立ち上がった夕は、腕を伸ばして藤の身体を抱いた。

 腕は、震えていた。藤にもはっきりと伝わっているであろうくらい、がたがたと。

 この人を腕に抱ける日が来るなんて、思ってもみなかった。

 あまりにも遠すぎた、幼い日々の憧れ。

 「身体だけなんかじゃ、ないよ。」

 声すら震えた。みっともないくらいに。

 藤は黙っていた。じっと夕に抱かれたまま、身じろぎもしなかった。

 不思議なくらい、体温の通わない抱擁だった。藤は、見た目通り石膏でできた人形なのではないかと思うくらい、その身が冷え切っていた。

 「……寒かったか。」

 「……ええ、ずっと。」

 交わした言葉も冷たかった。どこにどう体温を乗せたらいいのか、お互いに決めあぐねているみたいに。

 なにか、ここに必要な言葉があるのに、と、夕は思う。

 ここに、必要な言葉があるのに、その言葉に手が届かない。側面さえ見えはしない。

 それでもなにか、言葉を吐き出そうとした唇を、藤のそれが塞いだ。

 夕は驚いて、硬直していた。

 長い口吻になった。夕も、藤も動かないから。

 夕はその間中、届かない言葉を探し続けていた。藤が、空気のひどく薄いどこかで必死にもがいているように見えて。

 ずっと好きだった。

 事実だけれど、多分、それでは藤になにも届かない。

 愛している。

 それは、事実どうかさえ、分からない。夕はまだ、人を愛したことがない。

 一緒に来てほしい。

 それでもない。それでもないけれど、多分一番近い言葉はそれだった。

 一緒に来てほしい。

 夕がその言葉を口にする前に、藤が口吻を解いた。

 「……一緒に死んで。」

 耳元で囁かれた言葉。冷たい、毒。

 夕はびくりと自分の体が反応するのを感じた。

 これだったのかもしれない。届かなかった言葉の正体は。

 いいよ、と、答えようとした。

 今度その唇を塞いだのは、陽子の面影だった。

 ここまで夕を連れてきてくれた陽子。あの、幸せごっこなどという寂しい言葉を口にした少女。彼女だったら、いいよ、と答えた夕を、きっと許さない。

 「……なんで、」

 なんで、死にたいのか。なんで、俺なのか。なんで、一緒になのか。

 なにを問いたいのか、自分でもわからないまま、溺れるように言葉を口にした。

 「……なんで?」

 ふわりと、至近距離で藤が微笑んだ。

 ああ、この人は、あまりにもうつくしい。

 夕はその表情にぼんやりと見とれた。

 「もう、私はここまで来てしまったんです。……行くところなんてかったはずなのに、あなたが連れてきてくれた。……もう、ここ終わりたいんです。私は、せめて幸せなまま死にたい。」


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