面影

それから2つ行った駅で、夕と陽子は電車を降りた。

 「一本で来られるんですね。案外近いみたい。」

 陽子がどこか楽しげに言い、夕はそれに曖昧に頷いた。

 確かに乗り変えなしの一本の電車で来られるのだから、別宅から屋敷までの交通の便は、さほど悪くはない。ないけれど、それでも夕にとって屋敷は遠かった。いつでも。

 駅の階段を、夕と陽子は並んで登った。夕の足が重くなると、陽子は黙って足並みをそろえてくれた。

 駅から屋敷までは、近い。歩いて五分もかからない。

 そのことが、今の夕には苦痛だった。

 改札を出、目の前のだらだらとゆるい坂を登っていく。突き当りまで行って、右に入ればそこはもう屋敷の正面玄関だ。

 夕は正面玄関を使わず、ぐるりと回り込んだ先にある裏門から屋敷に入った。

 陽子は寒そうに息を凍らせてはいたが、文句も言わず、夕について歩いてきた。

 仰々しい作りで、禅寺の山門かと見間違うような正面玄関とは異なり、裏門はひっそりとしている。南天の実が、針葉樹の薄暗い中に、ぽつぽつと燃え立つように光っていた。

 夕は、裏門の近くに誰もいないことを確認してから、足音を忍ばせて門を入った。

 スパイごっこみたい、と楽しげにちょっと笑った陽子も、同じように足音を潜めた。

 裏門からなら、藤が暮らしていた離れまではほど近い。

 もしかしたら、藤を探し回っている女中やなにかがいて、離れに近づくのは難しいかもしれないと思っていた夕だったが、予想ははずれ、離れの周りには人の気配がなかった。

 夕は離れの縁側から、土足のまま中へ上がりこんだ。

 陽子も迷うことなく、ブーツをはいたままで夕についてきた。

 「……なにもありませんねぇ。」

 ぽつん、と、部屋の真ん中に立った陽子が言った。

 「旦那さまの愛人さんってことは、もっと贅沢してると思ったんですけど……。」

 陽子の言ったとおり、離れの中には最低限家具しかなかった。

 文机が一つ、畳んだ寝具と枕屏風が一組、箪笥が一竿に、本棚が一つ。それが全てだ。

 文机の引き出しも、箪笥の引き出しも、家探しがされた後らしく開けっ放しになっていたが、その中身も最低限の着物や小物しか入っていなかったらしく、部屋全体に散らかった様子はなかった。

 

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