電車

海まで行く電車は、幸い一本しかその駅から出てはいなかった。

 よかった、と声を弾ませる陽子の隣で、夕はまだ、もやもやを抱えてじっと黙り込んでいた。

 「あと10分したら電車が来ますよ。そしたら、はじめて海が見える駅で降りればいいんですよね?」

 陽子の声は、遠足に行く子供みたいにうきうきと楽しげだった。

 「……うん。」

 夕はそうそっけなく答えるので精一杯だったけれど、陽子は更に楽しそうに、線路の先を見通すように首を伸ばした。

 「楽しみだな。陽子、海を見るのは久しぶりなんです。」

 「……そっか。」

 「お友だちと海に行ったのは、もう2年かな、3年かな、それくらい前だし。」

 「……うん。」

 「夕さま?」

 陽子が線路から顔をそらし、夕の目をひょいと覗き込んでくる。夕は、その視線から逃げるように顔をそむけた。

 少しの沈黙の後、陽子は夕のコートの袖を引いた。

 「あっちに座りましょう?」

 あっち、と陽子が指差した先には、木製のベンチが寒そうに身を縮めていた。

 うん、と頷いた夕は、陽子に導かれるまま、そのベンチに腰を下ろした。

 「夕さま、どうしたんですか?」

 どうしたのか、それは夕にも分からなかった。ただ、胸の中がもやもやするのだ。

 話さないといけないことや、聞かないといけないことがあるような気がして。

 それを上手く陽子に伝えられず、夕は曖昧に首を振った。

 陽子はそんな夕をじっと見ていたけれど、すぐに、思いついたように膝を打った。

 「陽子が泣いたからですね? 心配してくださってるんですか?」

 それもまたちょっと違ったのだけれど、それでも夕は頷いた。それ以上、上手く内面を言い表す言葉なんか見つけられそうになくて。

 陽子は、頷く夕を見て、笑った。それは、夕が一番見慣れている陽子の表情だった。けれど、この半日ばかり二人っきりで顔を突き合わせていた身としては、どうしてももう、それが陽子の内面から素直に出ている表情には思えなくて。

 「ごめんなさい、泣いたりして。でも、陽子なら大丈夫ですよ。」

 「……大丈夫な人の泣き方では、なかったよ。」

 あんな、表面張力が崩れるみたいに自然に流れた涙。普段からぎりぎりの状態にいなければ、あんな泣き方は、きっとできない。

 陽子は、驚いたように薄く口を開いて、じっと夕を見た。

 「……陽子は、そんなふうに見えましたか?」

 他人事みたいなその聞き方にも、夕は陽子の痛みを見たような気がした。

 痛みが強すぎて、自分から切り離してしか考えられない離人症みたいに。



 

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