「俺の、気持ち……?」

 「ええ。夕さまの気持ち。」

 陽子はさも当たり前のことを言うように繰り返すと、夕を見上げて、すいと大きな目を細め、真面目な顔をした。

 夕は彼女の目を見返せず、窓の外を通り過ぎていく景色に視線を戻した。

 自分の、気持ち。

 夕にとってそれは、信用できないものだった。何度も何度も否定しすぎたせいだろうか。それは、眠れない夜に。

 「……信用できないよ。そんなもの。」

 夕がそう返すと、陽子は夕の肩にそっと手をやった。

 コートの上からでは、体温なんか伝わりはしない。それでも夕は、その手のひらを、温かい、と感じた。

 「信用、して下さい。今だけでも。藤さんが見つかるまでだけでも。」

 「……今だけ?」

 「はい。」

 そうじゃないと、ここまで頑張った意味がなくなってしまうから、と、陽子は細い声を出した。

 その声音の細さは、あまりにも彼女らしくなくて、夕は思わず車窓から陽子へ視線を移した。

 もしかしたら、彼女は泣いているかも知れない、と思った。

 けれど陽子は泣いてはおらず、笑っていた。唇だけで、辛うじて。

 「陽子も、陽子の心なんか信じられなんですよ。たくさん傷ついたことがあって、そのときにばらばらになってしまったから。……でも、夕さまの心はまだ、そこまで壊れてはないでしょう? 陽子は、だからここまで夕さまについてきたんです。」

 彼女らしくもない、淡々とした声をしていた。冷たい水の底から話しかけてくるような。

 夕は驚いて、彼女の目を覗き込んだ。

 今度こそ泣いているのではないかと思ったのだ。正確には、今度こそ泣いていなければいけない、と思った。

 もしまだ彼女が笑っていたとしたら、それは、あまりに悲しすぎる。そこまでの無理を、夕のためにさせてしまっているのだと思うと、たまらなく悲しい。

 オンボロバスの、薄いオレンジ色の電気の中で、彼女の両目は澄んだ湖面のように穏やかな色をたたえていた。なんの感情も読み取れない眼差し。

 「陽子、」

 なにか言わなくては、と坂道から転げ落ちるみたいに彼女の名を呼ぶと、彼女は表情を変えないまま、右の目から一つ、涙をこぼした。

 それは、もういっぱいになってしまったグラスから水が溢れるみたいに、ごく自然な流れに見えた。

 陽子、と、夕がもう一度彼女の名前を呼ぼうとしたとき、彼女はふっとこれまでの無表情が嘘みたいに笑みを浮かべ、窓の外を指差した。

 「赤い駅舎です。」

 もっと、話さないといけないことがある気がした。けれど、ここまでころりと空気を変えられてしまえば、夕にそれ以上紡げる言葉はない。

 二人はバスを降り、赤い駅舎へと入っていった。

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