまう。
囁くように言って、藤は両目を閉じた。
長いまつげの付け根から、真っ白い頬へ、涙の雫が流れた。
「あなたには、幸せになってほしいんです。……誰にも邪魔されずに、永遠に、幸せに。」
誰にも邪魔されない、永遠の幸せ。
藤が描いて見せた未来予想図は、夕にとっては遠すぎた。どう考えても、そこに手は届きそうになかった。だって今、夕は、恋をしている。
「そんな幸せは、いらない。」
夕は、背中からのしかかるように藤を抱いた。藤は、身を捩って夕の腕から逃れようとしたけれど、構わずぎゅうぎゅうと抱きしめた。
「藤がいないなら、俺は幸せにはなれないよ。」
「そんなこと、ありませんよ。今は少し、気持ちが高ぶっているだけです。」
そう言いながら、藤はひたすらに夕の腕を離れようともがいた。
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